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メルクニア戦記  作者: 風花
第三章
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所有権の定義

 ゼノス帝国、白銀の謁見の間。

 高く聳える玉座に鎮座するのは、この広大な版図を一代で盤石にした「皇帝」であった。鋼鉄卿が北境でメルクニア一族との睨み合いに就いている今、この場に漂うのは純粋な、皇帝という個の威圧感のみ。

 中央には、リリアーヌがフランの手を引いて立っている。


「……リリアーヌ。冗談も大概にせよ。鋼鉄卿から送り届けられたその男は、帝国の敵たるメルクニアの敗将に過ぎぬ。客分に据えるのみならず、隣に置くなどと……貴様の正気を疑わざるを得ん」

 皇帝の重圧を伴う声が広間に響く。並み居る貴族たちが息を呑む中、フランは一歩前へ出た。周囲に配置された近衛兵たちの殺気は、アイアン・ピークの冷気よりも鋭い。

「……陛下。理屈を申し上げてもよろしいでしょうか」

 フランの声は、震えても、怯えてもいなかった。

「私は私生児として生まれ、国にも裏切られ、死に場所を求めてここへ来ました。ですが、リリアーヌ殿下は、そんな『廃棄物』に等しい私に、皇族としての特権を賭けて価値を見出された。……もし今、陛下が私を処刑されるというなら、それは私を殺すことではなく、殿下の『眼力』と、ひいては帝国の『投資判断』が誤りであったと宣誓することに他なりません」

「ほう……。抜かせ。貴様一人の命に、それほどの価値があると?」

「私自身に価値はありません。ですが、私の持つ『知略』がリリアーヌ殿下のために振るわれる時、それは帝国に十万の兵を養う以上の利益をもたらします」

 フランは懐から一束の書簡を取り出した。それは、彼が捕虜としての生活の中で、帝国の物流・防衛網を解析し、その欠陥と改善案をまとめた「帝国再構築案」であった。

「これは、私が殿下への忠誠の証として用意した、帝国の『脆弱性』のリストです。これを知る私が他国へ流れるか、あるいはここで死んで灰になるか。……それとも、殿下の隣で帝国の盾となるか。……陛下にとって、最も『効率的な選択』はどれか、計算するまでもありません」


 静寂が謁見の間を支配した。皇帝はフランが差し出した書簡に目を落とした。北境で鋼鉄卿を梃子摺らせている一族の「頭脳」が、今、自ら帝国の首筋に刃を当てながら、同時にその刃を自分たちに捧げると言っている。

「……リリアーヌ。貴様、この毒蛇を飼い慣らせると本気で思っているのか」

「ええ、お父様。飼い慣らすつもりなんてありませんわ」

 リリアーヌは不敵に微笑み、フランの腕を強く引き寄せた。

「私が彼を愛し、彼が私を愛する。それだけで、この毒は世界で最も頼もしい『薬』になりますの」

 皇帝は鼻で笑い、玉座の背にもたれかかった。

「よかろう。フラン・メルクニア。貴様の命、リリアーヌの『所有物』として預ける。だが、もし貴様の計算が一分でも狂い、帝国に不利益をもたらしたその時は――貴様の首をリリアーヌ自らに撥ねさせる。……それでも、殿下の隣に立つ覚悟はあるか」

 リリアーヌの指先が、フランの手の中で微かに跳ねた。フランは真っ直ぐに皇帝を見見据え、深く、優雅に一礼した。

「……望むところです。私の計算に、敗北の二文字はありません」


 こうして、フランは公式に「捕虜」から「リリアーヌ直属の軍師」へとその地位を転換させた。北境で戦う兄弟たちが、自分を救い出そうと鋼鉄卿の壁に挑んでいる間に、彼は帝国の内側から、全く別の形で世界を書き換えようとしていた。


 謁見の間を辞し、静まり返った回廊を二人は歩いていた。

 フランの背中には、先ほどまでの皇帝の殺気と、近衛兵たちの冷たい視線の余韻がまだこびりついている。

「……殿下。今の条件、理解されていますか? 『軍師』として私の首が繋がったのは、あくまで私が帝国に利益を出し続ける限りです。陛下は私を、貴女の『伴侶』としてではなく、便利な『道具』としてしか認めていない」

 フランがいつもの理屈を並べようとしたその時、リリアーヌがぴたりと足を止め、彼の正面に回り込んだ。

「いいのよ、それで。お父様はああ言わないと、貴族たちの手前、貴公を生かしておけないもの」

 彼女はフランの襟元を整えるふりをして、ぐいと顔を近づけた。その瞳には、玉座の前で見せた「皇女」の顔ではなく、一人の女としての、独占欲に満ちた色が宿っている。

「名目は『軍師』でも『所有物』でも何でもいいわ。でも、私が手に入れたのは、私の国を動かす頭脳じゃない。……私の隣で、私と一緒に朝食を食べて、私だけにその知略を捧げる『夫』よ」

「……で、殿下。それは、あまりに飛躍が――」

「飛躍じゃないわ。お父様が『私の所有物』と言った瞬間、貴公の進退を決める権利は私に委ねられたの。……つまり、私が『この男を夫にする』と決めたら、誰も文句は言えない。お父様は、それを承知で私に丸投げしたのよ」

 リリアーヌは、真っ赤になって絶句するフランの胸を、人差し指でツンと突いた。

「『軍師』は、貴公が対外的に振るう仮面。……『結婚相手』は、この私と貴公との間で、既に確定した事実。……計算、合っているかしら、軍師様?」

 フランは、自分の心拍数が異常な数値を叩き出しているのを感じた。

 皇帝が突きつけた「失敗すれば首を撥ねる」という条件すら、リリアーヌにとっては「失敗させなければいいし、失敗しても私が守ればいい」という、極めて強引な愛の論理に変換されていた。

「…………全く。貴女の計算式は、常に私の想像を絶する」

 フランは深く溜息をつき、けれどその口元には、微かな苦笑が浮かんでいた。

 

「いいでしょう。まずは、帝国最強の『軍師』として、誰もが貴女の選択を認めざるを得ない結果を出してみせます。……その先に待つ『確定事項』のために」

 こうして、表向きは「皇女直属の冷徹な軍師」、内実は「将来の夫」という、フランにとって人生最大の二重生活が幕を開けた。

 

 北境で自分を救い出そうと血を流している兄弟たちには、まだ、とてもではないが伝えられない「状況」であった。

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