非情なる転進
帝都を後にし、南へと続く街道を鋼鉄卿の親衛隊が疾走していた。
この半年、アイゼン要塞は膠着していた。ヴォルガという右腕を序盤に失いながらも、鋼鉄卿という存在が鎮座しているだけで、メルクニアの猛攻を完封し続けてきたのだ。
だが、その不落の神話が、自身のわずか数日の不在によって崩れ去った。
「……報告しろ」
前方から合流した伝令に対し、鋼鉄卿は馬を止めることなく短く命じた。
伝令は並走しながら、悲痛な声を張り上げる。
「はっ! 閣下が婚礼の儀のため帝都へ発たれた二日後、メルクニア全軍が総攻撃を開始! ヴォルガ殿亡き後、守備を固めていた中堅将校らが次々と討ち取られ……アイゼン要塞は、陥落いたしました!」
兜の奥で、鋼鉄卿の瞳が鋭く細められた。
「……半年の膠着を、数日で食い破ったか。奴ら、私の『圧』が消えた瞬間を逃さなかったというわけだ」
鋼鉄卿は、握りしめた手綱に力を込めた。
ヴォルガを失ってなお、力でねじ伏せてきたメルクニア一族。彼らが、ただ一点の「不在」を突いて、執念深く食らいついてきたことに、驚きに似た憤りを感じていた。
「閣下! 奪還された要塞へ急行し、賊軍を即座に排除しましょう! 今ならまだ、要塞の再構築は……」
「……いや、必要ない」
鋼鉄卿は、部下の進言を冷たく切り捨てた。
脳裏に浮かぶのは、先ほど帝都で顔を合わせたばかりの、かつて「捕虜」と呼んだ男――フラン・メルクニアの冷徹な横顔だ。
(……フラン。貴様が帝都でリリアーヌ皇女の隣に収まり、帝国の財布を握り始めたこの瞬間に、貴様の父と兄たちが要塞を奪い返したか)
鋼鉄卿は、この状況がもたらす「残酷な対比」に、歪んだ笑みを零した。
メルクニアの家族たちは、今頃、自分たちが奪い返した石造りの城の中で、空の牢獄を前に絶望しているだろう。あいつはどこだ、どこへ連れ去られたのだ、と。
その必死な姿は、既に帝国の頂点へと手をかけ、かつての一族など「利用すべき駒」の一つとしてしか見ていないであろうフランの冷徹さと、あまりにかけ離れている。
「——全軍、速度を上げろ。目標はアイゼン要塞ではない。その先、新たな防衛線だ」
鋼鉄卿は、あえて奪還された要塞を放置する決断を下した。
「要塞など、またいつでも奪い返せる。だが、奴らに『勝利』という名の毒を飲ませておくのも悪くない」
彼は再び馬に拍車をかけた。
メルクニアの兄弟たちは、要塞を落としたことで、フランに近づいたと信じているはずだ。だが実際には、彼らが進めば進むほど、帝国の深淵に潜む「変貌した弟」との決定的で残酷な決別が近づいてくる。
「……フラン。貴様なら、この状況をどう料理する? 貴様を救おうと必死に北進してくる、あの哀れな家族たちを」
軍神は、失った要塞に背を向け、南の空へと視線を向けた。
そこには、勝利に沸き、そして一人の弟を求めて彷徨う、誇り高き獅子たちの末路が見えるようであった。




