7.思わぬお節介
翌朝。
朝食を終えて部屋へ戻ると、少しして昨日の緑襟の教団員がやって来た。
「おはようございます。準備はよろしいでしょうか」
「はい。お願いします」
海里が立ち上がると、教団員は一度その姿を見てから、手に持っていた布を差し出した。
「その髪は、外では隠しておいたほうがよろしいかと」
「髪?」
言われて、自分の髪に触れる。
黒髪。そういえば、何度か「聖女の色」と言われていた。
「目立つんですか?」
「はい。この世界に黒髪の人はいません。余計な注目を集めないためにも、できるだけ見えないようにしておきましょう」
「そうなんですね」
海里は素直に頷いた。
教団員に言われるまま髪を隠し、もう一度身支度を確認する。
「これで大丈夫そうですか?」
「ええ。それでは参りましょう」
二人で施設の外へ出る。
初めて間近で見る王都の街並みは、窓越しに見ていたときよりもずっと広く感じられた。石造りの建物が軒を連ね、その間を細い道が伸びている。人や荷車が行き交い、店先にはさまざまな商品が並んでいた。街の雰囲気は、日本とはまるで違う。
男性は襟付きのシャツに腰から太腿あたりまでの上着を重ね、ゆったりとしたズボンを履いている。女性はブラウスに足首まで届く長いスカートを合わせ、上着や布を羽織っている。履き物もさまざまで、革の靴やブーツだけでなく、布で作られた素朴な靴もあり、中には色糸で模様や刺繍を施したものもあった。
髪の色も茶や金、赤みのある色などさまざまだが、確かに黒髪の人は一人もいない。
昔の西洋の都市を描いた絵画を、そのまま現実にしたような光景だった。
「……へえ」
思わず感嘆の声が漏れる。
荷車がすぐ横を通り過ぎると、海里は道の先へ視線を向けた。
「すごいですね。こういう街、初めてです」
「喜んでもらえたようで良かったです」
「ええ、とても。見ているだけでも楽しいですね。あの黄色の実はなんですか? ずいぶん大きいですが」
海里が店先を指差すと、教団員はそちらへ目を向けた。
「では、歩きながら簡単にですが、ご説明しましょう」
外に出るなり、辺りを興味深そうに見回し始めた海里に、教団員は思わず笑みを深めた。よほど外に出たかったのだろう。
教団員の説明を聞きながら、海里はゆっくりと街を見回した。
教団の施設がある一帯は、王都の中でも人の往来が多くある場所らしい。通りには食料品や衣服、日用品を扱う店などが並び、買い物をする人や荷物を運ぶ人の姿も多い。法衣を着た教団員が街中を歩いていても、特に気に留める様子はない。教団の施設も、街の中にある建物の一つとして、すっかり馴染んでいるようだった。
日本でお坊さんが街中を歩いているのと、似たようなものなのかもしれない。
「思っていたより、ずっと普通の街ですね」
「普通、ですか?」
「あ、悪い意味じゃないですよ。違う世界っていうから、もっとこう……人間じゃない人が普通に歩いてたり、ものすごく大きな動物が荷車を引いてたり。そういうのを想像してました」
「なるほど。ずいぶん賑やかな街を想像されていたんですね」
「はい。異世界って、そういうものかなと」
そんな話をしながら歩いていると、脇道の向こうに高い建物が見えた。そのさらに奥、建物の隙間から何かの先端が覗いている。
「……あれは?」
海里が尋ねると、教団員もそちらへ目を向けた。
「あちらはこのアルネラ王国の王城です。街の中心部付近にあります」
「ああ、あれが王城なんですね」
上部しか見えないが、周囲の建物よりひときわ高く、いくつもの塔が見える。
「大きいですね」
「ええ」
その後も教団員の説明を聞きながら、二人は街を歩いていく。
国のことや王都のこと、街の区画や主要な施設について説明してもらいながら、海里も気になったことを時折尋ねた。知らないことばかりなので、全てが新鮮だ。そして、こうして実際に街を歩きながら話を聞くのは、これからのことを考えるうえでも役に立ちそうだった。
もう一つ、今回しなければならないこと。
それは、転移に使えそうな場所の目星をつけること。
人目につかず、建物などに囲まれていて、隠れて自然に出入りできる場所。街の様子を観察するついでに、そういう場所がないかも何となく目で追っていた。
とはいえ、今すぐ決める必要はない。まだ街に出たばかりなのだから。
そうして歩いていると、やがて教団員が一軒の建物の前で足を止めた。
「こちらです」
「ここは?」
「身分管理所です。身分証を発行する役所ですね」
海里は目の前の建物を見上げた。
身分管理所は、石造りの建物に木製の両開きの扉がついた、飾り気のない建物だった。入口の脇には衛兵が一人立っており、扉の向こうには複数の人の姿が見える。書類を手にした人や、誰かに付き添われた人、仕事の途中らしい格好の人など、訪れる目的も年齢もさまざまなようだった。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい」
二人は並んで、身分管理所の入口へ向かった。
中へ入ると、外から見ていた以上に人が多かった。
