朱き雪原、獅子の咆哮
翌朝。アイゼン要塞の巨大な城門が、凍りついた地響きを立てて開いた。
降り積もった純白の雪を蹴立てて現れたのは、アーシア王国最強の先鋒――メルクニア一族とその私兵、わずか二千であった。
その背後、要塞の安全な城壁の上には、ユヌベクス王とパルパト侯爵率いる譜代の軍勢が、高みの見物と言わんばかりに陣取っている。
「……父上。あれは、処刑と変わりありません」
王の傍らに立つレオナール王子が、青ざめた顔で進言した。
「四男フラン殿が軍神に敗れ、捕虜となってから一族は揺れています。彼らはエルム殿を失ったばかりなのです。せめて、譜代の第二陣を――」
「レオナールよ。帝国に屈した敗将の家族に、これ以上の慈悲が必要か?」
ユヌベクスは、冷徹な眼差しを雪原に向けた。
「フランが帝都でどのようになっているか詳しくは知らぬ。だが、その汚名を雪ぐ機会を予は与えてやったのだ。……彼らが軍神を道連れにして全滅すれば、それはそれで王国の語り草になろう」
ユヌベクスにとって、牙を向いたメルクニアはすでに「敗残兵の一族」という便利なレッテルを貼られた、使い捨てるべき駒に過ぎなかった。
対峙する帝国軍の中央。
そこには、一騎の巨馬に跨る「鋼鉄卿」の姿があった。
不気味な黒鉄の鎧に身を包んだその男が、無造作に剣を掲げる。それだけで、帝国の精鋭たちが地を揺らして進軍を開始した。
「全軍、抜刀!!」
父エジルの咆哮が、凍てつく大気を裂いた。
「我らは王の盾ではない! メルクニアの意地を見せよ! 鋼鉄の軍勢を食い破り、我らの価値をあの王の眼に焼き付けてやるのだ!」
一族二千の精鋭が、万の叫びにも勝る咆哮と共に、帝国の鉄壁へと激突した。
次男ライル、三男クリス、六男ウルフ、そして末弟マリス。彼らの奮戦は凄まじく、数倍の帝国軍を相手に一歩も引かぬ修羅の戦いを見せる。
だが、フランの緻密な戦術指揮を欠いた今のメルクニアは、ただ「個の武勇」で押し通すしかない。帝国軍の整然とした波状攻撃の前に、メルクニアの兵は一人、また一人と雪原に沈んでいく。
戦況は、絶望的だった。
右翼を守っていたウルフの部隊が、帝国重装騎兵の突撃を受けて分断される。
「ウルフ! 持ちこたえろ!」
ライルが叫び、大剣を振るって駆け寄ろうとするが、自らも複数の敵将に囲まれ、身動きが取れない。
城壁の上で見守るレオナールは、マリスの旗が敵の黒い波に飲み込まれそうになるのを見て、ついに耐えきれず叫んだ。
「父上! 今です! 左右の譜代兵を動かせば、メルクニアを救い、帝国軍の側面を突けます!」
「ならぬ」
ユヌベクスは短く切り捨てた。
「今動けば、我が軍にも被害が出る。……メルクニアが全滅する瞬間こそが、帝国軍が最も疲弊する時だ。その時を待て」
王は、娘婿たちの命が尽きるのを、砂時計が落ちるのを待つように静かに眺めていた。
戦場の中心。
エジルは、目の前に立ち塞がる黒鉄の巨影――鋼鉄卿を見据えた。
フランを奪い、一族を破滅へと追いやった元凶。
「……フラン、見ていろ。お前がいないこの戦場、俺たちがどう戦い、どう散るか。……メルクニアの幕引き、とくと見せてやる!」
エジルが突進する。
一切の計算を捨て、ただ「一族の長」としての誇りだけを乗せた一撃。
朱く染まった雪原の上で、メルクニアと鋼鉄卿、そして王の謀略が最悪の形で交差しようとしていた。




