2-1 「現代知識」はあくまでフィアルが持ち込んだものではない
それから数日が経過した。
「ふう……」
「どうしました、リュシアン」
フィアルは、頬を少し紅潮させながらリュシアンの隣で昨日の余りであるリンゴを剝きながら、クスクスと笑う。
「この間は、バルター陛下が雇った道化師ライアに相当からかわれたそうですね」
先日の採取から帰ったあと、リュシアンはバルター王に事情を聴いた。
その際に『彼女はわが国で新しく雇った宮廷道化師である』と言われており、彼女の素性についてはすでに疑う余地は無くなっている。
「ああ……。あんな言いたい放題いうやつは初めてだったからな。まったく、災難だった」
「その割には嬉しそうじゃないですか」
「あ、いや……そう見えるか?」
リュシアンはライアの正体がフィアルだと気づいていない。
浮気を疑われているのかと思い、少しあたふたしているのを見てフィアルは少しいたずら心が湧いてきた。
「……ひょっとして、彼女のことが忘れられない、とかですか?」
「そ、そうではないが……」
「ああ、何てこと……。まさか私ほどあなたを愛する者がいるというのに、他の女にかまけるなんて……」
わざと大げさにそう倒れこむような演技をしてみると、リュシアンは大慌てで彼女を抱きしめてきた。その体が少し震えているのを見て、少しトラウマを刺激しすぎてしまったかと申し訳なく思ったが。
「そ、そんなことはない! その、私は誰よりもフィアル、君を愛しているのだから」
「まあ嬉しい。私もリュシアン、あなたを愛していますわ?」
「そ、そうか……それは良かった」
『それは嬉しい』ではなく『良かった』と言っているところにフィアルは少し胸がチクリと痛んだ。やはり彼は自分を本心で愛しているわけではない。……というより『誰かを愛する感情』自体が前世の経験から欠落していたのだろう。
「ところで、どこか浮かない顔ですが、どうされました?」
「む……。あ、いや。この間訪れたカルミア村のことが気になってな」
「あら、あそこですか?」
そこはフィアルが現代知識である石鹸の製造方法を伝えた村だ。
製造は無事に軌道にのり、城下町でも卸されるようになったと聞いている。
「そうだ。特に問題は起きていないか?」
「ええ。流石はリュシアン様と、皆褒めたたえていましたわ?」
「ならいいのだが……」
だがどこか浮かない顔をする王子。
……ひょっとして、私には言えないことなのでは?
そう思ったフィアルは、今夜ライアに変装することを決めた。
ーーーーーー
そして、夜。
「……うーむ……」
部屋に持ち込んだ大量の書籍を読みながら、リュシアンは難しい顔をしながら文献を読み漁っていた。
そんな彼を窓の外から覗き込む姿があった。
(フフ、一生懸命公務に励む姿は素敵ね……)
道化師ライアに変装したフィアルだ。
彼女は顎に手を当てながら物思いにふけっているリュシアンの姿をじっと見つめながら顔を赤らめていた。……無論仮面と化粧のせいでその紅潮は見えなかったが。
しばらくして十分眼福と感じたフィアルは、そっと自分が乗っていた木から王子の窓に飛びつこうとした。
……だが。
「ん? ……誰だ!?」
ゴンゴンと凄まじい音を立てながらドアをノックする音を耳にしたリュシアン。
護身用の短剣を机から出そうと思ったが、もし賊であれば音もたてずに部屋に忍び込むはずだ。
そう思って窓を覗き込んだ。
「……リュシアン様、助けて……!」
「ら、ライア!」
必死に窓枠を掴んでいる道化師ライア、つまりフィアルの姿があった。
窓をガラっと開けて彼女に尋ねる。
「ど、どうしてこんなところに……」
「と、とにかく引き上げてください……」
「あ、ああ……」
そういってリュシアンは彼女の手をグイっとつかみ、一気に引き上げる。
「ふん!」
「きゃあ!」
そのまま彼女はリュシアンの上にのしかかる形で倒れこむ。
「あ……」
「ぶ、無事か……?」
顔を少ししかめながら心配するようにこちらを見つめるリュシアンを見てフィアルは思わず顔を赤らめる。
