冷徹なる星図、あるいは黒き追悼
ゼノス帝国の帝都バルガス。
大蔵卿フラン・メルクニアは、深夜の執務室で独り、アーシア王国から届いた「一族壊滅」の報告書を見つめていた。
「……そうか。アイゼンの雪原で、父上も、兄上たちも死んだか」
フランは報告書を机に置き、眼鏡を外して深く椅子に背を預けた。
脳裏を過るのは、あの敗北の日。鋼鉄卿に敗れ、捕虜としてゼノスへ連行された自分。そして今、かつて自分を捕らえた鋼鉄卿すらも討ち果たし、そのまま帰らぬ人となった父と兄たちの最期。
「死んだ後にまで、私にこのような『非効率な処理』を押し付けるとは。……つくづく、救いようのない、不器用な人たちだ」
フランの呟きは、掠れていた。
父エジルが、そして兄たちが、どれほど不器用に「武」を信じ、この腐りかけた王国に忠義を尽くしてきたか。そして、その忠義の果てが、王宮の策謀によるエルムやガインの死という、あまりに惨めな裏切りであったことに、彼は底冷えするような怒りを感じていた。
眼鏡を外したフランの瞳に、僅かながらの熱が宿り、視界が歪む。
「……フラン。哀しいのでしょう?」
部屋の影から、ゼノス帝国のリリアーヌ皇女が現れた。彼女はフランの肩に手を置き、その冷たい横顔を覗き込んだ。
「……リリアーヌ様。私は、己の計算違いを恥じているだけです。メルクニアの武が、これほど早く、無価値な政治工作のために消費されるとは。……あまりに、あまりに非合理的です」
強がるフランの声は、微かに震えていた。リリアーヌは慈愛に満ちた、しかしどこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「嘘をおっしゃい。あなたの心、今にも壊れそうな音が聞こえるわ」
「……私は、メルクニアの四男です。一族が遺した負債を清算しなければなりません。泣くのは、すべてを終わらせてからです」
フランは静かに眼鏡をかけ直そうとした。だが、その手をリリアーヌが止めた。
「いいのよ、フラン。悲しいなら、泣いても」
リリアーヌはフランの手を退け、その華奢な体からは想像もつかないほど強く、強引に彼の頭を自身の胸に抱き寄せた。
帝国の至宝である皇女の、甘い香りと柔らかな体温。フランは一瞬、拒もうとした。だが、リリアーヌが自分の髪を慈しむように撫で、その胸の鼓動が「独りで背負わなくていい」と告げているように感じた瞬間、彼の中で張り詰めていた糸が、プツリと切れた。
彼はリリアーヌのドレスに顔を埋め、声を殺して、しかし確かに泣いた。
父への、兄たちへの、そして救えなかった自分への、やり場のない悲しみと怒りが、熱い涙となって溢れ出した。
魔法の存在しないこの世界で、数式と知略だけで戦ってきた男が、ただ一人の女性の腕の中で、本来の「息子」であり「弟」であるフランに戻った、刹那の時間であった。
しばらくして、フランはリリアーヌの体から離れた。リリアーヌはフランの涙を指先で優しく拭うと、静かに微笑んだ。
「さあ、気が済んだのなら、次の策を練りなさい。あなたは、メルクニアの四男なのでしょう?」
「……ええ。お見苦しいところを」
フランは眼鏡をかけ直した。その瞳からは、先ほどまでの揺らぎは消え、鋭利な刃物のような光が戻っていた。
「……リリアーヌ様。私はこれから、帝国の国庫を動かします。王国の経済を混乱の極致に叩き込み、王や貴族たちが北方の小さな『葬列』に目を向ける余裕を奪います」
「それは、弟たちのための『慈悲』かしら?」
「いいえ。『投資の維持』ですよ。メルクニアという血を、王国の墓場に埋めさせるわけにはいかない。あの子たちが北の大地で牙を研ぎ澄まし、再びこの大陸を揺るがす軍勢となるまで……私が、この帝国の富をもって、彼らの姿を世界から隠し通しましょう」
フランは、鮮やかな赤のインクで「承認」の印を叩きつけた。
その夜、帝都バルガスの星空を見上げながら、フランは一度だけ、かつて自分を「四男」と呼んだ男たちの名を、静かに呼んだ。
「……父上。兄上たち。……おやすみなさい。あとは、この『怪物』がすべて引き受けましょう」




