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メルクニア戦記  作者: 風花
第三章
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解析不能な包囲網

 「捕虜という身分に対する、国際条約上の最低限の配慮という概念は、この国には存在しないのですか」

 フラン・メルクニアは、激しく揺れる馬車の中で、手帳に鋭い筆致で不満を叩きつけていた。

 隣に座るレオン将軍は、そんなフランの毒舌を、春の小鳥のさえずりでも聴くかのように聞き流し、快活に笑った。

「はっはっは、堅いことを言うな。貴公の『効率』を実戦形式で試せる絶好の機会だ。我が軍の演習は、貴公という劇薬を欲しているのだよ」

 レオンは、フランの知略を純粋に「武」として愛していた。彼は事あるごとにフランを各地の軍事演習に引きずり出し、冷徹な審判と最適解の提示を求めた。フランにとっては、移動による物理的な疲弊に加え、何より「思考のためのリソースを奪われる」という非合理の極みであった。


 だが、苦難はそれだけに留まらない。演習から戻れば、今度はバルガス元帥の使いが待ち構えている。

「若き解析者よ。貴公の理論を、次代の芽にも分けてやれ。これは命令ではなく、帝国という数式をより強固にするための『先行投資』だ」

 老練な元帥の言葉は、フランが最も断りづらい「論理」という形を常に纏っていた。

 引きずり出された先は、帝国立幕僚養成所。そこには将来を約束されたエリートたちが並んでいたが、フランにとっては「固定観念に縛られた演算能力の低い集団」に過ぎない。

 講義の最中、フランは壇上で淡々と、しかし容赦なく彼らの戦術案を切り刻んだ。

「第百四項、補給線の維持に関する貴方の想定は、降雨時の土壌流出率を完全に無視しています。三日で全滅する計算です。最初からやり直しなさい」

 エリートたちの自尊心を粉砕しながらも、フランの脳裏には、なぜ自分がこれほどまでに見返りの少ない重労働に従事させられているのかという、強烈な徒労感が蓄積していた。


 ようやく「黒鉄の別邸」へ戻っても、安息の地はなかった。

「フラン様! お帰りなさいませ!」

 門をくぐれば、演習場での活躍から彼を「真理」と崇める若き兵士たちが、キラキラとした瞳で待ち構えている。彼らはフランの休息などお構いなしに、囲い込んで質問攻めにした。

「フラン様、メルクニアの山岳訓練で使われる『呼吸法による心拍制御』の数値を教えてください!」

「かつての戦場で、閣下の部隊だけが損害率を二割以下に抑えられたという実例、その詳細なパラメータを!」

 かつての部下たちの顔、裏切りの痛み、そして閉ざしたはずの過去の感触。若者たちが投げかける純粋な「熱」に当てられ、フランは内側から氷が溶かされるような感覚に、激しい拒絶感を覚えた。


 そして、その「熱」に拍車をかける最たるイレギュラーが、応接室に陣取っていた。

「あら、お帰りなさいフラン。今日の演習はどうだったかしら?」

 さも当然のように座っているのは帝国の皇女であった。彼女は頻繁にこの別邸を訪れ、フランを観察し、あるいは自らの学問的な疑問をぶつけてくる。

「……皇女殿下。ここは捕虜の収容施設です。皇族が茶を飲みに来るような場所ではありません。私は……流石に、自分の時間が無さすぎて疲れました。演算処理が追いつかない」

 フランが珍しく、隠しきれない疲弊を言葉に漏らした。だが、皇女はその言葉を聴くと、楽しげに目を細め、自らの膝をポンと叩いた。

「あら、それは大変。では、私の膝枕で休みなさい。特別に許してあげるわ」

 フランの思考が、数秒間完全に停止した。

「……はい? 何を……どのような力学的メリットがあって、そのような提案を? 理解不能です。いえ、むしろ精神的な負荷が劇的に増大するため、逆効果です。やめてください」

 顔を青くしたり赤くしたりしながら、フランは後ずさった。不敬罪すら忘れて本気で嫌がるその姿に、皇女はくすくすと笑い声を上げる。

「……メルクニアの経験はすべて記録にあります。それを読みなさい。私は、もう休みます!」

 逃げるように自室へ戻り、扉を固く閉める。

 静寂の中で、フランは手帳を取り出した。だが、ペンを握る手が、いつもより重い。

「……なぜ、これほどまでに私という個体に執着するのか。非合理的です。あまりにも、非効率だ……」

 不器用な軍師は、手帳の余白にぽつりと「休息の必要性」と、そして小さく「予測不能な外的刺激:膝枕」と書き加えた。それは彼が、自分自身の「心」というノイズに、ようやく気づき始めた瞬間でもあった。

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