表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メルクニア戦記  作者: 風花
第五章
74/113

白銀の墓標

 アイゼン要塞の悲報が届いた別邸。かつてエジルが三人の妻たちを前に覚悟を語ったその居室は、今や凍りついたような静寂に支配されていた。

 あるじを失い、息子たちの大半を失った。その凄惨な現実に、女たちはそれぞれの「悲しみ」と対峙していた。


 上座で背筋を伸ばし、一点を見つめているのは正妻のセシルだ。

 彼女が産んだカルム、ライル、クリスの三兄は、父エジルと共に雪原の露と消えた。一族の誇りそのものだった息子たちの死。だが、セシルの瞳に涙はない。ただ、握りしめた拳が白く震え、爪が手の平に食い込んでいるだけだった。

「……旦那様。あの子たちは、最後まであなたの盾として、矛として、見事に散ったのですね。メルクニアの長男として、次男として、三男として。……一点の恥辱もなく」

 震える声で紡がれた言葉は、自分に言い聞かせるための呪文のようでもあった。彼女は、息子たちの亡骸さえ手元にないという空虚を、武門の妻としての矜持で必死に埋めようとしていた。


 セシルの背後には、亡くなった三兄の妻たちが控えていた。

 長男カルムの妻は、夫と同じく厳格な武家の出だ。彼女は乱れ一つない装いで、膝の上で組んだ手を固く結び、夫が果たした「盾」としての責務を称えるように、ただ黙して耐えていた。

 次男ライルの妻は、夫の傷だらけの人生を労るように、彼の遺品となった愛剣の下げ緒を、愛おしそうに指でなぞり続けている。

 三男クリスの妻は、まだ年若く、堪えきれない涙がその頬を絶え間なく濡らしていた。鋭い狙撃手だった夫が、最期にどのような景色を見て倒れたのか。彼女はただ、夫の不在という重圧に、震える肩を抱きしめることしかできなかった。


 その傍らで、第二夫人のカリンは、溢れる涙を隠そうともせずに嗚咽していた。

 自決した五男エルム、そして王の側近に惨殺された七男ガイン。誰よりも血気盛んで、誰よりも真っ直ぐだった我が子たち。

「あんな……あんな死に方があるものですか。戦場ではなく、味方の刃に倒れるなんて。ガイン、どれほど無念だったことか……。エルム、あんなに強かったあなたが、どうして自分に刃を向けなければならなかったの……」

 カリンは床に伏し、激しく畳を叩いた。武家の出である彼女にとって、敗北は覚悟の上だった。だが、王国という身内に裏切られ、磨り潰された息子たちの無念は、彼女の魂を八つ裂きにしていた。


 少し離れた場所で、静かに祈るようにこうべを垂れていたのは側室のリーナである。

 彼女の息子、ウルフとマリスは生き残った。だが、その瞳には安堵の色など微塵もない。

「ウルフも、マリスも……生きて、地獄を見てきたのですね。エジル様、そしてお兄様方。あの子たちの代わりに、あなた方が……」

 リーナは、生き残った我が子の命が、夫や他の息子たちの犠牲の上に成り立っているという事実に、深く胸を痛めていた。彼女は、セシルとカリン、そして連れ合いを失った若い嫁たちの背中に向かって、何度も何度も音もなく頭を下げ続けた。


 ふと、セシルが虚空を見据えたまま、掠れた声で呟いた。

「……フランは。あの子は、今どこで、何を思っているのでしょう」

 その問いに、部屋の空気が微かに揺れた。

 かつてエジルが「あいつの方が、一族をその腕で抱えていたのだな」と評した四男。

 カルムたちが、エルムが、ガインが。そしてエジル本人が。どれほどの覚悟で、何を信じて死地に踏みとどまったのか。帝国の地でそれを知った時、あの冷徹なまでの軍師は、一体どのような顔をするのか。

「あの子だけが、この惨劇の『外』に置かれてしまった。……独りきりで」

 セシルの言葉に、その場の女たちはそれぞれの思いを込めて顔を上げた。

 この場にいない四男の母。そして、一族の血を繋ぐために帝国へと消えた孤独な怪物。

 

 妻たちは、エジルのいなくなった居室で、互いの悲しみを分かち合うことさえできぬまま、降りしきる雪の音に耳を澄ませていた。

 メルクニアという大樹は、その太い枝のほとんどを失った。

 だが、残された女たちは知っている。生き残った息子たちの背後には、いまだ癒えぬ傷を抱え、帝国の闇で牙を研ぐもう一人の息子がいることを。

 

 彼女たちは、涙を拭う。

 いつか来る「その時」まで、この空虚な家を守り続けるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