森に残された記憶2
『ですが――』
ヴィリディアは記憶を辿るように、目を伏せた。
その表情に、陰りが差す。
『……ですが、それが故に、この森は大きな災厄に見舞われました』
静かな森に、その言葉が落ちる。
『あの日……』
森の空気が、静かに沈む。
『人間たちが、この里へ押し寄せました。
森の民を恐れ、異なるものとして憎み……里を焼きました。
家々は壊され、この里に住んでいた者たちは追われ……多くの命が失われたのです』
リリアは俯くと唇を噛んだ。
目の前に広がっていた、焼け焦げた家々。
壊された水車。
今も残る傷跡。
『それでも、あなたの母は逃げませんでした』
リリアの指先が震える。
『最後の最後まで、一人でも多くの民を逃がそうとしたのです』
「……!」
リリアは両手で口を覆った。
その目から、ひと筋の涙が零れる。
『自らも傷つきながら、幼いあなたを誰かに託し、また別の者を助けに戻った。
一人でも多く逃がすために。
自分が残れば、森の道を知る者として皆を導けると……そう言っていました』
ヴィリディアの声は、どこまでも穏やかだった。
だからこそ、その悲しみが深く伝わった。
『そして――』
ヴィリディアの視線が、リリアの後方へ移る。
『あなたの父も、です。フィリーナ』
「……!」
リリアが振り返る。
そこには、膝をつき、深く頭を垂れているフィリーナがいた。
フィリーナは、しばらく何も言わなかった。
やがて、かすかな声で答える。
「……はい……」
その声は震えていた。
リリアは目を見開く。
「フィリーナ、さん……?」
リリアが尋ねると、フィリーナはゆっくり顔を上げた。
「リリア様。私には、その時の記憶があるのです」
その瞳には、長い間抱えていた、重い悲しみが滲んでいた。
「全ての人間が、森の民を迫害したわけではありません」
その言葉には、強い想いが込められていた。
「中には、森の民に心を寄せる者もおりました」
フィリーナは、自らの胸へ手を当てる。
「私は……半分、森の民の血を引いておりますと申し上げましたが……。
私の父は、人間でした」
そして、遠い記憶を辿るように目を伏せた。
「森の民の母に恋をし、共にこの里で暮らしていたのです。
里には、移り住んだ人間も多くおりました」
静かな声だった。
「あの災厄の日……。
父は、私たちを逃がし、最後まで里に残りました。
ひとりでも多くの者を逃がそうと……」
言葉が途切れる。
「でも……父が戻ってくることは、ありませんでした」
森に、沈黙が落ちた。
その時。
ヴィリディアは、悲しむ二人を見つめながら、ふっと微笑んだ。
『リリア』
「……はい」
『あなたの母も』
そして――フィリーナへ目を向ける。
『フィリーナ。あなたの父も』
二人を見つめる翠の瞳が、優しく輝いた。
「生きていますよ」
「…………え?」
リリアの瞳が、大きく見開かれる。
フィリーナもまた、息をすることさえ忘れたように固まった。
「……っ! い、今、何と……?!」
ヴィリディアは、静かに頷いた。
そして、その奥にある森へ目を向ける。
「二人は――今も、あなたたちを待っています。
ですが……今会うことは叶いません。
それを、今からお話ししましょう」
森を渡る風が、二人の頬をそっと撫でていく。
長い年月を越えて。
失われたと思っていた二つの命が、この森の奥にある。
森の奥で、淡い光を放つ花がひとつ、静かに揺れる。
長い間閉ざされていた扉が、今、静かに開き始めた。




