転校生
「────で? 昨日の今日で、今朝は一体なにしてたんだ貴様」
「……通学路にある橋の上で」
「よしそこまでだ、当ててやる。同じく通学中の小学生なりが橋の上から物を落としたとかなんとかで困ってるところを、華麗に助けたとかその辺りだろ」
「華麗とは言い難いかと。ザブザブ川に入って、ずぶ濡れになりましたから」
「あぁ、そうか、成程な。それで一旦帰宅して、着替えてから再登校したと」
「はい。どうせ一限目には間に合わないと思ったので、シャワーも浴びました」
「身体を冷やしたまま風邪を引いたら、つまらないからな。いい判断だハハハ」
「はは」
「なにを笑ってるんだ芳野。可笑しいか? うん?」
「すみません」
とまあ翌日、そういった成り行きで────
「…………ま、もういいだろ。帰ってよし」
おそらくは、他の教師に対して『厳重注意を処しましたよ』というポーズを示すため。完全下校時間ギリギリまで缶詰にされた指導室から退室の許可が下りる。
「はい。……すみません、ご迷惑をお掛けしました」
それによってしんどい思いをしたのは、僕ではなく久川先生のほうだ。
端的に言っておかしな……真実、頭のおかしな生徒に付き合わされて、百パーセント無為に時間を浪費させられた完全なる被害者であるゆえに。
謝罪は素直に、心から。いくら他人から見て頭のおかしな生き方をしているといえど、人並みの常識を備えていない訳ではないつもりだから。
「芳野」
「はい」
いつもより深めに頭を下げて、教室を出ようとしたところを呼び止められる。振り返れば……久川先生は、大人らしい複雑な笑みを浮かべていた。
「教師としては叱らざるを得ないが、私個人としては……なんだ。お前みたいなの、別に嫌いじゃないよ。面白いし、見てて退屈しないからな」
「…………」
褒められている訳ではない。それはわかるので、無言で言葉の続きを待つ。
「だからまあ、ほどほどにしとけよ。誰より、自分のために」
そうして渡された『寄り添う言葉』に、もう一度だけ頭を下げて、
「ありがとうございました、先生」
「うん。また明日な」
僕はいつものように、過分な思いやりから逃げ出した。
◇◆◇◆◇
今日は水曜、決まった用事を持つ隼太が僕を待たない日。既に部活の喧騒も聞こえない静かな校舎の中を急ぎ、鞄を回収して帰路に着く道すがら。
通りすがった〝お隣〟の教室内へ、ふと視線が吸われた。
理由は二つ。昨日の放課後に隼太から聞かされた、隣のクラスの『転校生』の話が一つと────室内から感じた、微かな人の気配が一つ。
ほんの少し空いた扉の隙間から見えた、後方窓際の席。
机に突っ伏して微動だにしない、見慣れぬ明るい髪色が目に留まる。
「…………」
今日の『日課』は終えている。けれども、だからといって、些細とすら言えない手間を惜しんで〝善いこと〟をケチるような性格ではないつもりだ。
なので、
「……、…………────天下谷さん」
扉を開け、他クラスの教室に踏み入り、机をトントンとノックしながら、静かな寝息を立てる転校生に声を掛けることを。大して迷いはしなかった。
そして、なんとなく一度では起きないだろうなと思うまま。再びノックと共に声を掛けようと……──したところ、彼女は。
「ん……、ん……ぅ……?」
転校生こと天下谷 小幸は、ゆっくりと目蓋を持ち上げた。
「ん…………」
然して初見の男子を、榛色の大きな瞳がジッと見ている。
────友人の言葉通り、そうそう見ないほどには整った容姿。
高二基準ややあどけない顔立ちは、寝惚け眼を差し引いてもなお柔らかな雰囲気と相まって『庇護欲をそそるタイプ』という評価にも頷けるものがある。
なにより目を引くのは……雰囲気に負けず劣らず柔らかそうな、おさげ髪の色。
うちの高校はそこまで校則が厳しくないとはいえ────流石に真っ白な髪というのは、生徒からの注目を飛び越えて学校側から注意されそうなものだが。
……とまあ、人並み。多少の興味は湧いたものの。
「おはよう。もう下校時間を過ぎてるから、帰った方がいいよ」
所詮は同学年というだけの他人。どこかの野次馬男子が言っていた『その他大勢』と同じように、可愛い女子というだけで関心を向ける気にはなれず。
「ぁ、ぇ……あ、わたっ、いつ、寝ちゃ……?」
伝えるべきことは伝えたし、わかりやすく慌てだした様子から現状を正しく把握したものと判断。彼女にしても居眠りを見知らぬ男子に起こされたというのは微妙なシチュエーションだろう、居座っても迷惑と決めつけて踵を返す。
「────あ、あのっ……!」
そのまま教室を出ようとしたところへ、声が掛かった。
「ありがとう、ございます……! 起こしてくれてっ」
肩越しに振り返れば、立ち上がった天下谷さんが律儀に頭を下げていて、
「どういたしまして。もう暗くなるから、帰り気を付けてね」
「は、はい。あの、さようならっ……」
髪の色は奇抜だが、いい子なのだろうなと思いながら。
『日課』の枠を溢れた〝お節介〟を終えて、僕は早々に教室を後にした。




