帝国の再起動
バルド公国での戦果と、帝都の物資安定。フラン・メルクニアの功績は、もはや「捕虜の働き」という枠を超え、帝国の根幹を揺り動かし始めていた。
だが、フランが次に見据えたのは、力による強制ではない。帝国の歪んだ構造を正し、リリアーヌが治めるべき未来を「持続可能なもの」に書き換えることだった。
「……殿下。私は貴女に、恨みや恐怖で満ちた玉座を継がせるつもりはありません」
リリアーヌの私室で、フランは丁寧に綴じられた数冊の計画書を並べた。それは、帝国の全領地における物流、徴税、そして「民衆の購買力」を克明に解析した、かつてない国家再建案だった。
「恐怖は短期的には機能しますが、長期的には反逆のコストを増大させる。私が貴女の隣に立つためには、帝国中の人間が『フラン・メルクニアこそが、我らの生活を豊かにした救世主である』と認めざるを得ない状況を作る必要があります」
数日後、フランは皇帝と有力貴族たちが集う「国是会議」の場で、静かに、しかし有無を言わせぬ説得力を放った。
「陛下。現在、帝国の国庫を圧迫しているのは、不透明な徴税ではなく『流通の目詰まり』です。私は各領地を繋ぐ街道の整備と、商取引の法制化を提案します。これにより、貴族の方々の私服を肥やす余地は減りますが……代わりに、領地全体の総生産は、三年間で一点五倍に拡大する。……私利を捨て、この拡大の恩恵に預かるか、あるいは旧来の腐敗と共に沈むか。……どちらが『名門』として賢明な選択かは、火を見るより明らかでしょう」
フランの提示した数字には、単なる脅しではなく、各家門が手にする「正当な利益」の増大が明確に記されていた。
反対しようとした貴族たちも、目の前に提示された「一族が数十年先まで繁栄し続けるための精密なシミュレーション」を前にして、口を閉ざさざるを得なかった。フランを排除することは、自らの家門の繁栄を捨てることと同義になったのだ。
「フラン・メルクニアよ」
玉座から、皇帝が鋭い眼光を向ける。
「貴公の策は、帝国に未曾有の豊穣をもたらすだろう。だが、それは同時に、貴公という『知略』がなければ、この巨大な機構が維持できなくなることを意味する。……貴公は、帝国そのものを自らに依存させようというのか?」
「依存ではありません。陛下。……『最適化』です」
フランは一歩も引かず、皇帝を見据えた。
「私がリリアーヌ殿下の隣に立つ。それが帝国にとって最も損失が少なく、最も利益が大きい選択であると、今この場のすべての数字が証明しています。……私は、殿下を支えるための最強の『道具』であり、同時にこの国を繁栄させるための『鍵』となる。……これ以上の婚姻の理由が、他に必要でしょうか?」
静寂が広間を支配した。それは恐怖による沈黙ではなく、フランという男の圧倒的な「正しさ」に気圧された沈黙だった。
皇帝はゆっくりと、しかし確かな満足感を湛えて深く頷いた。
「……面白い。捕虜から軍師、そして帝国の心臓か。……娘が選んだのは、単なる愛欲の対象ではなく、帝国そのものを背負って立つ覚悟のある男であったということだな」
この日、フラン・メルクニアに「帝国大蔵卿」の地位が授けられた。
それは、帝国の富のすべてを管理し、リリアーヌを支えるための絶大な権威。
もはや誰も、彼を「敗将」とは呼ばない。彼は、帝国がその存続のために自ら求めた、唯一無二の伴侶としての地位を確立したのだ。
「……フラン。貴公、本当に凄いわ。……みんな、最後は笑顔で貴公に頭を下げていたもの」
会議の帰り道、リリアーヌが誇らしげにフランの腕を取った。
フランは少しだけ表情を和らげ、彼女の手の上に自らの手を重ねた。
「……恐怖で従わせるのは、二流の策です。……貴女が愛される皇帝となり、私がその陰で、すべてが円滑に回るように計算し続ける。……それが、私の描く最も美しい数式ですから」
フラン・メルクニア。
彼は今、知略という名の献身をもって、リリアーヌとの婚姻という「正解」へ向けて、帝国の歴史を塗り替えようとしていた。




