森に残された記憶
翠の光が、ゆっくりと森の奥へ溶けていった。
静寂が戻る。
大樹の前に現れた美しい女性は、リリアを見つめながら、慈しむように微笑んだ。
淡い光を纏った精霊の瞳には、長い年月を越えてようやく辿り着いた者を迎えるような、穏やかな光が浮かんでいる。
『お帰りなさい』
その声は、優しかった。
『森の巫女。そして――森と人の子よ』
澄んだ声が、静かな森に響いた。
リリアは息を呑む。
『私は、この森を護る者。ヴィリディア。
……ようやく、会えましたね』
リリアは目を見開いた。
「ヴィリディア……様……?」
その呟きに、ヴィリディアは小さく頷いた。
その視線が、リリアの右手へ落ちる。
指輪は、まだ淡い翠の光を帯びていた。
『その指輪が、あなたをここへ導いたのです』
「この……指輪が?」
『ええ』
ヴィリディアは、慈しむように微笑んだ。
『この森は、かつて人の手によって傷つけられました。
それ以来、森には、強い結界が張られています』
ヴィリディアは、大樹へそっと手を添えた。
『森を害する者を、二度と中へ入れないために』
リリアは静かに耳を傾ける。
『けれど、その結界にはひとつだけ例外があります』
「……それが、この指輪……?」
『そうです』
ヴィリディアは微笑んだ。
『それは、森の巫女の血を受け継ぐ者にしか反応しない。
あなたが指輪を身につけていたからこそ、結界を越えてここまで来ることができたのです』
その言葉に、リリアの胸の奥が大きく揺れた。
「……森の、巫女? ですか?」
ヴィリディアは、ゆっくりと頷いた。
『リリア。あなたの母は、森の巫女の血を継ぐ者です。
そして、あなたにもまた、その血が流れている』
「……!」
リリアは言葉を失った。
ずっと胸の奥にあった問い。
なぜ自分は、この森に懐かしさを覚えたのか。
その答えが、今、目の前にある。
「母を……母をご存じなのですね……!
ヴィリディア様!」
リリアは一歩、前へ出た。
「ああ、どうか、母のことを教えてください……!
あの、森の巫女、とは……何なのですか?」
ヴィリディアは、しばらくリリアを見つめていた。
やがて、静かに語り始める。
『森の巫女とは、我ら森に生きる精霊と、森の民の橋渡しをする者です』
「橋渡し……」
木々の葉が、そよ風に揺れた。
『精霊は森に近い存在。
巫女は、森の声を聴き、精霊の想いを人へ伝えることができる』
ヴィリディアの声は穏やかだった。
『そして同時に、人の心も森へ伝えるのです。
森の民と精霊、人と森。
そのどちらかに属するのではなく――その間に立ち、互いを結ぶ。
それが、森の巫女の役目です。
けれど、それは巫女の力のほんの一部に過ぎません』
翠の光が、ヴィリディアの周囲に小さく舞う。
『巫女は、命と命の間にある、隔たりを和らげる力を持っています。
森の民は、森の生命力を借りて、人々を癒す力を持つ者たちですが、巫女の力は、その比ではありません』
ヴィリディアは、優しくリリアへ視線を向けた。
『あなたの母は、その力を強く受け継いでいました』
「……母が……」
リリアは小さく呟いた。
そして、胸元へそっと手を当てる。
自分の中に、温かな力が渦を巻いているのを感じていた。




