森の声に導かれて
クロードの屋敷では、温かなもてなしが待っていた。
旅の疲れを忘れさせるような穏やかな食事と、心のこもった会話。
クラウスとクラリーチェも、故郷ということもあってか、いつもよりずっと肩の力が抜けていた。
二人が幼い頃の話に花を咲かせる姿を見ながら、リリアは自然と笑みを浮かべていた。
「クラリーチェさんが、そんなにお転婆だったなんて……」
「リリア様、それは昔の話です!」
「いやいや、兄上。妹は今もあまり変わっていませんよ」
「う、ク、クラウス兄様っ!」
笑い声が、暖かな屋敷の中に響く。
広々とした食堂には、地元で採れた野菜や果物をふんだんに使った料理が並び、焼きたてのパンからは香ばしい匂いが漂っている。
「公爵家のように洗練されたお料理ではありませんが……。
リリア様、どうぞ遠慮なさらず召し上がってくださいね」
クロードにそう言われ、リリアは少し恐縮しながらも、笑顔で頷いた。
「ありがとうございます。どれもとても美味しいです」
「それは何よりです」
穏やかな笑い声が食卓を包む。
いつもならどこか緊張を残しているクラウスも、笑顔で兄に話しかける。
「兄上。この果実酒はまだ残っていますか?」
「お前、昔からそればかりだな」
「故郷に帰ったのですから、少しくらい構わないでしょう」
「仕方ない。秘蔵の一本を開けてやろう」
クラリーチェも楽しそうに笑っている。
「お兄様もクラウスも、昔と少しも変わりませんね」
「「お前にだけは言われたくないぞ?」」
クロードとクラウスの声が重なる。
その夜、リリアは久しぶりに心穏やかな時間を過ごした。
旅の途中であることさえ忘れてしまいそうな、優しい夜。
*
そして翌朝。
澄み渡った青空の下、リリアはエルヴィンと二人で遠乗りに出ていた。
屋敷を離れ、なだらかな丘を越えていく。
領地の外れへ進むにつれ、景色は次第に緑に包まれていく。
やがて道は森へと続いていった。
「やっぱり……森って好きです」
馬上から木々を見上げながら、リリアが呟く。
「そうだな」
隣を走るエルヴィンが微笑む。
「君は森にいると、ずいぶん楽しそうだ」
「そうでしょうか?」
「見ていれば分かる」
リリアは少し照れたように笑った。
その瞬間だった。
ふわり。
木漏れ日の中から、小さな光の粒が現れる。
一つ。
また一つ。
それは小さな森の精霊たちだった。
光の粒となってリリアの周りを飛び回り、肩へ降りたり、髪の間をくぐったりしている。
「まあ……!」
リリアが嬉しそうに手を伸ばすと、その指先へ小さな光がちょこんと触れる。
まるで甘えるように、頬の近くを飛び回る精霊たち。
「ふふ。かわいいですね」
「……はは」
隣を進んでいたエルヴィンが、思わず笑った。
「精霊たちが楽しそうだ」
「そうでしょうか?」
「君に会えて嬉しい、と言っているように見える」
「でしたら、私も嬉しいです」
リリアも笑いながら、舞う光を目で追った。
――その時。
『……たす……けて……』
「……え?」
胸の奥へ、かすかな声が届いた。
リリアの笑みが消える。
思わず顔を上げた。
さっきまで楽しそうに飛び回っていた精霊たちも、一斉に動きを止めている。
「どうした? リリア?」
エルヴィンが不思議そうに尋ねる。
「エルヴィン様……今……何か、聞こえませんでしたか?」
「何か?」
エルヴィンが耳を澄ませる。
けれど、森には風の音しかない。
――たす、けて。
もう一度。
今度は、はっきりとリリアの心へ響いた。
「……!」
リリアは馬の手綱を握り直した。
声のした方向へ、馬の鼻先を向ける。
「エルヴィン様、助けを求める声が聞こえました!」
「リリアっ?!」
「精霊たち! 場所は分かるでしょう?」
精霊たちは答えるように光を明滅させた。
「案内して!」
周囲を舞っていた光の粒が、一斉に森の奥へ向かって飛んでいく。
「待て! リリア!」
エルヴィンの制止を振り切るように、リリアは馬を駆けさせた。
木々の間を抜ける。
枝が頬を掠めても構わず、ただ声のする方へ。
精霊たちが、懸命に先を飛んでいく。
やがて森が途切れ、視界が大きく開けた。
「――っ!」
リリアは馬を止めた。
そこには、小さな魔獣がいた。
リリアはまだ知らなかった。
今、目の前にいる小さな命との出会いこそが――ヴィリディアの言う「最初の一歩」になったことを。




