繋がれし鋼
夜明け前の王都、メルクニア別邸。静寂を切り裂くのは、肉体と鋼がぶつかり合う凄絶な音だった。
「……はぁっ、……おおおおお!」
五男エルムが、身の丈ほどもある巨大な戦斧を旋回させる。その一撃は大気を震わせ、石畳を粉砕するほどの破壊力を秘めていた。対する七男ガインは、対照的に細身のレイピアを構え、影のような速さで斧の隙間を縫う。針の穴を通すような刺突がエルムの鎧をかすめるが、エルムは動じることなく、斧の柄でそれを受け流した。
二人の実力は、近衛兵の精鋭数人を同時に相手にしても、数秒で死体の山を築ける域にある。だが、彼らの心にあるのは、常に自分たちを「未熟」と断じ、影のように翻弄し続けた四男フランの姿だった。
「クソが……あいつなら、今の刺突で俺の喉笛を掻き切ってたぞ、ガイン!」
「分かってる、兄貴。……だから、あんな奴に助けられたままじゃ、一生寝つきが悪くて敵わねぇんだよ!」
彼らにとって、フランは超えるべき「壁」である以上に、自分たちの「智」であり、分かちがたい一族の欠片だった。そのフランが、自分たちを逃がすために捕虜となった。その事実が、五男と七男の獣のような闘争心に、かつてない火を灯していた。
一方、練武場の端で静かに剣を振るっていたのは、六男ウルフであった。
彼は一族の中で最も繊細な感性を持っていた。フランの過酷な調練は、彼の心を折ることはなかったが、そのあまりの力量差に、己の限界を突きつけられる日々だった。だが、その「限界」の先で、彼は第一王女イザベラに見出された。
イザベラの強引で深い愛によって、ウルフは「一人の男」として、そして「一人の騎士」として覚醒した。今の彼の剣筋には迷いがない。フランに叩き込まれた過酷な基礎と、自分を信じる女性のために振るうという目的が、彼を新たな高みへと押し上げている。
末子のマリスは、愛するエレナから贈られた守り袋を胸に、兄たちの背中を見つめていた。独力で守護者としての逞しさを身につけた彼は、今、誰よりも強く「家族全員での生還」を信じていた。
アーシア王都、戦略評議堂。
そこには国王ユヌベクスと、数名の側近だけが残されていた。卓上にはアイアン・ピークの惨状を記した報告書が散らばっているが、王の視線はその先の未来を見据えていた。
「対ゼノス帝国を喫緊の最重要国策とする。我が国はこれより、全土に動員令を敷き、国力を傾けてでも奴らを叩く」
ユヌベクスの宣言に、一人の側近が懸念を口にする。
「しかし陛下、メルクニアの四男フランが捕虜となっております。彼を救うために国力を割くのは、あまりに危険ではありませんか? 彼ら降将一族に、これ以上の力を与えるのは……」
ユヌベクスは、微かな嘲笑を浮かべて首を振った。
「お前は、何も分かっていないな。……私は、メルクニアを使い潰そうとしているのではない。彼らを新たな『国家』の中に迎え入れようとしているのだ」
ユヌベクスは立ち上がり、巨大なタペストリーに描かれた王国の紋章をなぞった。
「メルクニアの誇りは、今や我がアーシアの誇りだ。ウルフをイザベラに、マリスをエレナに添わせたのは、彼らを縛るためではない。彼らの持つ類稀なる武の血を、王室の系譜へと昇華させるためだ。彼らがお互いを深く愛し、一族の絆を尊ぶからこそ、この結びつきは誰にも引き剥がせぬ鋼の絆となる」
ユヌベクスの狙いは、単なる「消耗」や「利用」ではなかった。
メルクニアという強靭な「個」を、婚姻と情愛という名の溶炉に入れ、アーシアという「国家」の骨組みとして完全に溶かし込もうとしているのだ。
「四男フランの救出も、そのための一環だ。メルクニアが私に感謝し、王女たちを愛し、国のために戦う。その完璧な循環を完成させる。……フランという『智』を失うのは惜しいが、彼が戻れば良し、戻らずとも、その悲劇は残された兄弟たちをより強く王室へ縛り付ける鎖となるだろう」
王の言葉は、慈愛の形をした冷徹な計略だった。
彼は、メルクニア家が持つ「家族愛」という美徳を、国家の為の最強の鎖へと変えようとしていた。
出陣を目前に控えた夜。エジルは、別邸のバルコニーから、中庭に集結しつつある兵たちを眺めていた。
そこには、アムルの地から共に渡ってきた、メルクニア家直参の私兵五千がいた。
彼らは単なる兵士ではない。メルクニアの武名に惹かれ、あるいは救われ、命を預けた者たちだ。五千の重厚な甲冑が月光を跳ね返し、静まり返った夜気に鉄の匂いを漂わせている。
「……父上」
背後から声をかけたのは、負傷し療養中のはずの三男クリスだった。その瞳には、街道を爆破して消えたフランの残像が今も焼き付いている。
「案ずるな、クリス。お前たちはここで体を休めよ。……フランは、お前たちを逃がすためにあそこに残ったのだ。その想いを無駄にするな」
「……分かっています。ですが、あのフランが、誰かのために命を懸けるなど……」
「あいつは、そういう男だ。怪物として育ったように見えても、血は争えんということだ」
エジルの言葉には、自嘲と、そして確かな誇りが混じっていた。
五男以下の年少組は、すでに準備を終えている。エルムは斧を研ぎ澄まし、ガインはレイピアの調子を確かめ、ウルフとマリスはそれぞれの想い人を背に、戦場を見据えている。
(フランよ。……お前が盾となって残ったことで、この一族はもはや、アーシアという国と一蓮托生となった。……案ずるな。お前が守ったこの『家族』の力、とくと見せてやる)
エジルが空を見上げると、北の空には不気味な雷雲が立ち込めていた。
アイアン・ピークへの道は、血と鉄にまみれた修羅の道。
だが、その背後には五千の精鋭と、王室という名の巨大な意志が控えている。
メルクニア家、年少組。「怪物」と呼ばれた兄を救うため、そして自分たちがアーシアの「誇り」であることを証明するために。
彼らは今、己の魂を燃やす戦場へと、その一歩を踏み出そうとしていた。




