表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メルクニア戦記  作者: 風花
第四章
62/113

獅子の懸念、王の影

 奪還したばかりのアイゼン要塞司令官室。石壁に染み付いた帝国の硝煙の匂いも消えぬうちに、長男カルムが持ち込んだ一報は、勝利の熱狂を瞬時に凍りつかせた。

「……親征だと? 正気か、あの古狸は」

 五男エルムが、苛立ちを隠さず報告書を机に叩きつけた。分厚い木製の机が悲鳴を上げ、書類が散らばる。

「俺たちが死に物狂いでこの城を奪い返し、ようやくフラン兄の行方を追う手がかりを掴もうって時に……! 王軍が来りゃ、俺たちはその接待と警護に駆り出される。前進どころか、あいつの『椅子』を運ぶために足止めを食らうようなもんだ!」

 エルムにとって、フランは調練で一度も勝てなかった畏怖すべき兄だ。その兄が捕虜のまま行方不明だというのに、政治的なパレードの護衛を強いられる屈辱に、彼は拳を震わせていた。


「エルム、言葉を慎め。……と言いたいところだが、今回ばかりは私も同感だ」

 次男ライルが重々しく口を開いた。アイアン・ピークで鋼鉄卿に敗れ、フランに命を救われた彼にとって、今回の要塞奪還は「ようやく弟を助け出すための入り口」に立ったに過ぎない。

「陛下は、我々メルクニアがこれ以上の功績を独占することを良しとしていない。我々の軍功を王室の功績に塗り替え、同時に我々の首に直接鎖を繋ぎ直すおつもりだろう。だが、それ以上に……」

 三男クリスが、ライルの言葉を引き継ぐように冷ややかな視線を地図に落とした。かつてフランとは意見の合わずに対立もしたが、負傷した二人の兄を馬車に乗せ、地獄の戦場を走り抜いたあの日。自分たちを逃がすために爆炎の中に消えた「弟」の背中が、今も目に焼き付いて離れない。

「今の状況で王が戦場に来るなど、軍事的には『邪魔』以外の何物でもない。陛下は自らが最大の弱点になることを理解していないのか、あるいは理解した上で我々を縛るためにあえて身を晒しているのか……。鋼鉄卿が健在であるこの最前線に、軍事の素人である王が鎮座してみろ。我々は攻勢どころか、王を守るためだけに兵力の半分を割かれ、手足をもがれたも同然の状態になる」


「さらに問題なのは、陛下が連れてくる連中だ」

 カルムが忌々しげに付け加えた。王都で譜代貴族の醜悪な嫉妬を目の当たりにしてきた彼は、親征軍の内実を誰よりも把握していた。

「陛下に付き従ってくるのは、戦場を知らぬ譜代の将や、我々を『卑しい降将』と蔑む貴族共だ。奴らは机上の空論で戦を語り、手柄だけを掠め取ろうとする。メルクニアの武が目立つことを疎む連中が、補給や行軍の指示を出す立場に座るんだ。鋼鉄卿という怪物を相手にしながら、背後からは無能による足の引っ張り合いと、嫉妬による毒が回ってくる」

 三男クリスが、地図上の北進ルートを指先でなぞった。

「フランなら、この親征軍の陣容を見ただけで『ゴミの山だ』と切り捨てるでしょうね。戦場を分かっている我々外様の将と、机上でしか兵を動かせない譜代の将が混在し、さらに我々への憎悪を隠さない貴族が監視に回る。そんな烏合の衆で、どうやって軍神の逆襲を凌げというんだ。陛下という名の重荷を背負い、内側からの裏切りに怯えながら戦えと? 狂気の沙汰だ」


 当主エジルは、窓の外で翻る王国の旗をじっと見つめていた。ユヌベクスはメルクニアを高く評価している。だからこそ、その力を「自分以外の何物にも振るわせない」ために、自らを人質にするかのように、そして嫉妬に狂う貴族共を焚き付けて、監視役として最前線まで連れてくるのだ。

「……陛下が到着すれば、我々の自由は死ぬ」

 エジルの低い声が、司令官室の空気をいっそう冷やした。

「王の安全と貴族共のメンツを最優先すれば、フランを捜索する小部隊すら勝手には出せなくなる。奴がまだ生きて帝都へ送られているのだとすれば、時間は一刻を争うというのに。……陛下は、我々がフランを救い出すことなど望んでいない。ただ、我々の忠誠心を王座を守るための『物言わぬ盾』として使い潰したいだけなのだ」

 その言葉に、末弟組の三人が静かに顔を上げた。

 六男ウルフ、七男ガイン、八男マリス。

 ウルフとマリスには王女という守るべき絆があるが、それでも自分たちを逃がすために犠牲となった四男フランを「便利な道具」として扱う主君と、その腰巾着の貴族共への不信感はもはや限界に達していた。

「……兄さん。陛下がいらっしゃったら、僕たちはもう『フラン兄さんの弟』としては動けなくなる」

 六男ウルフが、かつての気弱さを微塵も感じさせない鋭い声で言った。イザベラに強引に愛され、鍛え上げられ、「将」として覚醒した彼の瞳には、王への忠誠よりも、一族の絆への執着が宿っていた。

「親征軍が到着するまでの数日が勝負だ。譜代の無能どもに指揮権を奪われ、陛下を守るための番犬に成り下がる前に、少しでも北の情報を集める。陛下に『フランは死んだ、諦めて王の盾になれ』と命じられる前に、我々が奴の生存を証明するしかないんだ」

 末弟のマリスも、腰の剣の柄を握りしめ、静かに頷いた。

 要塞奪還という大戦果の陰で、メルクニアの一族はかつてない孤立感に苛まれていた。

 

 背後からは「巨大な弱点」と「嫉妬」を抱えた主君が迫り、前方には復讐を誓う軍神が潜んでいる。

 奪還したばかりのアイゼン要塞は、彼らにとっての勝利の地ではなく、王室という名の巨大な檻、そして死地へと変わりつつあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