ここから今日から
「────────────、……」
朝、僕は目蓋を持ち上げた。
然して目に映るのは見慣れぬ天井。おおよそ普通の部屋とは言い難い、剥き出しの立派な梁。そして入口側の面、手の届かない高さに在る唯一の扉窓。
物置蔵から大胆に改造された『部屋』に在って、今も開閉機能が残されているのか否か。ピタリ閉め切られた隙間から差し込む日差しは……極めて、微。
閉じた目蓋を刺すどころか、開けた瞳を僅かばかり撫でるあ精々の微光。照明を付けなくては、内部は真っ暗一歩手前────こうして一夜明けて、改めて思う。
花の女子高生が、住み暮らすに適した環境ではないな、と。
そして、思う。
「………………まあ」
あまり細かいことは気にしない類の男子高校生としては、特に偽ることもなく二言ナシ。昨日、千雨さんに向けて宣った通り……──
「秘密基地みたいで、悪くない……」
冗談半分の、本心半分で、そのように。
斯くして、朝六時ちょうど。健康的に、あるいは機械的に。普段と全く同じ時間に起きると決めた僕の、普段とは異なる場所における単身一幕であった。
◇◆◇◆◇
そうして、活動開始から暫くの後。
本日金曜ということで、昨日のドタバタを考えれば折り悪く平日終端の登校日。如何な神様に目を付けられた稀人といえども……僕も天下谷さんも各々が学生の身であると定めて今を生きている以上、当然のように今日の相談などしなかった。
つまり、勿論、僕らは今日も学校へ行く。
であるからして、上だけ脱いでいた制服を着込んだりと簡単に登校の────着の身着のままで居候して転がり込んでしまったので、対面的にも僕は一旦お暇を挟むつもりではあるが────準備を済ませて、ちょうど落ち着いた頃合いだった。
蔵部屋の戸が、ノックされる。
控え目な力加減は音の具合で察せられたが……元『蔵』の造りが関係しているのか、それも人が済む部屋の扉らしくない入口の立て付けが由来か、響きが良い。
寝坊したとしても、これは良い目覚ましになりそうだと思いつつ……。一応、体裁として、といった具合の後付け工程が察せられる内鍵を開けて────
次いで外開きの扉も、ゆっくりと開ければ。
「っぁ……────おはよう、ございます。芳野君」
そこには、まだ優しい朝日を浴びて、眩しい少女が一人。
「あの、朝ごはん。用意できて、ます……はい」
制服姿の天下谷さんが、言葉通りの目的で立っていたので。
「おはよう天下谷さん。すぐ行けるよ」
重ねて準備を万端にしていた僕は、鞄を手に蔵部屋を出た。
────と、いった流れで。
昨夜の夕飯に引き続き、千雨さん手製の朝食をご馳走になった後。
何度も『お互い様』の旨は念押しをしているのだが、やはり立ち位置的に僕が何かをする側だからだろう。天下谷さんと同じく助けてもらう側の意識が強くなってしまうのか、しきりに『ごめんね、よろしくね』などと言い募る御祖母様に、
「お気になさらず。僕も天下谷さんに目一杯『よろしく』されますので」
「へうぇっ」
と、意図的に『あらあらまあまあ』を触発することで身を躱しつつ……。
「………………この通学路、体力が付きそうだね」
「あ、はは…………でも、ほら、景色は、物凄く綺麗です……(?)」
学校始業から逆算、ちょうど良い頃合い。千雨さんの家を出発した僕と天下谷さんは二人、昨日の夕方に歩いた山道を逆方向から辿っていた。
昨日も思ったことだが、自然豊かな風景に反して道の具合は整っている。幾らか車も通るのだろう、しっかり舗装され踏み固められており歩くのに難儀はしない。
────となると、気になるのは。
「この辺、動物って出没したりする?」
その、決して人がいないわけではない環境についての詳細。天下谷さんの〝不幸〟に立ち向かう上で無駄にはならないであろう情報を問えば、
「へ? ぁ、はい。狸……は、よく見ます。あとは、鹿とか……?」
「大きいやつ?」
「そう、ですね。まだ一、二回しか見たことない……それも遠くで、目が合った瞬間に走って行っちゃったので詳しくは分かりませんけど……そ、そこそこ?」
