1-8 彼は感覚がマヒしている
しばらくして、フィアルとリュシアンは森の中に到着した。
すでに日は正午を回っているのだろう、太陽が柔らかく地面を照らし、木漏れ日が美しく揺らめいていた。
「王子、見てください! ポルチーニですよ!」
「いや、あそこに生えるものはは毒キノコだ」
「なんでわかるんですか?」
「実際に何度か試食して、体を壊したからな。高熱を出して酷い下痢に見舞われたことがある」
さらっというリュシアンに思わずフィアルは「え」と小さい声をあげた。
「仮にも妻に食べさせるものを試食しないわけには行かないだろう?」
「で、ですが……」
「痛みをあまり感じないというのも便利なものだよ。おかげで苦しまずに済む」
「そ……そりゃ、また……」
彼はそのことを自虐するのではなく、当たり前のように話している。
……つまり、自分が傷つくことも苦しむことも『誰も気にしていない』言い換えれば『誰も自分を気にかけてない』と思っているのだろう。
思わずそう思いながらも、歩みを進める。
しばらくしてフィアルは崖の上に生えている蟠桃を見つけた。
「では王子。あちらにある桃はいかがでしょう?」
「……いや、いくらなんでも採れないだろう?」
崖の勾配は70度ほどだろうか。
先日の長雨で岩盤が濡れていることもありリュシアンは眉間にしわを寄せる。
だがフィアルはニヤリと笑って崖に足を踏み出す。
「いえ、これくらいであれば私なら」
「あ、待て!」
こう見えてもフィアルは身体能力には自信はある。
当然だが彼女も『出荷物』として幼少期から剣術や魔法の稽古をやってきたからだ。そこらの教養ばかりやってきた箱入り娘とは違う。
本来高度な芸能を必要とする宮廷道化師に扮することをバルターが提案したのも、そのことを彼女の実家から聴いていたからだ。
「よ、ほっと……どうですか、リュシアン様! ちょろいもんです!」
「よせ、降りてこいライア!」
「おや、王子は何も感じてないんじゃないんですか? 私が落ちるのが怖いのでしょうか。おお、なんとお優しい! 道化師ごときを心配されるとは!」
「……そ、そういうわけでは……!」
思わず顔を背けようとするが、フィアルのことが心配で視線は彼女にずっと向いている。
だが、予想通りの結末は起きた。
「……あ!」
「危ない!」
雨上がりで土に汚れていた岩肌を上っていたフィアル。
だが、彼女が足場にしていた岩のでっぱりだと思ってたそこは、単に盛り上がった土だったのだ。
ボコ……という音とともに足元が崩れてフィアルはバランスを崩し、フィアルは崖から転落した。
「ああああああ!」
「……っく!」
だが、その数秒後。
「ふう……。危なかったな、ライア」
「リュシアン様……」
彼の手に抱き留められながら、フィアルはリュシアンの心配そうに覗き込む顔を見つめた。
その端正な容姿を見て思わず顔を赤らめながらも、フィアルは呟いた。
「お、おや、ありがとうございます」
「いや……君が無事でよかった」
「あなたの秘密を知った私など、死んだほうが良かったのでは?」
「そんなわけないだろう? ……まったく」
そうおどけながらもフィアルはくるりと道化の真似をして答える。
「けど、しっかり採れましたよ、何と美味しそうな桃でしょう! まるでフィアル様のお尻のようにかぶりつきたくなりますなあ!」
「おい、なんだその比喩は……」
「いえいえ、女同士どうしても臀部のふくらみは気になってしまうものでして。王子、あなたの汚いケツとは違いますからねえ」
「な……」
「ちゃんと毎日洗っていますか? この桃を洗うように丁寧に!」
「洗っているに決まっているだろう……まったく、お前のような道化師は初めてだ……」
そういいながらも、わずかだがリュシアンの表情が崩れていた。
いつものニコニコした笑顔ではなく、人間味のある表情。フィアルは彼のそんな顔を見たかった。
「それであれば、安心しました。あんたにも羞恥心は残っているということですね。何も感じないわけじゃあないわけだ」
「む……」
「もしあなたが本当に何も感じないなら、ここでスッパになっても恥ずかしくないでしょう? ですが王子はそうではない。なら感じる心がマヒしてるだけで、壊れたわけじゃあありません」
「……そうか……私は……」
そういわれたことで、リュシアン王子は少し驚くように顎に手をやる。
