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メルクニア戦記  作者: 風花
第四章
59/113

廃城の残響

 アイゼン要塞を包囲するメルクニア軍の陣容は、数ヶ月前とは比較にならぬほど強大になっていた。

 長男カルムが王都で貴族たちを恫喝し、力ずくで動かした二万の重装軍団が、雪原を黒く塗りつぶしている。

「……待たせたな、父上。弟たちも」

 軍団を率いて現れたカルムは、王都での政争を経て、その瞳に以前にも増して冷徹な光を宿していた。

 かつてフランを「冷徹な軍師」と呼び、一線を引いていた上位の兄たちも、今は一様に沈痛な決意を固めている。アイアン・ピークでフランに命を救われた次男ライル、三男クリスにとって、この奪還作戦は一族の汚名を雪ぐためだけでなく、自分たちが犯した「弟を捨てた」という罪の清算でもあった。


 これまで半年間、アイゼン要塞は絶望の象徴だった。

 だが、最前線を守り続けていた末弟たちの肌が、奇妙な「弛緩」を感知した。

「……父上。城から響く拍動が、昨日からわずかに揺らいでいます」

 クリスが報告する。確証はない。だが、鋼鉄卿という名の重圧が、ほんの数ミリだけ浮き上がったような浮遊感。

 

「罠かもしれん。……だが、もし奴が隙を見せたのなら、二度とない好機だ」

 エジルは、愛剣の柄を強く握りしめた。捕虜となったあの日、フランが残した「生存を最優先に」という言葉が、呪いのように耳に残っている。

(フラン、貴様を地獄から引きずり戻してやる。……生きてさえいれば、それでいい)


「——全軍、開門だ! 押し通るぞッ!」

 深夜、王都の援軍とメルクニア本隊が、巨大な波となって要塞に襲いかかった。

 先陣を切るのは五男エルム。フランへの拭えぬ恐怖を、すべて暴力へと転化させた大剣が、要塞の第二門を文字通り粉砕する。

「どけえッ! フランを返せッ! どこへ隠したッ!」

 帝国軍は激しく抵抗した。だが、彼らは知らなかった。

 鋼鉄卿という絶対的な「脳」を一時的に欠いた帝国軍は、もはやメルクニアという「飢えた獣たち」の敵ではないことを。

 ライルとクリスが重装歩兵を率いて着実に回廊を封鎖し、ウルフとマリスが影のように敵の指揮官を間引いていく。

 制圧は、驚くほど速かった。

 鋼鉄卿さえいれば、数週間の籠城を許したであろう要塞は、一晩にしてメルクニアの手に落ちた。


「フラン! フランはどこだ!」

 ガインとマリスが、血相を変えて地下牢へ飛び込んだ。

 だが、そこで彼らが見たのは、もぬけの殻となった冷たい牢獄だけだった。

 

 床には、かつてフランが身につけていたであろう、泥に汚れた王国の外套が、無造作に捨てられていた。

「いない……。どこにも、いないのか……?」

 マリスが、その外套を拾い上げ、震える声で呟く。

 命懸けで、王都の軍勢まで動かして辿り着いた場所。だが、そこに弟の姿はなかった。

 エジルが天守に足を踏み入れたとき、そこには主を失った鋼鉄卿の椅子と、乱雑に片付けられた書類の山があった。

 エジルは、その山の中に、フランが愛用していた、あるいは帝国側から与えられたと思わしき、端の欠けたペンが一本落ちているのを見つけた。

「……あいつ、殺されたんじゃ、ないだろうな」

 エルムが、震える声で問いかける。

 奪還した要塞に、勝利の歓喜はなかった。

 

 フランを救い出す。その一点を支えに戦ってきた兄弟たちの前に広がっていたのは、「あいつはどこへ消えたのか」「既に処刑され、別の場所へ捨てられたのではないか」という、底知れない不安の闇だった。

「北だ」

 エジルが、短く、そして重く言った。

「帝国が奴を連れ去ったのなら、さらに北へ……帝都へ向かうしかない。全軍、休息の後、北進の準備をせよ」

 フランの生存すら不確かなまま、メルクニア一族はさらなる深淵へと足を踏み入れようとしていた。彼らはまだ知らない。自分たちが「救おう」としている弟が、今この瞬間、帝都でリリアーヌ皇女の隣に立ち、世界の均衡を揺るがす軍師として新生していることを。

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