正面にはいくつもの窓口が並び、その前には順番を待つ人たちが列を作っている。役所という場所はどの世界でも似たようなものらしい。
「あそこですね」
教団員は迷うことなく奥へ進み、ひとつの窓口を指した。
そこにも何人かの先客がいる。
「少しお待ちいただくことになりそうですね」
「みたいですね」
二人で最後尾に並ぶ。
しばらくは順調だった。一人、また一人と窓口へ呼ばれ、手続きが終われば次の人へ移っていく。ところが、あるところから急に進まなくなった。
「……あれ?」
前を見ると、一人の女性が窓口の前で職員と話し込んでいる。
海里より少し上くらいの年齢だろうか。仕立ての良さそうな服を着ていて、長い髪もきれいに整えられている。身なりからして、かなり裕福な家の出身なのだろう。
「ですから、こちらで仕事を紹介していただきたいのです」
「仕事の紹介については、左手中ほどの窓口で承っておりますので、そちらへお願いします」
「以前そちらで紹介していただいた仕事は、下働きのようなものばかりでしたの」
「申し訳ありませんが、仕事の紹介についてはこちらでは……」
「何の経験もない私に、下働きができるとお思いですの?」
どこかのご令嬢の職探しらしい。窓口が違うと言われても、食い下がっている。どこの世界も窓口の人は大変だな、と心の中でエールを贈る。
職員が困ったように何度説明しても、女性は納得していないようだった。
「私は、働かなければならないのです」
少しだけ声が落ちる。
「家の事情で、もう余裕がないのです。明日の食事にも困るような有様ですもの」
「じゃあ、仕事を選んでいる場合じゃないんじゃ……?」
ぽつりと呟いたつもりだった。
けれど、静まり返った室内では思った以上に響いた。
「……あ」
沈黙が漂う。隣の教団員も軽く目を逸らしている。
「すみません、つい……」
本音が。
いや、別に待たされていることにいらついたわけではない。ただちょっと、社会人一年目の苦労の日々を思い出していただけだ。
尤も、現在はただ飯ぐらいの居候なので言えた話ではないが。
「……」
視線が痛い。
「いや、あの、こういうところで紹介されてるのって、庶民的な仕事が多いんじゃないんですか? お知り合いの人とかに訊いた方がいいんじゃ……」
「今まで親しくしてくださっていた方々に、家が傾いたから仕事を紹介してほしいと頭を下げろとおっしゃるの?」
「それは、まあ……嫌かもですね……」
矛先がこっちに向かってきた。自分のうかつな発言が原因だが、なんで初めてのお出かけでこんな目に。
とはいえ、この令嬢の気持ちが全く分からないでもない。必死に考える。この人ができそうな仕事なら、どんなものがあるだろう。
家電のないこの世界で掃除や洗濯ができるとは思えない、きれいな手だ。料理も無理だろう。お菓子作りなんかは雰囲気には合っているが、仕事として彼女にできるとは思えない。
うーん、と周囲の視線を集めながら考えていると、女性が身体の前で緩く手を重ね、顎を引いて海里の言葉を待っているのが目に入った。
……あれ?
背筋がきれいに伸びていて、立ち姿に無駄がない。化粧も派手ではないが清楚で、服装も上品だった。色の合わせ方も自然で、よく似合っている。
この人、こういうのが得意なんじゃないだろうか。
「……あの」
「はい」
「そういうのって、教える仕事にできないんですか?」
「そういうの、とは?」
「はい。立ち居振る舞いとか、服装とか、化粧とか」
女性が目を瞬く。
「姿勢がきれいですし、服装もすごくいいと思います。色合いも、なんていうか……バランスがいい? あの、良い感じですし。髪型とか化粧とかも、とても貴女に似合っているので」
自分でも説明がうまくないと思う。
海里は女性の姿を見ながら続けた。
「そういうのを、作法っていうのかな。人に教えるのはどうでしょう。お金になるかは分からないですが」
「……こんな普通のことを?」
「たぶん、普通ではないと思います。今までの生活で自然に身に付いたものなんでしょうけど」
海里は少し考えてから続けた。
「ここに来たとき、自然に貴女に視線がいきましたから」
女性はしばらく黙って、自分の服装を見下ろした。
「……仕事になるのかしら、こんなことが」
「すみません。できるかどうかは俺には分からないですが」
単なる思いつきだし、そういう仕事に需要があるかどうかも分からない。
日本ではそういう講座もあっていて、就職活動の時にお世話になった記憶がある。
女性の表情が、少しだけ和らいだ。
「ありがとう。一度、考えてみますわ」
「はい……頑張ってください」
女性は職員に軽く頭を下げると、窓口を離れていった。
途端に、止まっていた手続きが動き始める。一人、二人と窓口を離れ、滞っていた手続きがあっという間に進んでいった。
「次の方、どうぞ」
職員の声が響く。
「カイリ殿。どうぞ」
「あ、はい」
ようやく海里の番が来た。
教団員とともに、窓口へ向かう。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや★の評価で応援してもらえると、とても励みになります。




