鉄拳の論理
アムルの王都アイギスは、今やアーシア王国の地方拠点へとその姿を変えていた。
メルクニアの一族は、表向きは「勇猛なる新参の将」として歓迎されていたが、その実態は、譜代の将軍や重臣たちからの冷ややかな視線に晒される日々であった。
「……見てみろ。あれがボスコ渓谷の野犬どもだ。泥を啜って生き延びた分際で、我が王から領地を賜るとはな」
王都の社交場、あるいは軍議の合間。メルクニアの兄弟たちが耳にするのは、そんな隠しきれない蔑みの言葉ばかりだった。
特に、アーシアの重鎮であるバルトル子爵の一派は執拗だった。彼はアーシア建国以来の功臣の家系を自負し、土壇場で寝返ったメルクニアのような「裏切り者」が、自分たちと同等の席に座ることを生理的に嫌悪していた。
「……エルム、ガイン。お前たちは、今日も獣の臭いがするな。田舎の要塞に籠もっていればいいものを、わざわざ王都の空気を汚しに来たのか?」
王都の酒場『金獅子亭』。アーシアの若手貴族や将校たちが集うその場所で、バルトル子爵の三男、カイルが取り巻きを引き連れてエルムたちのテーブルを囲んだ。
エルムは、大きなジョッキを傾けたまま動かない。その隣で、ガインは細い指でレイピアの柄を弄んでいた。
「……カイル殿。あんたの香水の臭いよりは、馬の汗の臭いの方がマシだと思うがね」
ガインが薄笑いを浮かべて答える。
「口を慎め、敗残兵が! 貴公らメルクニアが今ここにいられるのは、我が王の慈悲に縋ったからに過ぎん。……特にお前たちの四兄はどうした? あんな不気味な私生児、化け物として北の廃要塞に追いやられたと聞いているぞ」
カイルが嘲笑混じりにフランの名を出した瞬間、酒場の空気が凍りついた。
エルムがゆっくりとジョッキを置く。その眼光は、もはや酔客のそれではなく、戦場の獣のそれであった。
「……今、なんて言った?」
「……聞こえなかったか? あの薄汚い私生児が——」
カイルが言葉を終えるより先に、エルムの巨大な拳がカイルの顔面を捉えた。
物理的な「衝撃」が酒場に響き渡る。カイルの体は数メートル吹き飛び、豪華な装飾が施された壁に激突した。鼻骨が砕ける生々しい音が、静まり返った店内に木霊する。
「……野郎ども! やっちまえ!」
取り巻きの貴族たちが一斉に剣を抜こうとしたが、ガインの動きはそれよりも遥かに速かった。
ガインは椅子に座ったまま、鞘に入った状態のレイピアを突き出し、一人目の喉元を強打。二人目の手首を鞘の尻で打ち据え、剣を落とさせる。
「……おいおい、ここは戦場じゃないぜ? 抜剣したら『処刑』になっちまう。……だから、今日は『喧嘩』で済ませてやるよ」
ガインの言葉は、慈悲ではなく死刑宣告に近かった。
そこからは一方的な蹂躙だった。エルムの剛腕が振るわれるたびに、アーシアの「お坊ちゃん」たちは木の葉のように舞い、骨を折られ、床に転がった。ガインは目にも留まらぬ速さで急所を蹴り上げ、殴り飛ばしていく。
数分後。
酒場には、呻き声を上げる貴族の若者たちと、粉々になった家具だけが残された。カイルは顎を砕かれ、もはや言葉を発することもできない。
「……ガイン、やりすぎたか?」
エルムが拳についた返り血を拭いながら尋ねる。
「……いいや、フラン兄上が言ってたろ。『舐められたままの組織は、維持コストが跳ね上がる』ってな。……たまには、こっちの言語で話してやらないと通じない連中なんだよ、こいつらは」
二人は、呆然と立ち尽くす店主を無視し、悠然と酒場を後にした。
翌朝。
この「乱闘事件」は瞬く間に王都を駆け巡った。
重臣の子息たちに大怪我負わせたという事実は、本来ならば一族処罰の対象となってもおかしくない。だが、父エジルは動じなかった。
「……我らメルクニアは、アーシアの牙になると誓った。牙が鈍れば、王にとっても価値はあるまい」
エジルは、アーシア側からの抗議に対し、毅然としてそう言い放った。