そんな彼を見ながら、フィアルは森の奥の方に歩いていった。
「さ、キノコも蟠桃もまだまだ見つけてませんから先に行きましょっか」
「ああ……」
それからしばらくして。
「ふう……これだけあれば十分っすね」
「ああ。フィアルも喜んでくれるだろう。楽しみだ」
籠一杯に盛られたポルチーニと蟠桃を見ながら、リュシアンはそうつぶやいたのをフィアルは聞き逃さなかった。
「え、今なんて?」
「フィアルが喜んでくれるのが楽しみだと」
「すみません、風の音が邪魔で」
「だから、フィアルが喜んでくれるのが楽しみだって言ってるだろう!」
「おお、聞こえました! すみません、王子がまさかそれほどフィアル様を愛しているとは思わず、幻聴かと!」
本人不在の中で、好意を持つ相手に想ってもらえることは嬉しいものだ。
フィアルは彼のその言葉をゆっくりと反芻しながら思った。
「あれ……?」
リュシアンの服の裾が少しほつれているのを見つけた。
「リュシアン様……服が少し汚れていますよ」
「ああ、そうだな」
だが、彼が服を少しはだけさせたところでフィアルは顔色を変えた。
彼のその服の下には酷い打撲痕があったからだ。
「ちょ……酷いけがじゃないですか、王子!」
「そうか? 帰ったら治療しておこう」
こともなげにそういったことでフィアルは分かった。
……やっぱり王子は、痛覚も酷くマヒしているのだ。そう思いながらフィアルは近くに生えていた薬草を摘み、水で浸した後リュシアンの脇腹に貼り付けた。
「ちょっと動かないでくださいね」
「あ、ああ……」
多分自分が崖から転落したときだ。
あの時、無理な姿勢で自分を抱きかかえた時にケガをしたものだということが傷の新しさからすぐに分かった。
猛烈に罪悪感を感じたフィアルは薬草を貼り終えた後、何を言うべきか悩みながらぽつり、と口を開く。
「その……リュシアン様……その傷、その……」
「今日はお前が来てくれてよかった」
だが、そんなフィアルの表情を読んだのだろうか、リュシアンはケガの一件を責めもせずにそう答えた。
「え……?」
「身軽なお前でなければ採れないところのキノコを採取できたし、普段は一人で持ちきれない分の木の実も一緒に持って帰れるからな。それに……」
傷の痛み自体はないのだろうが、生理的な反応で少し痛みが落ち着いたためだろうか、大きく息をつきながら王子は呟く。
「私が転生者だなんて与太話、誰にも話せなかったからな。聴いてもらえただけでも少し楽になったよ」
ここでフィアルも理解した。
今ここでリュシアンが求めているのは謝罪ではないのだろう、と。代わりに先ほどのようにおどけた様子でポンとリュシアンの肩を叩く。
「ハハハ、道化師の私はどんな話も信じますし、どんなうわさも信じませんからねえ」
「フィアルは……そんな私が隠し事をしていることを薄々気づいていたのだろうな」
「かもしれませんねえ……。あのかたは実に聡明だ。私や王子などとは大違いに」
「ふ……。全くだな。私やお前とは違って」
皮肉に対して皮肉でそう返すリュシアンは、少しだけ嬉しそうだった。
それを見て、フィアルは少しだけいたずら心が芽生え、懐から採取活動中に見つけた山ぶどうを一粒取り出す。
「それ!」
「え? ……ぐお!」
そしてそれを彼の口の中に放り込んだ。
「な、なんだこれは……酸っぱすぎるぞ!」
思わず口をすぼめながら叫ぶリュシアン王子。
野生の山ぶどうは普通では酸っぱくて食べられないものが大半だからだ。それを見てフィアル笑う。
「ハハハ、さっきは『感覚がない』なんて言ってましたが、あんたの口にも残ってるじゃないっすか、味覚が」
「そ、それはこれだけ強烈なら誰でも感じるぞ……」
「でしょうね。けど、感覚が残ってるってことは、あんたの体は生きたがってる、楽しみたがってるってことですよ!」
「!」
そういうと、リュシアンは少しだけ考え込む様子を見せながら、コクリとうなづく。
「……私が、楽しみたがってる、か……」
「そ。ま、明日からまた遊んであげますから、楽しみにしてくださいね!」
「フフ……そうだな、ありがとう、ライア」
少しだけリュシアンのことを知ることが出来た。
そして、私が『ライア』として彼と接していけば少しずつ感情や感覚を取り戻していけるだろうか。
……そんな風に思いながら、フィアルはキノコの入った背負子を背負いなおした。




