2.招かれざる客
目を開けると、見覚えのない天井があった。白く、やけに高い。身体を起こして周囲を見回してみると、石造りの床に白い壁、少し離れたところに大きな木製の扉がある。さっきまでいた路地とは、何もかもが違っていた。
何が起きたのか考えるより先に、扉の向こうから人の声が聞こえてきた。複数いるようだ。ざわめきの中に、「聖女様」という言葉が混じり、その直後には「本当に……」「ついに……」と、感極まったような声が続く。どうやら向こうでは、何かとんでもなく喜ばしいことが起きているらしい。
海里は扉に近づき、ほんの少しだけ隙間を開けて中を覗いた。
広い部屋だった。大勢の人間が集まっている。その中央の台座に、見覚えのある制服姿の少女がいた。さっき道で見かけた女子高生だ。ただし、今は座り込んでいる。周囲を囲む人々を呆然と見上げながら、何度も辺りを見回しているところを見ると、本人も何が起きているのかわかっていないらしい。ふわりとした髪が揺れ、大きな瞳が潤んでいる。
にもかかわらず、周囲は大変なことになっていた。
「聖女様……!」
「おお……おお……!」
「ようやく、ようやくお迎えすることが……!」
「なんという奇跡だ……!」
誰も彼もが感極まった様子で少女を見つめている。中には目元を押さえている者までいた。不安げな少女の様子など、気にならないらしい。むしろ、その姿すらありがたいものでも見るような目をしている。
そんな周囲を見回していた少女は、不安げに口を開いた。
「あの……ここ、どこですか?」
その一言に、近くにいた男が息を呑んだ。
「おお……!」
少女がびくっと肩を揺らす。
「この地に降り立たれて、最初のお言葉をいただけるとは……!」
「ただの質問……」
少女の小さな呟きと海里のぼやきは、別の歓声に飲み込まれた。
海里は扉の隙間から、その様子を眺めたまま動くに動けない。
何が何だかわからない。けれど、少なくともあの少女が歓迎されていることだけはわかる。しかも、普通の歓迎ではない。本人が困惑していることなどお構いなしに、周囲だけが勝手に感動を深めているくらいに大歓迎されている。
そして、ここでようやく一つの問題に気づいた。
あの少女の周りには、あれだけの人間がいる。
では、自分は何なのだろう。
廊下を振り返る。誰もいない。もう一度部屋の中を見る。少女を囲む人々がいる。その中に、ひときわ落ち着いた様子で少女を見つめている壮年の男がいた。皆一様に白を基調とした装いの中、彼だけは紫色の襟元に銀色の刺繍が入っている。立ち位置的に、この場で一番身分が高いのだろう。傍らからの報告に微笑を浮かべ頷きつつも、一歩引いた様子で辺りを観察している。
その銀紫の襟の男が、ふと顔を上げた。
視線が動き、扉へ向かう。そして、隙間から覗いている海里と目が合った。男の表情が、わずかに固まる。
あ、見つかった。
先ほどまで少女を見て感極まっていた周囲の人間も、男の視線につられるように扉へ顔を向け始めた。
「……?」
少女も振り返る。
「…………」
扉の隙間から覗き込む海里と、部屋の中央で座り込む少女。その間に、何とも言えない沈黙が落ちた。
どうやら、あちらも状況がわかっていないらしい。
分からない同士、仲間だね。とか思っている場合ではない。
そもそも、ここはどこなのか。
先ほどから口々に言われている聖女とは。
そして、なぜ自分はここにいるのか。
誰か一人くらい説明してくれないものかと思っていると、男がゆっくりと口を開いた。
「……あちらの方は?」
視線は海里に固定したまま。皆一様にフルフルと首を振っている。
少女は瞬きを繰り返している。
もちろん海里も何も答えられない。
答えられるわけがない。
さっきまで感極まっていた一団は、「聖女様を召喚できた」という喜びと、「で、あの男は何」という問題の間で、盛大に戸惑い始めていた。
別室へ案内されると、海里と少女は並んで椅子に座った。向かいには先ほどの男と、数人の関係者がいる。さすがにもう騒ぎになることはなく、室内には落ち着いた空気が漂っていた。
男は二人の様子を確認すると、まず自分から名乗った。
「改めまして、私はヴァイルと申します。この聖方会教議会の代表を務めております。今回の召喚について、責任をもってご説明させていただきます」
「……聖方会?」
海里が聞き返す。
「はい。教団……そうですね、そちらの言葉で言うと宗教とか信仰に近いもの、と考えていただければよいかと」
「あ……はい」
少女はまだ少し緊張した様子で、隣で小さく頷いた。
ヴァイルはそんな少女を見てからゆっくりと尋ねる。
「お二人のお名前を、伺ってもよろしいでしょうか。こちらの都合でお呼びしたにもかかわらず、まだきちんと自己紹介もできておりませんでしたので」
