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1.帰り道の異変

初投稿です。

 疲れた。


 山本海里は、ようやっとの態で仕事を終え、会社を出た。

 朝から見つけてしまった本日有休の後輩のミスの対応に追われ、単に指示を忘れていたとしか思えない業務を上司に渡され。なんとか一区切りつけて社食に行けば、かけうどんしか残っておらず、ミーティングは雑談に次ぐ雑談で終わりが見えない。ようやく帰れるとパソコンの電源を落とそうとしたところで、別部署のメンバーから業務統合の進捗具合を尋ねられ、相手が役職者では「もう、明日で良くない?」とも言えず確認する破目に陥った。


 なんとか解放された頃には夕飯時もとっくに過ぎていた。家に居場所がないと訴える諸先輩方と違い、こちらは気楽な一人暮らしだ。帰れば誰にも文句を言われない。さっさと帰って、適当に何か食べて寝たい。

 そう思ったところで、昨夜のメールを思い出した。


『別れましょう。

 今までありがとうございました』


 ……何で?

 仕事ですっかり頭から抜け落ちていたあたり、社会人として褒めるべきなのか、人として落ち込むべきなのか。忘れていたかったから、ということにしておこう。

 学生時代から付き合っていた彼女から、突然に送られてきたメール。送信元は彼女で間違いないし、いたずらにしては質が悪い。いつもの「今度の休みどうする?」の気持ちで画面を見た結果がこれだ。


 改めて思うけど、簡潔すぎないか。「別れましょう」と「今までありがとうございました」の他人行儀が過ぎる二行。その間は? 何かないのか。理由とか説明とか、せめて「突然ごめん」とか。別にそれが欲しいわけじゃないが。でも約五年だぞ。五年付き合って、この二行。何だこれ。別れてほしいという希望でも、別れてくださいというお願いでもない。


 しかも「今までありがとうございました」って。何か感謝されるようなことをしたか? いや、五年の間にはいろいろあったはずだ。ありがとうが嫌なわけじゃない。むしろ言われたら嬉しい。でも今じゃない。今は「ありがとう」じゃなくて理由が欲しい。


 好きな人でもできたのか。もしくは、話がつまらないとか、連絡が遅いとか、休日に寝てばっかりとか、店を決めるとき毎回「どこでもいい」って言われて嫌とか、服がイマイチとか、将来が見えないとか、頼りないとか、甲斐性がないとか。……待て。何で別れを告げられた側が勝手に原因を考えて落ち込まなきゃならないんだ。しかも、どれが正解なのかさっぱり分からない。


 そもそも昨日の朝まで普通だった。普通に会って、普通にご飯を食べて、普通に話して、普通に連絡して。少なくとも、そういうつもりだった。……普通だったよな? 普通だったはずだ。なんか自信がなくなってきたけど。何かあるなら言ってくれればいいし、嫌だったことがあるなら、そのとき言えばいい。言われたら考えるし、直せるものなら直す。なのに何も言われないまま、いきなり「別れましょう」って。


 それなりの年月付き合って、最後がメール一通。別に、別れ方に決まりがあるわけじゃない。メールが駄目とも言わない。でも、もうちょっとあるだろ。「話したいことがある」とか、「会えない?」とか。「ちょっといい?」とか。そういう前振りくらいあってもいいんじゃないだろうか。いきなり結論を投げつけられても、途中の話を知らないんだから意味が分からない。


 しかも本人とは話せていない。昨夜から何度か連絡してみたが、一向に繋がらない。結論だけ渡して、理由は自分で考えろということなのか。無理だろ。分からないものは直せない。言われても分からないことだってあるのに、何も言われずに分かるわけがない。エスパーじゃないんだから。……もしかして、そこまで察することを求められていたのか? 察しが悪すぎて無理ってことか?


 歩道の信号が赤になり、足を止める。隣には同じようなサラリーマン、楽しそうな酔っ払い、塾帰りらしい学生。みんないつもと同じ日常を送っている。自分も外から見たら、そう見えるのだろう。ただ、頭の中だけが昨夜から同じところをぐるぐる回っているだけで。


 何で。何で。何が悪かった。いつから。どうして。

 信号が青に変わる。周りの人たちが一斉に歩き出し、流されるように足を踏み出す。ひたすらぐるぐると同じことが頭を巡る。




 大通りを抜け、少し人通りの少ない道に入る。

 ここまで来れば、家はもうすぐそこだ。考え事をしながら歩いていたせいか、いつの間にか見慣れた道まで来ていた。


 ふと顔を上げると、道の先に、制服姿の女の子が立っていた。

 一人で立ったまま、何度も周囲を見回している。携帯電話を取り出して画面を確認したかと思えば、顔を上げて辺りを見渡す。道に迷っているのか、誰かを待っているのか、探し物をしているのか。


 街灯があるとはいえ、夜も遅い。人影も少なく、自分の歩く足音が響くくらいに辺りは静かだ。

 少し離れたところで足を緩める。気になったものの、わざわざ声を掛けるほどでもない。困っているなら手持ちのスマホで誰かに尋ねればいいし、こちらから近づいて驚かせるのもどうかと思う。親切のはずが、不審者扱いされる可能性だってある。

 そのまま少女の反対側の道の端を歩いていく。


 少女はしばらくその場に留まっていたが、急に何かに気付いたように歩き出した。向かった先は、道の脇にある細い路地。少女の姿が路地の奥へ消える。

 そのとき。

「……っ」

 小さな声が聞こえた。

 思わず足が止まる。


 声がしたのは少女が入っていった路地の方だった。少しだけ迷い、それから踵を返し、路地へ向かう。何事もなければ、それでいい。

「あの、大丈夫ですか?」

 入り口から声を掛けるも、返事はない。

 覗き込んでも、ぼんやりとした薄明かりの中、家々の塀が繋がっているだけで、少女の姿が見えない。

 虫の鳴き声一つ聞こえない。


 もう少し奥へ進もうとしたところで、目の前の景色が突然揺らいだ。

 何かが視界の端で光った。

 白い光がいっぱいに広がる。

「……え?」

 地面が歪んだように足元がふらつき、身体が大きく傾いた。とっさに手を伸ばして掴んで引き寄せる。何か通り抜けたような感覚があった。


 次の瞬間、周囲の景色がすべて消えた。


お読みいただきありがとうございます。

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