「成程」
ふわっとはしているものの、解答は一応『情報』として扱えるものだった。
「…………え、と。私のこと、ですよね」
然らば、まあ、昨日の今日。このタイミングで僕がする『質問』が何を気にしてのものかなど、皆まで言わずとも察せないはずがないだろう。
天下谷さんから返された問いに、僕は頷いて────
「君の〝不幸〟が動物に作用することは、もう知ってるからね」
山中とあらば、不幸なしでも人間が懸念すべき事案。
所変われば……つまり、街中とあらば別の危険が自然以上に溢れているとはいえ、山中にいる内は山中に在る可能性を頭に置いておくべきだろう。
「大きな動物は勿論だけど、小さいのも……野生動物は、軒並み危ないよね。狸だって急に襲い掛かられて噛み付かれでもしたら、基本的に痛いじゃ済まないよ」
「……です、よね…………」
意図せず説教臭い────というか、傍から啓発するような語りなってしまったが……本当に、面と向かって挑むとなれば難し過ぎる問題だ。
山道を一人で歩くのが危ない。
夜道を一人で帰るのが危ない。
そういった当たり前を並べ立てることは簡単だ。しかし天下谷さんに付き纏う〝不幸〟という常識の反例が、かえって『多少くらい危ない道を選んだ方が安全かもしれない』という意味不明な状況を作り出してしまっている。
たとえば誰かに、付き添いを願うべきでは?
では、その誰かを諸共に〝不幸〟が呑み込んだら一体どうするのか。
たとえば車などで、送り迎えを行うべきでは?
では、その車を〝不幸〟が『大きな事故』に引き摺り込んだら、どうなるのか。
────ありとあらゆる『対応』が、彼女の〝不幸〟によって更なる『惨事』と化してしまう可能性を、どうして見過ごすことが出来ようか。
……だから、こんなこと僕が言うまでもない。
「でもまあ、多分、街の中よりは確実に安全なんだろうね。経験則」
「…………と、思ってます。経験則で」
天下谷さんも、彼女の家族も、承知の上で今を築いているのだろうと。
そして、きっと僕が知る内で最も近しい家族……千雨さんにとっては、全て承知の上にある苦渋の決断。可愛がっている大事な孫娘を、その身体と心を、
どちらも守るために。
最も安全と判断せざるをえない、どうしようもなく危険な道を、
たった一人で、歩かせていた、と。
だから、そう。それは、そうだろう。
追い詰められていなければ、いくら証拠と実績を手土産に現れたところで。誰が、可愛い可愛い孫娘を、どこの馬の骨とも知れない小僧に『頼む』のか。
よろしく、頼むと。あんな風に、誰が頭を下げられるものかと。
「…………………………────天下谷さん」
「はい……?」
重ねて、結局のところ、これは独り善がり。
僕は根本、あくまで僕自身のために、彼女へ手を差し伸べた。
……けれども、とはいえ、
「暫くは、さ。どうしても、安心しきるのは無理だろうけど」
「……は、はい?」
僕とて、人並みの思いやり程度は────
「できるだけ早く、君が安心して過ごせるように、僕も努力するから」
「…………ぇ、あ、は、ぇ……え、と」
この、自分勝手な心に抱えているから。
「改めて、今日からよろしく。────改めて、僕の傍から離れないでね」
努めて、真摯に。努めず、本心を。
隣を歩きながら、前を見るまま、これから……ある種、運命共同体となる同級生女子に伝えて退ければ────天下谷さんは、数秒ほどポカンとした後。
「…………わ、っわ、────わかって、ますけど……ッ!!!」
なぜだか、怒ったように、ズンズンと歩調を速めて先を行ってしまうので。
「……え? あ、ちょっと、だから離れな」
「何度も……! 何度もっ! 言わなくても、離れませんからぁッ!」
「ちょ、走っ、ちょっと……!? 山道だよ普通に危ないッ……!」
追い掛けたら、逃げられて────僕らの共歩は、今日こうして始まった。
割と情緒的な方向でポンコツの片鱗を見せる芳野君。
割と大人しいだけではない片鱗を見せる天下谷さん。
かわいい本格始動秒読みってなところで、また来週。




