表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メルクニア戦記  作者: 風花
第五章
82/113

冷徹なる星図、あるいは黒き追悼

 ゼノス帝国の帝都バルガス。

 大蔵卿フラン・メルクニアは、深夜の執務室で独り、アーシア王国から届いた「一族壊滅」の報告書を見つめていた。

「……そうか。アイゼンの雪原で、父上も、兄上たちも死んだか」

 フランは報告書を机に置き、眼鏡を外して深く椅子に背を預けた。

 脳裏を過るのは、あの敗北の日。鋼鉄卿に敗れ、捕虜としてゼノスへ連行された自分。そして今、かつて自分を捕らえた鋼鉄卿すらも討ち果たし、そのまま帰らぬ人となった父と兄たちの最期。

「死んだ後にまで、私にこのような『非効率な処理』を押し付けるとは。……つくづく、救いようのない、不器用な人たちだ」

 フランの呟きは、掠れていた。

 父エジルが、そして兄たちが、どれほど不器用に「武」を信じ、この腐りかけた王国に忠義を尽くしてきたか。そして、その忠義の果てが、王宮の策謀によるエルムやガインの死という、あまりに惨めな裏切りであったことに、彼は底冷えするような怒りを感じていた。

 眼鏡を外したフランの瞳に、僅かながらの熱が宿り、視界が歪む。


「……フラン。哀しいのでしょう?」

 部屋の影から、ゼノス帝国のリリアーヌ皇女が現れた。彼女はフランの肩に手を置き、その冷たい横顔を覗き込んだ。

「……リリアーヌ様。私は、己の計算違いを恥じているだけです。メルクニアの武が、これほど早く、無価値な政治工作のために消費されるとは。……あまりに、あまりに非合理的です」

 強がるフランの声は、微かに震えていた。リリアーヌは慈愛に満ちた、しかしどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「嘘をおっしゃい。あなたの心、今にも壊れそうな音が聞こえるわ」

「……私は、メルクニアの四男です。一族が遺した負債を清算しなければなりません。泣くのは、すべてを終わらせてからです」

 フランは静かに眼鏡をかけ直そうとした。だが、その手をリリアーヌが止めた。

「いいのよ、フラン。悲しいなら、泣いても」

 リリアーヌはフランの手を退け、その華奢な体からは想像もつかないほど強く、強引に彼の頭を自身の胸に抱き寄せた。

 

 帝国の至宝である皇女の、甘い香りと柔らかな体温。フランは一瞬、拒もうとした。だが、リリアーヌが自分の髪を慈しむように撫で、その胸の鼓動が「独りで背負わなくていい」と告げているように感じた瞬間、彼の中で張り詰めていた糸が、プツリと切れた。

 彼はリリアーヌのドレスに顔を埋め、声を殺して、しかし確かに泣いた。

 父への、兄たちへの、そして救えなかった自分への、やり場のない悲しみと怒りが、熱い涙となって溢れ出した。

 魔法の存在しないこの世界で、数式と知略だけで戦ってきた男が、ただ一人の女性の腕の中で、本来の「息子」であり「弟」であるフランに戻った、刹那の時間であった。


 しばらくして、フランはリリアーヌの体から離れた。リリアーヌはフランの涙を指先で優しく拭うと、静かに微笑んだ。

「さあ、気が済んだのなら、次の策を練りなさい。あなたは、メルクニアの四男なのでしょう?」

「……ええ。お見苦しいところを」

 フランは眼鏡をかけ直した。その瞳からは、先ほどまでの揺らぎは消え、鋭利な刃物のような光が戻っていた。

「……リリアーヌ様。私はこれから、帝国の国庫を動かします。王国の経済を混乱の極致に叩き込み、王や貴族たちが北方の小さな『葬列』に目を向ける余裕を奪います」

「それは、弟たちのための『慈悲』かしら?」

「いいえ。『投資の維持』ですよ。メルクニアという血を、王国の墓場に埋めさせるわけにはいかない。あの子たちが北の大地で牙を研ぎ澄まし、再びこの大陸を揺るがす軍勢となるまで……私が、この帝国の富をもって、彼らの姿を世界から隠し通しましょう」

 フランは、鮮やかな赤のインクで「承認」の印を叩きつけた。


 その夜、帝都バルガスの星空を見上げながら、フランは一度だけ、かつて自分を「四男」と呼んだ男たちの名を、静かに呼んだ。

「……父上。兄上たち。……おやすみなさい。あとは、この『怪物』がすべて引き受けましょう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