禁書庫
王家の禁書庫に足を踏み入れてから、どれほどの時間が過ぎたのか。
四人には、もう分からなくなっていた。
昼も夜も関係なく、ひたすらに古文献を探し続ける。
王家の禁書庫は、想像していた以上に広大だった。
天井まで届く書架が幾重にも連なり、その奥にはさらに別の書架が続いている。
古い紙と乾いた木の匂いが漂い、時折、どこからともなく魔力の揺らめきが感じられた。
ただ読むだけなら、まだよかった。
禁書庫に収められているのは、長い年月の間に封じられた危険な文献も多い。
不用意に手を伸ばせば、本そのものが魔力を帯びて襲いかかってくることさえあった。
「――っ!」
一冊の古書が突然宙へ浮かび、鋭い風の刃を放つ。
エルヴィンが瞬時に魔力の壁を展開すると、風刃が結界へぶつかり、乾いた音を立てて消えた。
クラウスも周囲を警戒しながら、書架から一冊の本を抜き取る。
文字が黒い影となって浮かび上がり、指先へ絡みつこうとする。
「……こちらも違います。
吸血鬼に関する記述はありますが……呪いとの関連性がない」
「分かった。次を探そう」
それでも、誰も弱音を吐かなかった。
薄く防御の魔力を身に纏いながら、膨大な文献を一冊ずつ調べていく。
エルヴィンは黙々と頁をめくり、クラウスは古い記録を整理し、セシリアは複数の言語を読み比べながら、手がかりを探している。
そしてリリアもまた、一冊、一冊と書物を調べ続けていた。
――絶対に、見つける。
指先に力を込める。
――エルヴィン様の呪いを解く手がかりを、絶対に。
胸元へそっと手を当てる。
その時だった。
「……あれ……?」
リリアの目が、一冊の本に留まった。
書棚の奥。
ほとんど光の届かない場所に、それはひっそりと収められていた。
古びた装丁。
他の文献と大きく変わるところはない。
けれど――なぜだろう。
目が離せない。
胸の奥にある何かが、その本を見つけた瞬間に、小さく震えた。
それはまるで、向こうから呼ばれているような感覚。
リリアはゆっくりと、その本へ近づいていく。
「リリア?」
セシリアの声が遠く聞こえた。
けれど、リリアの意識は、その本だけに向かっていた。
一歩。
また一歩。
さらに奥へ。
その瞬間。
ぞくり、と空気が変わった。
黒い霧のような魔力。
濃密で、冷たく、禍々しい。
エルヴィンが息を呑む。
「……っ!
これは……吸血鬼の魔力……!」
その瞬間、彼は駆け出す。
「リリア! 待て! そちらは危険だ!」
「リリア様っ?!」
クラウスが後を追う。
「リリアっ! 危ない!」
セシリアの悲鳴が響いた。
*
――リリアの指先が、文献の表紙に触れた瞬間。
右手の指輪が、淡く輝いた。
「……え……?」
白銀の指輪から、緑色の光が静かに溢れ出す。
森の中に差し込む、朝の光のように。
柔らかく、穏やかに。
ふわり。
柔らかな魔力が、リリアの指先から広がり、本全体を包み込んでいく。
激しく渦巻いていた吸血鬼の魔力が、触れたところから静かにほどけていくのが見えた。
対していた黒い魔力が、大きく揺らめく。
それは、波を鎮めていくように広がり、荒々しかった魔力が、眠りにつくように穏やかになっていく。
禁書庫に、静寂が戻った。
「……これは……」
エルヴィンは、リリアに手を伸ばしたまま立ち止まる。
セシリアも、クラウスも声を失っていた。
リリアは、驚いたように自分の手を見つめた。
指輪は、まだ淡い緑の光を宿している。
指から伝わる温もりが、今も胸の奥へ流れ込んでくる。
それはまるで――母が、自分の背中をそっと押してくれているような感覚。
リリアはゆっくりと手を伸ばし、その本を持ち上げた。
先ほどまで本に纏わりついていた攻撃的な魔力は、もうどこにもない。
ただ静かに、リリアの手の中に収まっている。
ずしり、とした重みが腕に伝わる。
それは、リリアの手の中で大人しく身を委ねているようだった。
「……こ、れは……」
クラウスが呆然と呟く。
セシリアも目を見開いていた。
「本の魔力が……消えたわけじゃない……」
「……ええ」
エルヴィンが静かに頷いた。
「リリアの力によって、鎮められたのか……」
三人の視線が、リリアへ集まる。
リリアはしばらく本を見つめていた。
そして、ゆっくりと胸元へ抱く。
その瞳には、確かな光が宿っていた。
「……きっと」
リリアは本を胸元へ抱く。
「きっと、この《《子》》が鍵になると思います」
エルヴィンは、何も言わずに妻を見つめた。
やがてリリアのもとへ歩み寄り、その手元の本へ視線を落とす。
やがて、その目元がわずかに緩む。
「……そうだな」
その声は静かだった。
だが、その声に滲むのは、確かな希望。
リリアはそっと表紙を撫でた。
「エルヴィン様……」
「……ああ」
長い間、閉ざされていた扉。
その向こうに、ようやく一筋の光が差し込んだような気がした。




