3.帰れない聖女
休憩を挿み、ヴァイルは茉優に聖女としての役割を果たすため、知識や作法を身につけてもらう必要があると説明した。そのため、召喚された聖女は聖方会のもとで一定期間を過ごすのだという。
話を聞くほどに、茉優の表情は重くなっていった。
「……それって、どのくらいかかるんですか?」
「期間については、聖女様のお力や状況によって異なりますので、一概には申し上げられません。ただ、まずは召喚を無事に終えたことを――」
「すみません」
茉優がヴァイルの言葉を遮った。
「わたし、一回お家に帰りたいんですけど……」
その声には、さっきまでよりはっきりとした不安が滲んでいた。
「もう、時間も遅いし。お家には、お父さんとお母さんと弟がいて……。急にいなくなったら、絶対心配するし、学校にも行かないといけないし。携帯も使えなくなって、連絡もできてなくて、今も心配してるんじゃ……」
そこまで話して、茉優はぎゅっと手を握った。
「だから、帰らせてもらえませんか?」
室内の空気が、ほんの少しだけ変わった。
「そんな……」
「聖女様、お還りになるなど……」
控えていた教団関係者たちが、懇願するように茉優に訴える。
ヴァイルはすぐには答えず、茉優の目をじっと見てから、静かに口を開いた。
「……申し訳ありません。今は、まだお還しすることができません」
「え……?」
「聖女様の召喚は我々の悲願。人々のため、この世界のために、私たちにそのお力をお貸し願いたいのです」
「わたし、そんな力なんてありません」
「ご自覚がないだけです。私には分かります」
「……じ、じゃあ、その聖女の役目を果たしたら帰してくれるんですか?」
「はい。聖女様をお還しする儀というものがございます」
穏やかな口調だった。茉優はほっとしたように、肩から力を抜く。
「帰れるんですね……」
海里は、わずかに眉を寄せた。
いや、別に帰してもらわなくても、普通に帰れるような……。
帰るためのドアはそこかしこにある。ドアを開ければ帰れるはずなのに、役目を果たすまで還せないとヴァイルは言う。帰してほしいと、茉優は言う。
つまり、本来は自力で帰ることができないということか。
こちらに来る時、たしかにドアらしきものを通り抜けてきた。やや強引にこじ開けたようだが、その感覚を覚えている。そのせいだろうか。自分は、帰る方法を知っている。何らかの条件が必要なようだが、少なくとも、自分の意思で帰ることができるはずだ。
そう考えると、茉優が「帰れるんですね」と何度も確認する意味が分かる。彼女にとっては、教団に頼るしかないのだろう。多分、自分にも連れて帰ることはできない。
「……わかりました」
茉優は完全に納得したわけではないようだが、俯いたまま小さく答えた。
その様子を見て、海里は少しだけ迷った。
「すみません。少し、彼女と二人で話をさせてもらってもいいですか?」
茉優が顔を上げる。
ヴァイルは一瞬だけ考えるように黙り、それから申し訳なさそうに首を振った。
「それは、申し訳ありませんが控えていただきたい」
「何故です?」
「もちろんヤマモト様を疑っているわけではございません。ただ、聖女様は我々にとって非常に重要なお立場です。召喚されたばかりの今、異性の方と二人きりでお話しされていたとなれば、余計な誤解を招く可能性もございますので」
「……ああ、たしかにそうですね」
尤もな理由だけに、頷くしかない。片や聖女と、片や呼んだ覚えもないのに勝手に現れた男。教団側からすれば、気を遣うのも当然だ。もしかしたら、この国の文化として男女が二人きりで話すことを良しとしない可能性もある。
茉優と話すことで、状況をもう少し整理できるかと思ったが、どうしたものか。無理に押し通して、敵意を向けられても困る。
「失礼しました。こちらこそ、配慮が足りなかったようで」
「ご理解いただきありがとうございます。なお、ヤマモト様については、今回の召喚に巻き込んでしまったことを、聖方会としても重く受け止めております」
「巻き込まれ」
「はい。誠に申し訳ございません」
そんなことだろうとは思ったが、はっきり言い切られると少し物悲しくなる。別に物語に出てくるような聖女召喚ならぬ勇者召喚とかの主人公になりたいわけではないが、おまけ以下の存在だ。そもそも呼ばれてすらいない。
深々と頭を下げられるとなお、むなしくなる。
「生活に必要な衣食住につきましては、すべてこちらで手配いたします。他の生活用品についても、できる限り不便のないよう準備させていただきますので、遠慮なくおっしゃってください」
「はあ。こちらこそ、なんかすみません」
勝手に押しかけまして。
茉優を追って路地に入らなければ、巻き込まれることもなかったのだろう。相手側は予定外のことに困惑しているようだが、おかげで逆に少し落ち着いてきた。
改めて室内を見回す。
目の前にいる人たちは、少なくとも今のところ、こちらに危害を加えようとしているようには見えない。むしろ、自分たちの都合で呼び出してしまったことを謝り、生活の面倒まで見ると言っている。
であれば、少し世話になってみてもいいだろう。自分は帰りたいときに帰れるだろうし、茉優も聖女という立場である以上、無碍に扱われることはないはずだ。
これからどうするかを考えながら、海里は自分が帰れることについては、ひとまず口にしないでおくことにした。
今ここでわざわざ話す必要もない。どう説明したらいいのかも分からない。帰れない茉優を前に話すのは躊躇われるし、彼女一人置いて行くのも気が引ける。それなら、しばらくは黙って、この世界のことを知っていけばいい。
スカートの上で握りしめている手が震えているのが目に入った。
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