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メルクニア戦記  作者: 風花
第一章
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軍神の眼差、未完の牙

 北方国境「アイアン・ピーク」を望むゼノス帝国の本陣。

 勝利の予感に沸き立つ兵士たちの喧騒とは無縁の、凍てつくような静寂が支配する漆黒の天幕。その中心で、地図を凝視していた男が、重厚な鋼鉄の兜をゆっくりと脱ぎ捨てた。

 ゼノス帝国が誇る「鋼鉄卿」――。

 その素顔は、数多の修羅場を潜り抜けてきた者に特有の、研ぎ澄まされた刃のような鋭さと、底の知れない湖のような静謐さを湛えていた。彼は手袋を脱ぎ、卓上に広げられたアイアン・ピークの防衛図に指を這わせた。


「閣下、お見事な進軍でした。王国の誇る『メルクニアの精鋭』を、まさか一晩でここまで追い詰めるとは。これで北の門は開いたも同然ですな」

 傍らに控える副官が、興奮を隠しきれない様子で報告書を差し出した。だが、鋼鉄卿の表情に傲慢な色は微塵もなかった。彼は天幕の隙間から、未だに微かな抵抗の火を灯し続ける遠くの砦を見つめ、低く、岩を穿つような重みのある声で応えた。

「……感心したよ。メルクニアの名は伊達ではない。兵一人一人の練度が極めて高い。我らの重装騎兵が放つ『鉄の嵐』を真っ向から受け止め、崩壊の寸前で踏みとどまるあの強靭さ……。あれほどの精鋭、我が帝国でもそうはお目にかかれん。王国最強の牙という評価に、嘘偽りはなかった」

 彼は一度言葉を切り、手元にある駒を一つ、砦の図の上に置いた。

「だが……驚かされたのは、その武勇だけではない。隔離されていたという四男、フランか。奴が孤立無援の中で仕掛けたあの遅滞戦闘……あれは実に見事だった。数少ない手駒を使い潰し、我らの進軍を数時間だけ、だが確実に行き止まらせた。……あの一撃がなければ、救援に来た三人の兄たちは、戦う前に壊滅していただろうな」

「……左様で。ですが、結局は長男カルムは閣下の一撃に沈み、次男ライルも深手。四男の策も、物量の前には無力でした」

 副官の楽観的な言葉に、鋼鉄卿はわずかに目を細め、首を振った。

「奴らはそれぞれが、一線級の才を持っている。長男カルムの剛剣、次男ライルの荒々しくも確実な突破力、そして三男クリスの、窮地で兵を繋ぎ止める天性の統率力。そこに、四男フランの冷徹な知略が加わった。……正直に言おう。この四人が揃い、一分の隙もなく噛み合っていれば、今夜の戦果は逆転していたかもしれん」

 鋼鉄卿は、ふっと自嘲気味に笑みを浮かべた。

「だが……惜しいな。あまりに、若すぎる。……そして、あまりに『家族』すぎた。四男フランは、隔離された自分を救いに来た兄たちを死なせないために、本来なら捨てるべきだった拠点を守り、自らの知略を『防衛』という後手のみに浪費した。長男や次男も、弟を案じるあまりに無理な突撃を敢行し、その焦りが私の剣に隙を晒したのだ」

 彼は地図の上に置いた駒を、指先で静かに押し潰した。

「……戦い方が実直すぎる。誇りや情愛といった、戦場では真っ先に捨てるべき美徳が、奴らの鋭い牙を鈍らせている。……フランという男の知略に、肉親を囮にしてでも我らの喉元を食い破る『毒』が宿っていれば、私は今頃ここにはいなかっただろうな」

 鋼鉄卿は再び兜を手に取り、その冷徹な双眸に再び戦火を宿した。

「クリスやフラン……あの若者たちは、あと数年あれば私にとっても真の脅威となったはずだ。だが、この戦場に『次』はない。愛や誇りという名の美徳に酔い、合理性を捨てた一族に、生き残る資格はない。帝国が求めるのは、降伏か、さもなくば沈黙のみだ」


 彼は天幕を出て、夜風にたなびく黄金の双頭鷲の旗を仰ぎ見た。

「全軍に通達。夜明けと共に最終攻勢をかける。……最強の牙と、未完の知恵を揃えたメルクニアの一族に、相応の引導を渡してやろう。王都で幸福な夢に耽る弟たちに、血の匂いのする現実を届けてやるのだ」


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