深紅の婚礼、新たな影
王都セント・ルミナス大聖堂。
かつて降将の家系として蔑まれたメルクニアの名が、今、王都の歴史に最も深く刻まれる日が訪れた。
大聖堂を埋め尽くす貴族たちの羨望と嫉妬の視線の中、壇上に立つ六男ウルフの姿は、数ヶ月前とは別人のような威厳を纏っていた。第一王女イザベラが注ぎ続けた情愛と執着は、ウルフの中に眠っていた繊細さを「一人の男としての自信」へと焼き変えたのだ。
「……誓います。この命が尽きるまで、貴女の騎士であり、夫であることを」
ウルフが指輪を滑らせ、イザベラの瞳には勝利者の悦びが渦巻いた。続いて壇上に招かれたのは、八男マリスと第二王女エレナ。
「第二王女エレナと、メルクニア家八男マリスの婚約をここに承認する!」
王の宣言と共に、マリスはエレナの手を強く握った。知略の柱だったフランが隔離された後、彼は「エレナを守る」一心で泥を啜るような努力を重ね、その背中は一人の守護者としての逞しさを持ち始めていた。
拍手が鳴り響く中、父エジルは満足げに、しかし厳しい表情で北方の空を想った。
帝国ゼノスとの緊張が極限に達した今、国王が防衛の要として名指ししたのは、他でもないメルクニア家。そしてその「捨て石」とも呼べる最前線のアイゼン要塞に置かれているのは、自らの手で遠ざけた四男フランであった。
(……フラン。貴様がいないこの盤面は、あまりに美しすぎて脆い。……だが、我が一族の武勇が、そして隔離された貴様の知略が、この欠落を埋めてくれると信じるしかない)
宴は夜更けまで続き、王都は祝祭の灯火に包まれた。
*****
そこから数百キロ。王国の盾として、最北の廃要塞「アイゼン」に立つ四男フランは、かつてない戦慄の中にいた。
「……やはり、奴ら来たか」
フランは、冷徹なまでに静かな瞳で暗闇の彼方を見据えていた。
かつて演習で弟を磨り潰したあの無機質な視線の先、霧を切り裂いて現れたのは、黄金の双頭鷲を掲げた漆黒の騎兵団。軍事帝国ゼノスの、圧倒的な物量であった。
帝国は「最強のメルクニア」の主力が王都の祝宴に酔い、かつてその知略を恐れられた四男が「隔離」という名の実質的な隠居に追い込まれたこの隙を突くようにしてきたのだ。
「……伝令はどうした。王都への街道は」
フランの問いに、傍らに控える数少ない直属の部下が血相を変えて答える。
「……駄目です! すでに伏兵によって街道は封鎖。王都との連絡は完全に遮断されました。フラン様……我らだけで、この鉄の波を食い止めろというのですか!」
フランは、感情の削ぎ落とされた指先で、腰の剣の柄に触れた。
もし、自分が今も本隊の軍議に席を置いていれば、この夜の襲撃を予見し、既に三人の兄たちと共に迎撃の罠を張っていただろう。だが、今の自分は一族の序列からも遠ざけられた「孤独な駒」に過ぎない。
(……兄上たちが私を遠ざけたのは、私の計算が『血を冷やしすぎる』からだったか。さすがに兄たちもこっちに向かってるだろう……だが、今この瞬間、その冷徹な計算だけが、一族の破滅を数分だけ遅らせる唯一の手段だ)
その時、帝国の陣営から紅蓮の信号弾が夜空を赤く染めた。
地響きのような咆哮と共に、漆黒の塊が斜面を駆け下りてくる。
「……全軍、防衛線『氷河』を展開。これより、メルクニアの生存率を1%でも引き上げるための、徹底した遅滞戦闘を開始する」
フランの低い号令が、夜の静寂を切り裂いた。
王都で愛の誓いに酔う兄弟たち。その幸福を守るために、一族から恐れられた「毒」である四男が、逃げ場のない死闘の先陣を切った。
メルクニアの真の試練は、祝祭の灯火の裏側、凍てつく要塞の闇の中で始まった。




