王都
アーシア王国の王都。白亜の殿堂が運河に映えるこの街で、メルクニアの兄弟たちは、戦場とは質の違う「攻勢」に晒されていた。
酒場『金獅子亭』。帝都の若手貴族や将校が集うその場所で、六男ウルフと八男マリスは、慣れない事態に困り果てていた。
「……ねえ、ウルフ兄さん。さっきから、あそこのお嬢さんたちがずっとこっちを見てるよ。……さっきも、知らない人からいい匂いのする手紙を渡されそうになって、僕、全力で後退しちゃったよ。フラン兄さんなら顔色ひとつ変えずに『効率的』に対処するんだろうけど……。どうしよう、また誰か来る」
八男マリスは、不安そうに何度も自分の襟元を気にした。末っ子特有の愛嬌と、戦場をくぐり抜けた精悍さが同居する彼の姿は、帝都の女性たちにとって「放っておけない魅力」に映るらしい。ウルフもまた、その「守ってあげたくなるような高潔な危うさ」で、窓辺の貴婦人たちから熱い視線を浴びていた。
「……マリス、落ち着いて。僕たちの『物珍しさ』を楽しんでいるだけだと思うんだ」
ウルフが困ったように眉を下げて宥めるが、彼らのテーブルには、頼んでもいない極上のワインや焼き菓子が、店内の女性客たちから次々と「差し入れ」として届いていた。
この光景が、同じ店内にいたアーシア譜代の若手貴族たちの逆鱗に触れた。
「……おい、アムルの色男ども。女たちの間で貴様らの噂でもちきりだ。戦では負けた分際で、女の股ぐらでは勝とうというのか?」
嫌味な笑いを浮かべる中心人物に対し、マリスは肩をすくめつつも、メルクニアの男としての意地を見せた。
「……ええと、あの。僕たちはただ歩いてただけで、勝とうなんて思ってませんが。……でも、そんなに怒鳴らなくても聞こえますよ。アーシアの騎士様は、声の大きさで勝負する決まりなんですか?」
マリスなりの皮肉が、相手を爆発させた。
「口を慎め、泥啜りが!」
相手がマリスに掴みかかろうとした瞬間、ウルフの手が電光石火の速さで相手の手首を掴み、捻り上げた。
「……乱暴はやめてください。僕たちは喧嘩をしに来たわけじゃないんだ」
ウルフの声は穏やかだが、その力は岩のように動かない。逆上した取り巻きたちが一斉に飛びかかった。
「……ああもう、やっぱりこうなる! 後で父上に怒られるのは僕らなのに!」
マリスは毒づきながらも、身を翻してテーブルを蹴った。空中から二人の貴族の顎を正確に蹴り上げ、着地と同時に、もう一人の鳩尾に容赦なく拳を叩き込む。ウルフもまた、最短距離で相手を無力化する精密な武術で、次々と床に叩き伏せていった。
「……ふう。行こうか、マリス。早く戻らないと父上に叱られる」
二人が店を出て暗い路地に入ると、そこには抜き身の剣を手にした騎士たちが、十数名で道を塞いでいた。主君の子息が「田舎者に恥をかかされた」と聞きつけ、逆恨みで待ち伏せていたのだ。
「……メルクニアの野良犬ども。帝都の騎士に恥をかかせて、無事で済むと思うな」
抜き身の剣を構える騎士たちに対し、マリスは一瞬で戦士の顔になった。短剣を抜き放つ所作には、一切の迷いがない。
「……ウルフ兄さん、どうしよう。これ、普通に『殺し合い』になっちゃうよ。……また家族の評判が悪くなるかな」
「……ああ。でも、ここで引けばメルクニアの名が廃る。……やるしかないね」
ウルフもまた、愛剣を引き抜いた。
騎士たちが襲いかかる。だが、彼らは致命的な計算違いをしていた。目の前の二人は、地獄のような戦場を生き抜いてきた本物の「猟犬」なのだ。
ウルフの剣は、迷いを含みながらも騎士の太刀筋を吸い込まれるように受け流し、その喉元に切っ先を突き立て、あるいは腱を斬り裂いていく。マリスは小柄な体躯を活かして石壁を蹴り、騎士の頭上を舞うと、その背後から頸椎の隙間に短剣の柄を叩き込んだ。
「……ごめん。でも、先に仕掛けてきたのはあんたたちだ!」
マリスの声は鋭く、その手は一切の狂いなく次々と騎士たちの戦闘能力を奪っていく。五男や七男のような破壊力はないが、二人の「正確すぎる」武力は、騎士たちにとって恐怖そのものだった。わずか数分。路地には、急所を的確に打たれて転がる騎士たちの山が築かれた。
「……ふう。やっぱり王都は怖いよ。戦場より神経を使う……」
返り血を拭いながら、マリスが再びオロオロとした「日常の表情」に戻る。
「……そうだな、マリス。でも、僕たちの価値は、こうして示すしかないんだ」
王都の華やかさの裏で、メルクニアの兄弟たちは、自分たちがもはや引き返せない場所まで来ていることを、その血に塗れた手で実感していた。




