黄金の揺り籠
雪の降り積もる王都。メルクニア家の屋敷は、今や「英雄の帰還」を祝う華美な装飾に彩られていた。だが、その周囲を厳重に固めるのは王直属の近衛兵。それは紛れもなく、生き残ったメルクニアの兄弟を閉じ込めるための黄金の檻だった。
馬車から降り立ったウルフの姿は、かつての瑞々しさを失っていた。頬はこけ、目は虚ろだ。自分たちを逃がすために盾となり、雪原に散った父と兄たちの、最期の背中が瞼に焼き付いて離れない。
「……ウルフ!」
その声と共に、屋敷の重い扉が弾かれたように開いた。
現れたのは、第一王女イザベラだった。王女としての矜持も周囲の目も投げ打ち、泥と血に汚れたままの夫に迷わず駆け寄る。
「ああ、本当に……本当に、よく帰ってきたわ……!」
イザベラはウルフの胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。冷たい鎧に頬を寄せて、彼の鼓動を確かめるように強く、強く抱きしめる。その腕の力強さは、死地を潜り抜けて魂の抜けた男を、現世へと繋ぎ止める確かな錨だった。
「ウルフ、ひどい顔ね。……辛かったわね。怖かったわね。でも、もう大丈夫よ。ここはあなたの家。私が、あなたを誰の手からも守り抜いてあげる」
その瞳には、かつての支配的な執着ではなく、大切な存在を二度と失いたくないという痛切な決意が宿っていた。ウルフは動かない。ただ、彼女の震える肩から伝わる温もりだけが、凍りついた彼の心を微かに溶かしていくのを感じていた。
イザベラに促され、夢遊病者のように奥の間へと導かれたウルフは、そこで足を止めた。柔らかな光に満ちた揺り籠の中で、小さな命が眠っていた。
「ご覧なさい、ウルフ。私たちの……メルクニアの新しい命よ」
イザベラが慈しむように赤子を抱き上げる。ウルフが戦場に消えて数月、彼女は一人でこの子を産み、慈しみながら夫の帰りを待っていたのだ。
「……名前は?」
ウルフが、掠れた声でようやく問いかける。イザベラは微笑んだ。その微笑みは、一人の母としての、深く澄んだものだった。
「まだ決めていないわ。あなたが帰ってきてから、二人で決めたかったから。……お父様や、お兄様たちの名を無理に継がせる必要なんてない。この子は、過去の重みを背負うために生まれたのではないもの。ただ、あなたに愛されるためだけに、この世に来たのよ」
イザベラは赤子をウルフの腕に預けた。
鉄の臭いしか知らなくなった両腕に、驚くほど軽くて温かい重みが加わる。その瞬間、ウルフの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……俺と、マリスを……生かしてくれて、ありがとう、イザベラ」
「何言ってるの。あなたが生きているから、この子が、メルクニアの明日が繋がったのよ。……今は何も考えなくていい。この子の父親として、私だけの夫として……ゆっくり休みなさい」
イザベラは、憔悴しきったウルフを寝台へと誘う。彼女は彼の鎧を一つずつ丁寧に、指先の温もりを伝えるように脱がしていった。ウルフは、彼女の柔らかな肌の香りと、赤子の微かな寝息に包まれながら、数カ月ぶりに安らかな眠りへと沈んでいった。
同じ頃、マリスもまた、エレナと共に静かな時間を過ごしていた。
彼もまた、失ったものの大きさに打ちひしがれ、自分が生き残った意味を自問自答していた。そんな彼の震える手を、エレナが両手で包み込む。
「マリス様。今は、ただ息をしているだけでいいの。……あなたが無事に私の元へ帰ってきてくれた。それだけで、私は救われたのですから」
エレナの優しい声に、マリスは小さく頷いた。
窓の外では、まだ雪が降り続いている。だが、その冷たい雪の下で、メルクニアの新しい根は、王女たちの愛という潤いを得て、静かに再生の時を待っていた。
遥か北の空の下、帝国にいるはずの四男フランを想う。
いつかまた、本当の意味で「家族」として笑い合える日が来ることを、彼らは微かな希望として胸に抱くのだった。