「……森下、茉優です」
少女、茉優は胸の前でしっかりと手を握りしめている。
「高校二年生です。えっと……十七歳です」
「コウコウニ……とは?」
「えっと……学生? 学校に通っている? です」
「なるほど、それは素晴らしい。さすがは聖女様ですね」
感激したように頷く関係者一同を、茉優は困ったように見、海里に視線で訴え掛けてくる。だが、困惑しているのはお互い様だ。とりあえず、自分もさくっと自己紹介を済ませておくことにする。需要がなさそうな気はするが。
「山本海里です。二十五歳。会社員です」
海里が続けると、ヴァイルが小さく頷いた。
「ありがとうございます。お二人は、お知り合いでらっしゃいますか?」
会社員に疑問はないらしい。別に良いけど。
恐らく、聖女というのはこの聖方会という団体にとって特別な立ち位置にあるものなのだろう。正直に否と答えるか、もしくは知り合いを装っておくか。それによって、今後の自分の扱いが大きく変わってくるだろう。どこまで話すか慎重に考えねば
「いえ」
止める間もなく茉優が答える。
「あの、わたしの勘違いでなければ、先ほどすれ違った方ですよね。暗かったですけど、頭の感じが」
頭の感じとは。
そんなに特徴的な髪形にした覚えはないどころか、染めたこともないごく普通の黒髪の清潔感があれば良いんじゃないか、程度の容貌のはずだ。大した手入れをしているわけでもないのに、ツヤツヤサラサラなのはちょっとした自慢だが。
いや、問題はそこじゃない。今後が決まることだから、この質問への回答はもっと慎重に
「……そうですね。すれ違いました。もしかすると自宅が近いのかもしれませんね」
否定するのは怪しい。とりあえず、ご近所さんかもくらいは匂わせておく。茉優が口を開きそうになるのを笑顔で止める。ここは見ず知らずの場所だ。敵意は向けられていないようだが、少なくとも自分に対しては警戒されているのを感じる。面識はないが同じ生活圏の人間であると思わせておいた方がいいだろう。なにせ未成年の女の子だ。一人放っておくには気がかりだし、自分の身のためにも聖女様の知人かもくらいは思わせておいた方がいい。
「道で見かけた時、ちょっと様子がおかしかったので、気にはなっていたんですが」
「様子がおかしかったって……」
茉優が少しむっとした顔になる。少し元気が出たようだ。
「だって、なんか周りぼやけてきて、突然電話もつながりにくくなるしで困ってて。そしたら声が聞こえてきたから……」
だからきょろきょろと落ち着きがなかったのか。海里は頷いた。
「それは確かに、おかしいですね」
「山本さんも同じだったんじゃないですか」
「そうですね」
違うけど。
妙に冷静な返事に、茉優が一瞬だけ黙る。
その様子を見ていたヴァイルが、わずかに口元を緩めた。
「なるほど。そのようですね」
「……はい」
茉優は頷いたものの、その表情はまだ晴れない。
「私、本当に何が何だかわからなくて……。さっきから聖女って呼ばれてますけど、私のことですか? 私、普通の高校生です。そういうのになった覚えもないし……」
「はい。召喚された方がご自身のことを理解されていないことは、珍しいことではありません。まずは、この世界について順を追ってご説明いたします」
ヴァイルの声は穏やかだった。
海里は黙って様子を見ながら、二人の話を聞いていた。
どうやら茉優も、自分と同じように何もわからない状態らしい。ここに来ること自体、思いもかけなかったようだ。
この世界、ヴァイルは言った。つまりは今までいたのとは、別の世界であるということ。髪や目の色、肌の色や顔立ちの違いはあれども、同じように人間に見える。しかし部屋の片側の書棚の背表紙に書かれた文字は、見たこともない図形のようだ。とりあえず、言葉が通じるのを、良しと思うほかないだろう。
「では、ここがどこなのかというところからご説明しましょう」
ヴァイルが話し始める。
ここはアルネラ王国という国であり、ヴァイルたちが所属する聖方会は、ほとんどの国民が信仰している教義を説いている教団であること。そして、今回行われた召喚は、異世界から聖女を招くためのものだったこと。聖女とは、教団内で言い伝えられてきた伝承に出てくる「道を示す」存在であること。
「つまり……わたしが、その聖女なんですか?」
茉優が自分を指差す。
「はい。私たちの召喚の儀に応えて来られました。召喚の結果から見ても、間違いありません」
「……わたしが?」
茉優は呆然とした顔で海里を見てくる。ヴァイルもその後ろの関係者たちも大きく頷いている。
海里も改めて、その光景を眺めた。
制服姿の普通の女子高生が聖女。
「…………」
聖女か否かなど分かるはずもない。
が、どう見ても、聖女と言われている本人が一番首を傾げていた。




