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メルクニア戦記  作者: 風花
第六章
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鋼の檻、肉体の限界

 アイギス下町の外れ、打ち捨てられた商家の地下室。

 黴臭い空気の中、レオナールはフードを深く被り、三人の男たちと対峙していた。彼らはレオナールの「改革」によって軍を追われ、今は潜伏して牙を研ぐ「不満分子」——その実、レオナールがアルザスへ送り込むための精鋭たちだった。

「……次の新月の夜、西門の衛兵が交代する。その隙に、手配した荷馬車で北へ向かえ。検問の兵には、ポロック侯爵の私印が入った通行証を見せれば通れる」

 指示を出すレオナールの声は、自分でも驚くほど掠れていた。視界が時折、水底に沈んだように歪む。心臓の鼓動が耳元で早鐘のように鳴り、冷や汗が背中を伝っていた。

「殿下、顔色が……。これ以上の密会は危険です」

 元百人隊長の男が案じるように身を乗り出した。だが、レオナールはそれを手で制した。

「構うな。……これが最後だ。アルザスに着いたら、ウルフに伝えろ。……『北極星は、まだ消えていない』と」


 会合を終え、地下室の階段を上がろうとしたその時だった。

 目の前が真っ白に弾け、足元が消失したような感覚に襲われた。膝から崩れ落ちそうになるのを、レオナールは壁に爪を立てて辛うじて踏みとどまる。

(今……ここで、倒れるわけにはいかない……!)

 意識の混濁の中で、本能的な警告が鳴り響く。

 もしここで潜入員に助けられ、運び出されればどうなるか。王宮の監視網が「行方不明の王子」を血眼で探し、この地下室を突き止めるだろう。そうなれば、アルザスへの移送ルートも、これまでの隠蔽工作も、すべてが泡と消える。

「……一人で行ける。それより早く行け」

 助けようとした男の手を振り払い、レオナールは自身の太腿を強くつねった。激痛で無理やり意識を浮上させ、虚ろな足取りで夜の路地へと踏み出す。


 アイギスの王宮までは、果てしなく遠い闇の道だった。

 一歩踏み出すたびに、肺が焼けるように痛み、胃の奥からせり上がる吐き気と戦う。壁を伝い、影から影へ。衛兵の足音が聞こえるたびに、呼吸を止めて漆黒の闇と同化した。

(まだだ……まだ死ねない……。マリスの子供を……ウルフの家族を、この手で地獄へ引きずり込むわけにはいかない……)

 もはや体を引きずっていると言った方が正しかった。指先は冷え切り、視界は狭まり、自分の名前さえ忘れそうになる。ただ一つ、自室のベッドに辿り着かなければならないという強迫観念だけが、彼の肉体を動かしていた。


 隠し通路を経て、ようやく執務室の裏扉に辿り着いた。

 鍵を回す手さえ力が入らず、何度も空振る。最後は自重を預けるようにして扉を押し開け、室内に転がり込んだ。

 月光が差し込む静かな部屋。

 レオナールはよろよろとベッドへ向かい、服を脱ぐ気力もないまま、その上に倒れ込んだ。

「……セ、シリア……」

 喉の奥で、微かにその名を呼んだ。

 それが、レオナールが人間として発した最後の言葉だった。

 直後、張り詰めていた鋼の意志がプツリと断たれ、暗黒の淵へと意識が沈んでいく。

 

 翌朝、セシリアが冷めた茶を下げに部屋に入った時、彼女が目にしたのは、靴を履いたまま、死人のような青白い顔で伏している主人の姿だった。

 王子の寝顔には、もはや「怪物」の険しさはなく、ただ過酷な使命に磨り潰された一人の青年の、あまりにも危うい静止があった。


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