黄金の檻
数日前まで、アイゼン要塞はメルクニアの獅子たちが血を流して勝ち取った、誇り高き「最前線」であった。しかし今、そこは見る影もなく塗り替えられている。
無骨な石壁には戦場には不釣り合いな金糸の垂れ幕が下ろされ、兵たちの寝床であった広間は、王都から運び込まれた高級家具と、譜代貴族たちが持ち込んだ贅沢な酒の匂いで満たされていた。
王宮の使用人が、傷ついたメルクニアの将兵を乱暴に押し除ける。
「邪魔だ、どけ! 陛下の御食卓を汚す気か!」
前線で死線を潜り抜けてきた兵たちは、自分たちの居場所を奪い、手柄を当然のように享受する「よそ者」たちを、殺意の籠もった沈黙で見つめていた。
要塞の中央会議室。
上座に鎮座する国王ユヌベクスは、以前の「アムル併合」の際にメルクニアを謀略で追い詰めた時と同じ、湿り気を帯びた眼光を放っていた。
その左右を固めるのは、メルクニアを「成り上がりの外様」として憎む譜代の老将・ヴォルガ侯爵の一派である。
「――して、エジル卿。四男フランの件、誠に……誠に同情を禁じ得ぬ」
ユヌベクスが重々しく口を開いた。その声には、一族の悲劇を悼むような「完璧な芝居」の響きがあった。
「帝国から流れてきた不吉な噂、予の耳にも届いている。奴が帝都で重用されているという話……信じたくはないが、火のない所に煙は立たぬ。もしや、帝国はあの賢明なフランを使い、メルクニアを懐柔し、王国から引き抜こうとしているのではないか?」
エジルは膝を突き、言葉を失った。王はフランの生存を喜んでいるのではない。フランが帝国で地位を得たことに対し、メルクニア一族の離反を危惧すると同時に、「メルクニア一族全体に反逆の疑いをかけ、永遠に自分の監視下に置くための楔」として利用しようとしているのだ。
「陛下、あり得ませぬ! フランは我らを逃がすために――」
次男ライルが叫びかけるが、ユヌベクスは優雅に手を挙げてそれを制した。
「分かっている、ライル卿。予は貴殿らを信じたい。だが、王国の法と譜代の将たちの疑念を払拭せねばならぬ。……ゆえに、今回の親征は『メルクニアの忠義を証明するための場』とする」
ユヌベクスは、卓上に広げられた地図に細い指を置いた。
「フランという天才が帝国側にいるのであれば、奴は必ず身内の甘さを突いてくる。ゆえに、メルクニアを攻勢に出すわけにはいかぬ。それは、フランへの『手土産』を持たせるようなものだ」
三男クリスが、王の言葉の裏にある残酷な合理性に背筋を凍らせた。ユヌベクスは軍事の素人だが、「人間を縛る方法」については天才的だった。
「エジルよ。貴殿らには、予を護衛する『絶対の壁』となってもらう。この要塞に留まり、陛下を害しようとする者が一兵たりとも通らぬよう、一族の命を賭して守れ。攻勢は、ヴォルガ侯爵率いる王軍本隊が行う」
会議室に衝撃が走った。
鋼鉄卿という怪物を相手に、戦場を知らぬ譜代の将を突撃させ、熟練のメルクニアを「王の警護」という名目で要塞に釘付けにする。それは、軍事的には自殺行為だが、政治的には「メルクニアを王の盾として使い潰しつつ、手柄は譜代に与える」という完璧な策だった。
「陛下! 鋼鉄卿は健在です! 奴の戦術を分かっていない者が打って出れば、この要塞ごと孤立します! これは……これは『邪魔』でしかありません!」
クリスが激昂して叫んだ。しかし、ユヌベクスは細く目を細め、不気味に微笑んだ。
「『邪魔』か。予を守ることが、貴殿らには邪魔か? ……もし攻勢を望むなら、まずフランが『反逆者』であることを公式に認め、その首を自ら獲ると誓うか?」
沈黙が部屋を支配した。
フランの生死、そして真意が不明な今、その誓いは兄弟の縁を断つに等しい。
エジルは拳を震わせ、頭を床に擦りつけた。
「……承知いたしました。陛下。メルクニア、命に代えて陛下をお守りいたします」
背後には、メルクニアを「反逆予備軍」として監視し、足枷となる謀略の王。
前方には、鋼鉄卿の武力と、フランが整えた無慈悲なシステム。
王国軍はもはや、外敵と戦うための組織ではなかった。
互いに疑いの視線を向け合い、家族の絆すらも「弱点」として利用される、黄金の檻へと変貌していた。




