梟の視線
アーシア国王ユヌベクスは、深夜の執務室で独り、机の上に広げられた巨大な王国の版図を見下ろしていた。
アイギスの王宮を吹き抜ける風が、窓の隙間から細い笛のような音を立てている。その音は、まるで死者の啜り泣きのようにも聞こえた。
「……完璧すぎるな」
王の呟きは、誰もいない部屋の石壁に冷たく跳ね返った。
机の上には、ここ数ヶ月でレオナールが提出し、実行に移された「改革」の成果が、緻密な数字の羅列となって並んでいる。地方貴族からの権益回収、軍の刷新、不採算な拠点の整理、そして税収の劇的な向上。どれを取っても、アーシアという国を中央集権的な強国へと作り変える、模範的な「王者の執務」だった。
だが、ユヌベクスの本能が、その完璧さの裏側に潜む「空白」を敏感に感じ取っていた。
かつてメルクニアという強大な武力を、その猜疑心一つで葬り去った男である。ユヌベクスにとって、有能すぎる部下や身内は、それだけで心臓を狙う刃と同じであった。
「ポロック」
闇の中から、影が滲み出るようにポロック侯爵が姿を現した。
「御前に」
「レオナールが放逐した古参兵どもの行方は、どうなっている」
「はっ。奴らは各地の酒場で王子を呪い、荒んだ生活を送っております。一部は食い詰めて北の未開拓地へ流れたようですが、組織的な動きは一切ございません。何より、殿下の手によって『無能』の烙印を押された者たちです。放っておいても野垂れ死ぬだけでしょう」
ポロックは嘲笑を浮かべて答えた。彼にとって、金にならない退役兵の動向など、路傍の石を数えるような退屈な作業でしかなかった。
「……そうか」
ユヌベクスは短く応えたが、その瞳の奥の濁りは消えなかった。
ポロックは、目に見える「不満」と「富」しか信じない。だがユヌベクスは知っている。真に恐ろしい裏切りとは、公然とした憤りの中にはない。それは、完璧に計算された「損失」や「移動」の中にこそ潜む。
レオナールが古参兵を切り捨てたことで、近衛の忠誠心は若返り、完全に王の直轄となった。だがそれは同時に、戦場を知る「骨」が王宮から消えたということでもある。
レオナールが地方から無理な徴収を行えば、国庫は潤う。だがそれは同時に、地方の民が王家へ抱く「情」という名の根を、一本ずつ断ち切っているということでもある。
(あ奴は、私の望む『完成された後継者』になろうとしているのか。……それとも、別の何かを作り上げようとしているのか)
ユヌベクスは、地図上のアイギスを指先で叩いた。
レオナールが示している忠誠も、冷酷さも、あまりに隙がなさすぎる。それが「王としての覚醒」なのか、それとも自分にさえ見せていない「真意」を隠すための巨大な仮面なのか、その判別がつかないことがユヌベクスを苛立たせていた。
「レオナールよ。お前がその瞳に何を映していようと構わん」
ユヌベクスはゆっくりと立ち上がり、窓の外、暗闇に沈む街並みを見下ろした。
「だが、お前が積み上げているその石垣が、いつか私を閉じ込める檻にならぬことだけを祈るのだな」
王の瞳に、凍てつくような光が宿った。
もし息子が、自分を超えるために「国」を別の形に作り変えようとしているのなら、それは王位継承の儀礼として受け入れよう。だが、もしその「変革」が、自分たちの立つ基盤そのものを腐らせるためのものだとしたら――。
ユヌベクスは、まだ見ぬ敵の気配を、自分の息子の背後に微かに感じていた。
夜の王宮は、沈黙という名の檻となって、王と王子を等しく閉じ込めていた。
静謐なる崩壊の序曲。その不協和音は、王の耳元で、止むことのない耳鳴りのように響き続けていた。




