芳野律人
天下谷さんは、頷いた。然らば…………────と、話を進めようとした折。
「ぁ、あのっ……!」
やや勢いよく手を上げた彼女に制される形で、開きかけていた口を閉じる。なにか言い出すタイミングを計っている気配は感じていたので、それだろう。
なにを言い出すのかについても……。
「ごめんなさい、ちょっと、その……おば──……家族に、ただいまとだけ」
察するのは容易いというか、至極当然のことだろうなとも。
「勿論。……僕は、」
「ぁ、ま、待ってて、もらえると」
「大丈夫だけど、むしろ大丈夫? 一人で部屋に居させて、その……」
それゆえ、ほぼほぼ用意していた言葉の流れ。
本人さえ「殺風景」と称す環境ではあるが、一応は女子の部屋。必要な気遣いだろうと確認をすれば、天下谷さんは先ほどより幾らか自然に微笑み……──
「気を遣わせるようなものなんて、何も置いていませんから」
「……そっか、了解」
それはそうだろうな、としか言えない事実を列挙すると、部屋を出ていった。
────斯くして、
「………………………………どういう流れなんだ、これ」
一人で取り残された僕は、暫しの間は取り繕う必要性を失った表情を崩す。
天下谷さんの前では諸々の経緯を鑑み、意図して余裕綽々を気取っているものの……アレやコレやが発覚した際から、心の中は変わらず困惑で満ちたままだ。
僕と天下谷さんは、おそらく同類。
それはいい。この目で見てきた異様な〝不幸〟と……そして今になって思えば、もっと不審に思い興味を向けるべきだったのだろう〝髪〟とで、納得している。
招待されて数分で察せられる、複雑な周囲環境の事情。
それもいい。同類であることを納得するのであれば、そういった面も『普通』から外れていること程度は驚くに値しない。同一ではないだろうが、やはり同類だ。
だから、現状唯一、問題なのは────
「………………で、どうする気なんだ。僕」
ほぼ選択肢など無かったとはいえ、あれよあれよと辿り着いてしまった今。
特殊な……特殊が過ぎる境遇同士という、僕たちにとっては巨大が過ぎる共通点があるとはいえ。あれよあれよと────女子の御宅に上がり込んでしまった今。
「────…………っ、すみません! おまたせ、しました……!」
「あぁ、うん」
そして、ここまでの一連の流れによって。天下谷小幸が芳野律人に対して、すっかり「疑う余地もなく」信頼の目を向けてしまっている、今。
「おかえり」
こういうのは、お前の領分じゃないだろう────と。頭の中で憎たらしい顔をした早乙女隼太が、戸惑う僕を指差して楽しそうに笑っている件だろう。
……さて、
「それで、あの…………あの、まだ、芳野君のこと……」
これから足早に、僕が演じた『安心させるために努めた顔』は剝がれていくだろう。さすれば、この急造された信頼と安堵の視線が一体どこまで落ちるのやら。
「言ってない?」
「……………………はい。なんて、言えばいいのかって……」
まあ、元より格好付ける気で演じたわけではないのだ。
「そうだね。じゃあ、とりあえず天下谷さんの家族に事情を話すために────」
それゆえに、
「まずは僕らが、正しく今を理解できるよう努力しよう」
「────はいっ……! よろしく、お願いします……!」
どうでもいいことは置いておき、まずは必要な『お話』に集中するとしよう。
◇◆◇◆◇
そして、僕らは改めて向き直った。
「それじゃ最初に、大前提の確認を改めて」
小さな部屋で、丸机を挟み一対一。
互いの手元には、麦茶が注がれたプラスチック製のコップが一つずつ。
「僕たちは互いに、この世界には〝おかしなこと〟が存在するのを知っている」
真っ直ぐに僕を見る天下谷さんは……件の衝撃的な出来事から一時間程度の間を置いて、流石に多少は落ち着いてきたのだろう。
「これは間違ってない、ね?」
「……、はい」
肯定の根拠の一つでもある白髪を揺らしながら、しっかりと僕の問いに頷いた。
「天下谷さんは、いつから?」
「………………小学校、四年生の時。なので……大体、七年前、です」
「そう。僕は九年前。……だから、小学二年生の頃だね」
そして、それを機に。
「『願い』は、聞かない。お互いに『代償』を詳しく教え合おう。……いい?」
「……………………、はい」
僕たちは、助け合うため絶対に必要な〝自己紹介〟を始める。
まずは、言い出しっぺ。僕からだ。
「僕の『代償』は、一日一善────『毎日一度の〝善行〟を欠かさないこと』」
然らば……まあ、予想通りの反応。
それだけ聞けば確かに『代償』とは言い難い珍妙な僕の強制的ライフワークを聞かされて、天下谷さんは「え?」と目を丸くした。
当然だろう。それだけなら、彼女の〝不幸〟に対して何もかもが軽すぎる。
けれども、
「これを欠かしてしまった場合、僕の身には死ぬほど酷いことが起こるらしい」
続きがある旨を事実として聞かせれば、榛色の瞳に納得が宿った。
……詳しく教え合うとは言ったが、馬鹿正直に隅々までを開示するとは言っていない。別に嘘を言っているわけでもナシ、不要なことは口を噤むべきだろう。
おそらく『死ぬほど酷いことが起こる』どころか『酷いことが起きて確実に死ぬ』などと、直接的かつ致命な代償であることを天下谷さんが知る必要はない。
────つまり、
「どのみち天下谷さんよりは……まあ、軽い代償ではあるね」
嘘偽りなく、過分もなく、彼女には事実だけを伝えればいい。
「軽、い……? ぇ、いえ、あの…………軽い、ですか? それ……」
「軽いでしょ。どっちも同じ〝不幸〟で括れるのかもしれないけど、天下谷さんと違って『回避する手段』が用意されてるんだから。無いのと同じだよ」
全て事実、それが僕の心底にある素直な感想だった。
────欠かせば死ぬ。ならば、欠かさなければ良いだけのこと。
九年前に根底へ根付いた認識を、僕は今に至るまで特に悩まず抱え続けてきた。
……とはいえ、
「毎日、善行……一日一善…………え、と。それって」
「具体的には一体どういうことかって? まあ簡単な話だよ」
いきなり、全ての認識が僕とリンクするはずがない。当然だ。
確実な死という容赦のない結果だけを除けば、代償について特に隠す必要性のある部分は存在しない。そう考え、彼女から齎される問いに答えていく。
ひとつ、〝善行〟とは僕が僕以外の誰かへ手を差し伸べることを指す。
ひとつ、判定の可否は概ね僕の判断に委ねられている。
ひとつ、ストックは不可。一日一善のノルマは絶対不動。
────とまあ、
「ね。箇条書きみたいに上げていけば、本当に大したことないでしょ」
嘘でも、ましてや謙遜でもないのだという事実を伝えれば……暫くの沈黙後。
「…………………………その……芳野、君?」
「うん」
天下谷さんは、僅かばかり。
けれども確かに、僕を見る目を変えて。
「芳野君、も……確か『僕を助けてよ』って…………あの」
「うん、言ったね」
やはり問うものだから、僕は笑って頷いた。
────そうとも。僕は言った、お互い様だろうと。
だからこそ、今度は君の番。
「それじゃ、次は天下谷さんの代償について」
これから僕を助ける、君の〝不幸〟について。僕に話して聞かせてもらおう。




