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メルクニア戦記  作者: 風花
第二章
34/45

鉄血の序曲

 アイゼン要塞を背負う三万の帝国軍と、五千のメルクニア私兵団。

 張り詰めた静寂を切り裂いたのは、鋼鉄卿が振り上げた大剣の一閃だった。

「撃てッ!」

 鋼鉄卿の号令と共に、要塞の城壁に並んだ弩砲バリスタが一斉に唸りを上げた。空を覆うほどの巨大な矢が、メルクニアの陣地へと降り注ぐ。同時に、重装歩兵の海が地響きを立てて前進を開始した。


「慌てるな! 盾を掲げよ! 矢をやり過ごした瞬間こそ、我らの勝機ぞ!」

 本陣中央。当主エジルは、黒槍を指揮杖のごとく操り、一糸乱れぬ指示を飛ばす。

 五千の軍勢は、まるでエジルの手足となったかのように、瞬時に円陣を組んで矢雨を凌ぎ、次いで敵の包囲を食い破るための「錐の陣」へと移行した。エジルは馬を自在に操りながら、戦場全体を俯瞰する。上位三兄を欠くという痛手は大きい。だが、彼らが療養中であるという事実は、残された将兵たちに「自分たちが支えねばならぬ」という悲壮なまでの結束力を生んでいた。


「エルム、ガイン! 行け! 敵の右翼、重装騎兵を粉砕せよ!」

 エジルの鋭い咆哮に応え、二頭の馬が矢のように飛び出した。

「どけええッ! 雑魚どもがッ!」

 五男エルムが巨大な斧を旋回させ、帝国軍の右翼陣地に突っ込んだ。

 一振りごとに、帝国兵の盾が、鎧が、肉が、紙細工のように弾け飛ぶ。彼にとって、この戦いは贖罪であった。調練で自分たちを叩きのめし続けたフランへの恐怖、そして彼を見捨てて逃げざるを得なかった屈辱。そのすべてを、目の前の敵に叩きつける。

「エルム兄、突っ込みすぎだ! 俺の突きに合わせろ!」

 七男ガインが鋭いレイピアで、エルムの死角から迫る敵兵の喉を正確に射抜く。

 二人の猛攻により、帝国軍右翼の戦列が大きく歪む。しかし、その歪みを埋めるように漆黒の影が立ちはだかった。

「……小僧ども。無為に血を流すのが、貴公らの言う家族の絆か」

 鋼鉄卿が、中央の本陣から右翼の混乱を鎮めるべく自ら馬を向けたのだ。

 鋼鉄卿が静かに大剣を振るう。エルムの渾身の斧が受け止められた瞬間、凄まじい火花が散った。

「な……っ!? 重すぎる……!」

 エルムの腕に戦慄が走る。筋肉が悲鳴を上げ、馬の足が雪に沈み込む。

「ガイン! 合わせろ!」

 ガインが死角から鋼鉄卿の甲冑の隙間を狙う。だが、鋼鉄卿は視線さえ向けず、左手の小盾バックラー一つでガインの神速の突きを完璧に弾き飛ばした。

 反射の衝撃だけでガインの手首が痺れる。これが、上位三兄を完膚なきまでに叩き潰した「軍神」の実力。右翼へと転進してきた鋼鉄卿の圧倒的な「個」の武勇の前に、エルムとガインは、かつてのフランとの調練で感じたものとは異質の、底の見えない絶望に直面していた。


 一方、エジルの指揮により左翼側で別動隊として動いていた六男ウルフと八男マリスは、帝国軍の右翼とは対照的に、副官の陣へと肉薄していた。

 立ち塞がるのは、鋼鉄卿の腹心であり、帝国の盾と称される双斧使いの副官・ヴォルガ。彼は巨大な二挺の斧を荒れ狂う水車のように振り回し、メルクニアの兵たちを次々と薙ぎ払っていた。

「メルクニアの『弱点』と『末っ子』か。掃き溜めのネズミ共が、このアイゼンを越えられると思うな!」

 ヴォルガの嘲笑と共に、猛烈な回転を伴った斧がウルフを襲う。

 だが、ウルフの瞳に揺らぎはない。彼は馬上で上体を低く逸らし、その重量を紙一重でかわした。

「……私は、イザベラ様に命じられた。無事に帰れ、と。そのためには、貴公のような障害を一つずつ排除するだけだ」

 ウルフの剣筋は、かつての繊細さを残しながらも、そこに従順な狂気にも似た「鋭さ」が同居していた。イザベラに愛され、磨き上げられたことで、彼の剣は「迷い」という鈍さを完全に捨て去っていた。

「マリス! 右から来るぞ!」

「分かっています、ウルフ兄さん!」

 八男マリスが、流れるような動きでヴォルガの足元へ潜り込む。

 末子の彼は、かつて兄たちの影に隠れるだけの少年だった。だが、エレナを守るという誓いが、彼に一人の戦士としての殻を破らせた。マリスの剣は、ヴォルガの重厚な鎧の継ぎ目を、驚くべき精度で捉え続けた。

「……おのれ、ガキ共がぁっ!」

 ヴォルガが苛立ち、大振りの一撃を放つ。その瞬間、ウルフとマリスの動きが完璧にシンクロした。

 ウルフがヴォルガの右腕を斬り上げ、体勢を崩したところを、マリスがその心臓へ向けて真っ向から踏み込む。

 銀光が走り、帝国副官の胸部装甲が砕け散った。

「ば……馬鹿な。この私が、このような……」

 ヴォルガは大量の血を吐き、膝をついた。帝国軍の左翼が、メルクニアの年少組によって崩壊し始める。


 しかし、戦局全体を見れば、依然としてメルクニアは危機的状況にあった。

 右翼では、転進してきた鋼鉄卿の圧倒的な力の前に、エルムとガインが守勢に回らざるを得なくなっている。

「くそっ、これがあの人の言ってた『本物の武』ってやつか……!」

 エルムの斧は既に刃こぼれし、ガインの体は数箇所の擦過傷から血を流している。鋼鉄卿は呼吸一つ乱さず、冷徹に二人を追い詰めていく。

「下がれ、エルム! ガイン! 中央本陣まで後退せよ!」

 戦場全体を統括するエジルの鋭い指示が飛ぶ。彼はウルフたちが左翼を崩した好機を逃さず、軍の再編を決断した。本陣を動かし、鋼鉄卿の追撃を黒槍一本で食い止めながら、突出した息子たちを回収していく。

 鋼鉄卿は大剣を鞘に戻し、追撃を止めた。彼は血の海と化した雪原を見下ろす。

「……仕留め切れなかったか。エジル、貴公の指揮能力、そして年少組の変貌……認めざるを得んな」

 アイゼン要塞の前に、無数の骸と静寂が戻り始める。


 メルクニア軍は副官ヴォルガを討ち取るという戦果を挙げたものの、アイゼンの壁を崩すには至らなかった。対して帝国側も、メルクニアの年少組を侮った報いを受け、軍の一角を失った。

 第一戦は、決着つかず。

 だが、この戦いを通じて、メルクニアの年少組は確信していた。

 自分たちは、かつての「守られるだけの子供」ではない。

 そして、遥か北の帝都に護送されたフランもまた、この熱き血の奔流が自分を目指して進んでいることを、いつか知ることになるだろう。

 エジルは、傷ついた息子たちの肩を叩き、再び要塞を見据えた。

 戦いは、まだ序章に過ぎない。

 猛虎の牙は、まだ、折れてはいなかった。

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