天下谷小幸
暫しの間、天下谷さんは目を丸くして言葉を失っていた。
改めて、自分以外の同類が抱える『代償』を聞いて思うところがあったか。または……自分の命を救った男子が思いの外、打算を抱いていた事実に面食らったか。
────仮に後者だとしても、申し訳ないが僕は最初から言っている。
気にしなくていい、お互い様だと。僕は君を助けるから、君は僕を助けてよと。
天下谷さんも死ぬような目に遭って、心から可哀想だとは思うし助けてあげたいとも思う。とはいえ、それはそれとして、僕も僕で毎日が死ぬような目だ。
極論。手を差し伸べられる誰かに出会えなかった日、僕は成す術もなく死ぬ。
これまでの九年間は幸運にも誰かの〝不幸〟に恵まれ続けたが、この先いつどこで絶えないとも知れない正真正銘の綱渡りには違いない。
欠かせば死ぬなら、欠かさなければ良い。
それは確かに事実であり、僕が信じる真理ではあるが、絶対ではない。この世から手の届く不幸が消えた瞬間、僕の生涯は幕を閉じるのだから────
「………………」
と、はたして。
そんな奥底の思惑までは、流石に知る由もないだろう天下谷さんは。
「…………────良かった、です」
彼女の脳内、善意の紳士から打算の男子へと急転直下のクラスチェンジをしたであろう僕に対する視線を、呟きと共に明確に変えた。
「お互い様、なんて……正直、なにを言っているんだろうって、思ってたけど」
然して、それは意外なことにネガティブな色合いではなく。
「ちゃんと、私……────芳野君のメリットに、なれるんですね」
快い色として、彼女の表情を染め上げる。
「…………」
まだ僕は、彼女のことを何も知らない。
だから、その言葉と表情から何も読み取ることはできない。おそらく彼女が、僕の内を何一つ読み取れてないのと同じように。
けれども、その瞬間。僕は天下谷小幸に〝僕〟を見た。
同じ存在だからこそ感じ取れるのであろう、同質の〝歪〟を。
「……聞いてください、私のこと」
「うん。聞かせてほしい、君の不幸を」
そして、だからこそ。
僕らは自分自身を見て見ぬフリして通じ合い、ただ自己紹介を続ける。
「芳野君が『一日一善』だとしたら……私は『一日一難』です」
斯くして、僕の望むまま……気のせいか否か。ほんのり肩の力が抜けた様子に見える天下谷さんは、自らの〝不幸〟についてぽつぽつと語り始めた。
「一日、一度、私が原因じゃない〝なにか〟が必ず起こります。例えば、その、靴が無くなったり……あとは、私の近くで物が勝手に壊れたり……」
「……物が、風に乗って飛んできたり?」
「…………はい」
おおよそは、知っていること。一つ、成程と思ったのは……。
「天下谷さんも、一日一回なんだね」
「そう、ですね。それも共通点、なんでしょうか」
内訳は違えど、日に一度という点で僕らの『代償』は似通っていた。
同じ存在であるという認識が、避け得ず深く────
「ぁ、あの……! 今にして思えば、もしかして、なんですけどっ」
と、言葉通り。なにかを思い起こした様子で机上に手を突き、僕の方へ身を乗り出した天下谷さんに共感の思考を遮られる。はて何かと首を傾げれば、
「私の靴! 芳野君に会った日、あの休み時間の後……! 教室に戻ったら、袋に入った状態で机の下に置いてあったんですけど……! あれって────」
なんだそんなことかと、僕は笑った。
「あぁ、うん。僕だね」
「ぼ、僕だね、って……! え、だって、どうやって、クラスの人に『誰が』って聞いても、みんな知らない見てないって言ってたのに、一体いつの間に────」
「ちなみに天下谷さんの靴、学校に忍び込んだ野良犬が咥えてたんだよ」
「野良っ、ぇ、あ、えっ……、……え!?」
「取り戻した時は割と酷い状態だったけど、ちゃんと綺麗にはしておいたから」
「な、え、ぁ、えっ……!? なん、え、どうっ……え、どうやっ────」
然して、そんなことよりも。
「天下谷さんの〝不幸〟って、もしかして起きやすいタイミングとかある?」
疑問と動揺で元気になり始める彼女を、対面に居ながら他所に置くように。身を躱し話を摩り替えれば、またしても彼女は面食らったような顔をして固まった。
とはいえ、決して誤魔化すためだけに質問を差し込んだわけではない。
「………………は、はい。あります。…………え、なんで……」
重ねて、そんなことよりも遥かに重要なことだからだ。
「いや、確信とかじゃ全然なかったよ。ただ単に、そういえば僕が知ってる天下谷さんの〝不幸〟は夕方に集中してたなって思い出しただけで────」
……と、マズい。身を躱した先で別の地雷原に突っ込んだ。
「え? あの、そういう時に芳野君に会ったの、そんなに何度も、は……」
なかったはず、と彼女が首を捻るのは無理はない────それはそう。他ならぬ天下谷さんに隠れて、僕は彼女の『異常』を観測していたのだから。
観測しつつ、基本その全てに、お節介を焼いていた。
神に、もとい目前の女子に誓って、別にストーカーをしていたつもりはない。ただただ『嫌な予感』に従い、陰ながら彼女を見守っていただけである。
……とはいえ、
「……………………え。え、芳野君……?」
真実に思い至る彼女の思考内、実際に僕が抱えていた大義名分は存在しないはず。然らば、打算の男子に注釈で『下心』の可能性まで追加される前に────
「……僕が知る限り、天下谷さんの〝不幸〟は夕方に起きる確率が高い。とはいえ昼間にも野良犬外履き窃盗事件が起きたということは、確定条件じゃない」
「芳野君?」
「天下谷さん、いつも遅くまで学校に残ってたよね。いつもいつも一人きりで、いつもいつも人気のない空き教室で、基本的に何もせず時間を潰してた」
「芳野君」
「それで〝なにか〟が起こった後は、いつもすぐに下校する」
「……芳野君」
「思うに、それが天下谷さんの『日課』だよね。屋内で、なおかつ安全確保がしやすい広々とした空間で、都合のいいことに時間と場所を選べば人気が無い」
「………………」
「つまり、君は」
ベラベラ、ベラベラと。僕は決まりが悪い事情を押し流すようにして、初めて目にする表情で僕をジッと……もとい、ジトッと見つめる天下谷さんに、
「夕方────察するに、逢魔が時。最も〝不幸〟が起こりやすいタイミングに極力安全な場所である学校に身を置いて、自分と周りを守ってたんじゃないかな?」
迫真の推理を、披露してみれば。
「………………探偵さん」
「………………はい」
「お茶、おかわり、欲しいですか?」
「……はい、欲しいです。覗き見してて、すみませんでした」
罪を自覚するがゆえに捲し立てて、渇いた喉を人質に取られ、秒で白旗。素直に謝れば天下谷さんは「全く、もう……」と小さな溜息を零しつつ────
「……そのおかげ、ですもんね。今日、助けてもらえたの」
「もっと、誠実な立ち回り方はあったと思う。……ごめんなさい」
空になっていた僕のコップに、また麦茶を注いでくれた。
可愛らしさ見えてきましたね、二人とも。
積んできましょう関係性。
直行しましょうボーイミーツガール。
といったところで、また来週。




