おやすみ
そうこうして、色々と……本当に、色々とあって、辿り着いた夜。
「────じゃ、小幸ちゃん。寝室、用意しておくからね」
「は、はい……」
「じゃ、芳野君。なにかあれば遠慮せず言ってね、おやすみなさい」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
諸々の作業が終わり、とりあえず今日は間に合わせということで用意した夕飯……おにぎりと、簡単なおかずを届けてくれた後。
千雨さんが、新たに僕の住処となった『部屋』を後にして。
「「…………………………」」
改めて、天下谷さんと二人きり。
彼女が使っていた頃から続投の丸机を挟んで向かい合い、早速と夕飯に手を伸ばす流れでもなく……ありとあらゆるアレコレに、当然のこと。
「……………………、…………はぁぅ……」
疲れ果ててしまったのだろう、息を零す同級生の女子と二人きり。
……言わずもがな。最適解なんて僕には知る由もないし、おそらく変に思索したところで踏まなくとも良いはずだった地雷を踏んで爆発するのがオチだろう。
なので、
「食べようか」
「………………はい。いただきます」
「いただきます」
無難に目前の選択肢に手を合わせれば、幸い天下谷さんも追従してくれた。もう、なにか考える気力も湧いてこないといった様子ではあるが……。
「…………っ、な、……なんで、しょう」
「なんでもないよ」
とりあえず心の消耗は物を食べられないほどではないらしい、と。間もなく最初の一口を齧った様子を見て安堵していたら、言葉と共に目で注意されてしまう。
それはそう。乙女の食事風景を凝視するのは、マナー違反であっただろう。
然して、静かな夕飯は十分程度で恙無く終わってしまい。『ご馳走様でした』を言い合ってから十数秒、再び間を埋めるものがない気まずい沈黙が────
「……あの」
────場を満たす、はずだったところへ、遠慮がちな声。
顔を上げれば、いつの間にやら榛色の瞳が僕を真っ直ぐに見つめていて、
「うん?」
「……、…………」
首を傾げて返せば、言葉がつっかえたように彼女は口を明けては閉じて。
「…………え、と……芳野君」
「うん」
「…………………………ご、ご家族。は……」
そんな、今の状況に置いて当然『聞かれるべき』であろうことを問うてきた。
然らば僕は直前までの様子から、果たして本当にソレが最初に言おうとしていたことなのかなと思いつつ……心配ないと伝えるように笑みを一つ。
「心配ないよ」
言葉でも、しっかりと告げつつ。
「ちゃんと、心配しないようにしてあるから」
意味合いを助けるように片手でスマホを振りつつ、ただ事実のみを渡しておいた。────当然だ。明確に『普通』とは異なる身であるとはいえ、高校生。
身分的に、なんの備えもなく他人様の家に転がり込めるはずがないから。
「そう、ですか」
そんな僕の言葉を、素直に信じたのか、様子見の建前か。曖昧に頷いた天下谷さんは、もう空になっている湯呑みを手慰みのように弄んで……。
「「…………………………」」
結局のところ、僕には太刀打ちできない沈黙が、訪れる。
……まあ、これも然り。仕方ない。だって僕らは出会ったばかりの知り合ったばかり、おかしな身の上という共通項を除いては互いのことを何も知らない。
話が弾むどころか、不幸を除いては会話の種すら見つけられない。
「……天下谷さん」
「っ、はい」
けれども、
「疲れたでしょ。明日も学校だし、早めに休んだ方がいいと思うよ」
「…………は、はい」
別に、最初はそれで構わないだろうと。
これから嫌でも……別に僕は嫌と思わないが、どうあっても暫くは────正直、いつまでか予想などできない間、傍に居ることになるのだから。
親しくなれるのであれば、自然と親しくなるだろう。
そう楽観的に考えて……見ようによっては、安易な現状回避の択を取って。
「安心して、眠っている間でも僕は〝足音〟を聞き逃さない。……一応、経験則」
「……わかり、ました」
お盆に空になった食器を載せて持ち、立ち上がった天下谷さんを見送るために立ち上がる。その際、ほんのりと彼女が不安げな表情をしていたのを見逃さず。
「大丈夫だよ。躓いて転んだりは絶対にしない」
今は〝足音〟が聴こえていないことを、伝えながら。
僕としては、単に『務め』を全うするため。また、全うするという意思を重ねて示すため。そんな、至極なんでもない気遣いでしかなかったのだが────
「……ふ、ふふっ」
小さく、柔らかな、笑声が一つ零れ落ちて。
「なんでもなにも、今更ないですけど」
直前まで宿していた不安の影を呆気なく消し去り、どこか可笑しそうな微笑を頬に湛えて、お盆を抱えたまま天下谷さんが僕を見る。
「信じます。芳野君のこと、全部」
「…………」
出会ったばかり、知り合ったばかりの僕へ向ける、確かな信頼の色と共に。
「信じたいです。あなたのこと、全部」
ささやかだが、どうしようもなく切に刻まれる、願いと共に。
「……まだ、ちゃんと言えてませんでしたよね」
天下谷小幸は、
「────ありがとう、ございます。私のこと、助けてくれて」
どうしようもなく綺麗な笑顔で、
どうしようもなく────僕なんかには、過分な感謝を置いて。
「……おやすみなさい、芳野君」
「…………、うん。おやすみ天下谷さん」
僕に譲る形となった『部屋』から、去って行った。
長い一日だったね。
夜に続く。




