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メルクニア戦記  作者: 風花
第六章
89/113

眠れる牙

 アイギス中央軍事演習場には、規則正しい鉄靴の音だけが響いていた。

 かつてのアーシア軍が持っていた、どこか荒々しくも活気に満ちた熱気は消え失せ、そこにあるのは帝国の最新教本に忠実な、機械のような若き兵士たちの群れだった。

 レオナールは、観覧席からその様子を冷徹な眼差しで見下ろしていた。傍らには、近衛副長となったポロック侯爵の息がかかった騎士が、満足げに鼻を鳴らしている。

「素晴らしい。殿下の提唱された『精鋭化計画』のおかげで、使い物にならぬ古参兵をさらに削ぎ落とせました。これこそが新生アーシアの盾にふさわしい姿ですな」

「数は力ではない。維持費ばかりを食う老兵よりも、命令に従順な若者の方が、王都の守護には適している。……そうだろう?」

 レオナールは感情を押し殺して応えた。


 この「精鋭化」こそが、レオナールの仕掛けた毒だった。彼は軍の近代化を名目に、メルクニア一族と共に戦場を潜り抜けてきた経験豊富な古参兵たちを、毎月数十人ずつ、慎重に選別しては「依願退役」へと追い込んでいた。

 一度に動かせば目立つ。だが、ひと月に数十人、それも「怪我」や「素行不良」、「能力不足」という不名誉なレッテルを貼って放逐すれば、王宮の誰も関心を持たない。彼らにとって、戦う術しか持たぬ老兵は、ただの「使い古されたゴミ」に過ぎないからだ。

 レオナールは、放逐する兵士たちにわずかな路銀だけを与え、アーシア各地の宿場町や農村へとバラバラに放り出した。


 アイギスから放り出された男たちは、自分たちを見捨てた王子を呪う「不平分子」として世に放たれる。だが、彼らが向かう先々の酒場や宿には、レオナールが密かに手配した「世話役」が配置されていた。

「行き場がないなら、北の開拓地に腕のいい用心棒を探している村があるそうだ。……食い詰めるよりはマシだろう?」

 そんな噂を、数ヶ月かけて彼らの耳に流し込む。

 職を失い、アーシアという国に絶望した男たちが、生きるために、一見して無関係な「個人的な移動」として北へと流れていく。点として散らされた彼らは、アルザスの境界付近でようやく「線」となり、メルクニアの元へと集結する。

 アーシアの軍事力は、表面上の華やかさを増す一方で、その実戦経験という名の骨格を、レオナール自身の手によって、目立たぬよう少しずつ抜き取られ続けていた。



 執務室に戻ったレオナールの前に、一人の侍女が冷めた茶を運んできた。

 厨房係として潜り込ませている、カステル家の娘セシリアだった。彼女は茶器を置く際、レオナールの指先に触れるか触れないかの距離で、一枚の極小の紙片を滑り込ませた。

「……西方のカステル領より、父からの返信です」

 彼女が耳元で囁いた声は、風のように微かだった。

「近隣の二家も、殿下の『改革』に激しい憤りを見せています。……表向きは、ですが。指示通り、いつでも背後を突く準備を整える、と」

「そうか。ならば、彼らにはさらに過酷な『食糧徴収』を命じよう。反発の声を上げ、王都の目をそちらへ引きつけさせろ。……彼らには酷だが、今はそれが最大の盾になる」

 レオナールは紙片を握りつぶし、無慈悲に命じた。

 味方を守るために、あえて彼らを不遇な境遇へと追い込み、王宮の油断を誘う。セシリアは一瞬だけ悲しげに瞳を揺らしたが、すぐに一礼して部屋を去った。


 レオナールは、窓の外に広がるアイギスの美しい街並みを見つめた。

 ポロック侯爵たちは、手に入れた富で豪奢な邸宅を建て、ユヌベクス王は鉄壁となったはずの軍勢に満足している。だが、彼らが踏みしめている大地は、すでにレオナールが掘り進めた空洞によって、脆く崩れやすくなっている。

(マリス、ウルフ。準備は着実に進んでいる。……君たちが再びこの門を叩くその日まで、僕は喜んで怪物になろう)

 レオナールは、誰にも見せることのない薄い笑みを浮かべた。

 それはかつての穏やかな王子の笑みではなく、獲物を罠の奥深くへと誘い込んだ、孤独な狩人のそれだった。


 静謐なる崩壊の序曲。その旋律は、もはや後戻りのできない狂詩曲ラプソディへと変わりつつあった。

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