土曜の朝
天下谷さんが何より恐れているのは、他でもない『他人を自分の〝不幸〟に巻き込むこと』だ。それは今更、本人に確認するまでもないことだろう。
であれば極論、他者の存在する場所に居るべきではない。
そして彼女はソレを、普通に生きるという前提の上で可能な限り順守している。つまりは……基本的に『おでかけ』など、もっての外ということ。
必要もなく出歩いて、他人に迷惑を掛けたらどうしよう。危ない目に遭わせてしまったらどうしよう。彼女は常に、そればかりを考えている。
それゆえに今回、僕が挙げた提案にも天下谷さんは反対した。
だからこそ今回、天下谷さんの反対に対して僕は言った。
「大丈夫だよ」
と。それに、付け加えて。
「迷惑を蹴飛ばす役目も、危険を踏み潰す役目も、誰にも渡すつもりはないから」
と。────然らば彼女は、例によって言葉を失くしたような顔で僕を見た後。
「……そういうの、本当に良くないと思います」
なにやら目を細めて、そんなことを言いつつ。
暫しの躊躇いを挟みながらも……最終的には小さく、けれども確かに、頷いた。
◇◆◇◆◇
「────────────、……」
翌朝、僕は目蓋を持ち上げた。
然して目に映るのは、いまだ見慣れぬ天井。おおよそ普通の部屋とは言い難い剥き出しの立派な梁────とまあ、もうそれは良いとして。
朝六時の手前、早朝。起き上がるか否かを少し迷った後に……。
「…………いい匂い」
耳を澄ませて、鼻を利かせて、一息に身体を起こした。
然して、数分後。
「────あら芳野君? 早いのね、おはよう」
「おはようございます」
『部屋』を出た僕は、一昨日から既に出入り自由を言い渡されている本棟へ。漂う出汁の香りを辿るままに台所へと辿り着き、千雨さんと朝の挨拶を交わした。
「朝ごはん、もう少し掛かるけど……お腹空いちゃった?」
「いえ。いい香りがしたので、釣られて出て来ただけです」
「あら、うふふ。つまり『お腹が空いた』ってことでしょう?」
……とまあ、別に空腹から出向いたわけではないのは本当なのだが、わざわざ否定を重ねる必要もないと呑み込んで。遅れて「別棟に届くほどの匂い、してるかしら……?」と首を傾げている御祖母様の隣に並ぶ。理由は言わずもがな。
「手伝います」
昨日の『昨日の今日』ということで昨日は遠慮した、申し出のためである。さて、人によっては頑なに断られるか遠慮されることもあろうが────
「〝善行〟……私の手伝いで済ませちゃって、いいのかしら?」
よく回る極めて柔らかい頭に気遣いの技を山ほど備えているのであろう年長の淑女は、若い頃は数多の男を駄目にしたであろう茶目の利いた笑みで応える。
さすれば、了承と受け取り。
「満たすべきノルマはあっても、超過ペナルティなんてありませんから」
手始めに、シンクの中。
洗い物を片付けてしまおうと、笑顔を返しつつ袖を捲った。
そうして、おおよそ一時間ほどを手伝いがてらの交流で過ごした後。
「────……」
「おはよう小幸ちゃん、ささ座って。今朝はね、おかずが一品多いのよ」
「おはよう天下谷さん。玉子焼き、ちゃんと甘くしてあるよ」
朝七時。しっかり身だしなみを整えていることを踏まえれば十分に早起きな孫娘を、準備万端の居間にて祖母と共に迎え入れれば。
「…………おはよう、ございます」
思えば初めて見る私服姿。
家の中らしくラフな、しかし男も居ることを正しく意識して無防備過ぎない格好。シンプルで清楚なルームウェアに身を包む天下谷さんは、僕たち二人に朝の挨拶を返し、その上で僕だけに何やらジト目を向けつつ……。
「……おばあちゃん」
「うん?」
最初に交わした『ご挨拶』の形で、なんとなく固定化してしまっただけ。それだけの席順に過ぎないが僕の隣、座布団にストンと腰を下ろしながら。
「私の居ないところで、私の個人情報を、喋っちゃダメです……」
「あら、芳野君でも?」
「────っでもじゃなくて、だからぁ……!」
孫娘から祖母への、可愛らしい文句を一つ。
僕が用意した一品多いおかずは幸いなことに、孫と祖母ともに好評だった。
料理もできるのか貴様。
弱点はどこにある貴様。
玉子焼きは甘いのがいい甘下谷さん可愛い。
夜に続く。




