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メルクニア戦記  作者: 風花
第一章
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大幹の落日

アムル王都「アイギス」。その白亜の城壁は、建国以来一度も汚されたことがないという不落の神話に守られていた。だが今、その神話は、かつてその壁を最も強固に支えていた「盾」そのものによって、内側から食い破られようとしていた。

 王宮の会議室。文官バドスは、狂乱の態で机の上の書類をぶちまけていた。

「バカな! 白樺の関所が半刻で落ちただと!? 相手は五千だぞ、なぜ十万のアーシア軍を止めていた要害が、こうも容易く抜かれる!」

「……報告によれば、工作部隊が事前に地下水路を制圧していたとのことです。その、指揮を執っていたのは……」

 報告に上がった伝令が、その名を口にすることを躊躇い、激しく身震いした。

「……四男、フラン・メルクニア殿かと」

 その名が出た瞬間、バドスの顔から血の気が一気に失せ、ガタガタと歯の根が合わぬ音が室内に響いた。数日前、自分の隠し別宅に音もなく現れ、鉄仮面のような無表情で愛人を組み伏せ、地下牢の鍵を奪い去った「あの男」。

 バドスにとって、エジルやカルムの武勇は、政治という盤の上で制御可能な「力」に過ぎなかった。だが、フランだけは違った。彼は盤そのものを焼き払い、計算外の闇から喉元に指先をかけてくる、正体不明の「恐怖」そのものだった。

「……あ、あの化け物か……。あの死神が、もうそこまで来ているというのか……!」

 バドスは膝の震えを隠せず、椅子に縋り付いた。彼が最も恐れていた事態——「政治の通じない殺意」が、軍勢という形を取って王都を飲み込もうとしていた。


 王都正門前。

 漆黒の外套を翻し、メルクニアの兄弟たちが一列に並び立つ。中央には父エジル。その左右を固めるのは、長男カルム、次男ライル、三男クリスの「剛」の三連。そしてその背後、一歩引いた位置で一切の感情を排して佇むのが、四男フランである。

 フランの左右には、彼が飼い慣らした「狂犬」——五男エルムと七男ガインが、兄の合図を飢えた獣のように待ち構えていた。

「……門を開けろ。さもなくば、この街を更地にする」

 エジルの重厚な声が、王都全域に響き渡った。

「黙れ、逆賊メルクニア! 国を売った恥知らずどもに、開く門などない!」

 城壁の上から、バドスの息がかかった近衛騎士たちが叫び、一斉に矢を放つ。だが、その矢が彼らに届くことはなかった。

「……エルム、ガイン。掃除しろ。門の強度は計算済みだ。右の蝶番ちょうつがいを狙え」

 フランが、抑揚のない声で下知を飛ばす。

「了解だ、フラン兄上! 待ってたぜ、この瞬間をよ!」

 五男エルムが、雄叫びと共に馬を蹴り出した。その手には、巨岩をも砕く戦斧が握られている。エルムにとって、フランの指示は絶対だ。模擬戦でその斧を一度も届かせることができなかった兄の「計算」を、彼は神託のように信じていた。

「……次は俺だ」

 七男ガインが、細身のレイピアを抜き放ち、エルムが作った歪みの隙間へと滑り込む。彼のレイピアは、門を固定していた魔法障具の核を正確に貫いた。無機質な破壊ではなく、組織の急所を突くような精密な一撃。

 轟音と共に、不落を誇った王都の門が内側へ向かって崩れ落ちた。

「全軍、突入」

 長男カルムの号令が下る。重装騎兵部隊が、崩れた門から津波のように雪崩れ込んだ。かつての英雄たちの変わり果てた姿に、民衆は悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 路地裏から奇襲をかけようとする近衛兵たちも、六男ウルフと八男マリスの機敏な連携によって、声を上げる暇もなく無力化されていく。

「……フラン兄上、東側の防衛ラインを制圧。近衛の増援は来ません」

 ウルフが返り血を拭いながら報告する。

「……ああ。バドスは今頃、隠し通路から逃げようとしているはずだ。ガイン、あそこを押さえておけ。生かして捕らえる必要はないが、一族の汚名を注ぐための『供述書』を書かせるまでは腕を折るな」

「了解、兄上。……楽しみだよ、あの文官の面を拝むのが」

 ガインは薄く笑い、影に溶けるようにして王宮の裏手へと消えた。


 王宮の大広間。

 ついにメルクニアの一族が、玉座の間へと辿り着いた。

 そこには、震える王を背後に隠し、剣を抜くことすら忘れたバドスが立っていた。

「ま、待て! メルクニア! これは誤解だ! すべては国のための策であり、貴公らへの沙汰も一時的な……」

 バドスの言葉は、歩み寄るフランの足音によって遮られた。

 カツ、カツ、と冷たく響くその音。バドスにとってそれは、あの日別宅の寝室で聞いた「死のカウントダウン」と全く同じ響きだった。

「ひ、ひいっ……! お、前は……! フラン……!」

 バドスはあまりの恐怖に腰を抜かし、床を這いずりながら後ずさった。口の端からは泡を吹き、目は限界まで見開かれている。目の前にいるのは、かつて自分が「使い捨て」にしようとした二十歳の青年ではない。自分の悪行のすべてを把握し、一族の誇りさえも数値化して復讐へと転化させた、知性を持つ災害だ。

「……バドス殿。そんなに怯えては、ペンを握る手が震えてしまう」

 フランが、鉄仮面の奥にある瞳をバドスに向けた。

「貴方の計算違いは二つ。……一つは、俺たちが『誇り』だけで動く組織だと思い込んだこと。そしてもう一つは……」

 フランは一歩踏み出し、床に転がっていたバドスの私信——アーシアとの内通を記した書類を、本人の目の前で踏みつけた。

「……俺たちが、貴方よりも遥かに、この国の『腐り方』を熟知していたことだ」

 エジルがゆっくりと剣を抜く。かつてアムルを守護し、今はアムルを滅ぼす「逆賊」の剣。

 王都アイギスを包む夕刻の光は、もはや栄光の残照ではなく、古い組織が完全に崩壊し、新しい、そしてより過酷な秩序が始まるための、血の色に染まっていた。

「……さて。清掃の時間だ」

 フランの呟きが、静まり返った玉座の間に、終わりを告げる鐘の音のように響き渡った。


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