……まったく、ライアの時の方が彼と触れ合う機会が多いというのも皮肉なものだ。
「おお、リュシアン様! ご機嫌麗しゅう!」
「今ので最悪になったがな。まったく、なぜこんなところに来たのだ」
そう毒づくが、いつもの笑顔とは違う人間味のある表情を見せるリュシアン。
(こうやって見比べると分かるわね。普段リュシアンが、どれだけ私の前で無理して笑っていたのか……)
思わず彼にそうつぶやきそうになるのを抑えながら、くるりと一回転する。
「いえいえ。リュシアン王子がフィアル様のお力になれず、落ち込んでいるのではと思いまして、おちょくりに……失礼、励ましに来たつもりでして」
「そして足を滑らせ、落下しかけたというわけか。全く無様だな」
「まさか! あ、あれは演技です。リュシアン様にも『自分は誰かの役に立てるのだ』ということを理解していただくための。なんといっても私は道化ですから」
「……フン、嘘をつけ」
「おや、なぜそう思うのですか?」
「もし演技でないなら、わざわざここで『演技ではない』というわけがないだろう」
「なるほど、聡明な方ですねえ」
まあリュシアンの推測は全て当たっているのだが。
それでも道化らしく笑いながら、くるくるとおどける様子を見せながら踊ってみせた。
「今宵も王子はどうにも勉強を楽しんでおいでのようだ」
「別に……好きでしているわけではない」
「であれば、少し休憩をされてはいかがかと」
そしてフィアルは近くにあったチェス盤を見て、椅子にどっかりと座った。
「急ぎでないのであれば、一勝負いたしませんか?」
「……断る」
「おや、負けるのが怖いからですか? それであればどうぞ学問の世界にお逃げ下さればよろしいかと」
「む……」
予想通り、リュシアンは対等と思っている相手にはムキになるタイプだ。
フィアルの挑発に、少し眉間にしわがよった。
「では、賭けようか。私が勝ったら、明日共にカルミア村に向かってほしい」
「おや、デートですか? いやあ、私なんぞに惚れていただけるとは恐れ多い。あなたのようなまぬけ面と一緒に出かけることが出来るなど、感謝の極みでありますねえ」
半ばこれは本気の皮肉だ。
もし共に外出するのなら『ライア』ではなくフィアルを誘ってほしかったからだ。だが王子は少し焦るように否定してきた。
「違う! ……単に、私が気になっていることを一緒に調べに来てほしいだけだ」
「ほう、気になっていること?」
「ああ。……フィアルには言えないが……。どうも彼女が村で披露した石鹸の製法を見て、どこか胸騒ぎがしてな……」
そういわれて、ドキリとした。
フィアルが持っている現代知識は所詮また聴きのものであり、正確性に欠けている。咥えてその『転生者』自身が中途半端な知識を持ってきた可能性も否定できないからだ。
「だが、仮に私の仮説が正しかったとしても、彼女の顔を潰したくはない。……あくまでも彼女はこの国の救世主であるべきだからな」
「へえ……縁の下で助けようってもんっすか。バカなあんたにも見上げた根性があるんすね」
そういいながらも、フィアルはどこか嬉しかった。
あくまでも国のためという前提はあるのだろうが、少なくとも自分を『私』のいないところで気にかけていることが分かったからだ。
「じゃあ、私が勝ったらどうされます?」
「なんでもお前の言うことを聴こう。土地でも金でもな」
「なるほど、それはありがたい。……では、王子からどうぞ」
「……いい度胸だ」
チェスというのは通常先手側が圧倒的に有利だ。
そのことを知っていて尚、先手を譲ったことにプライドを刺激されたのか、リュシアンは笑みを浮かべながらポーンを手に取った。
ーーーーーー
それから数十分後。
「ぐ……くそ……」
悔しそうな顔をしながらリュシアンは盤上を眺めていた。その顔を愛おしそうに見つめながるフィアル。
「おや、王子。悔しそうですね。そんな顔、フィアル様の前ではなさいませんのに」
「う、うるさい……!」
「なるほどなるほど。まあそこはそれしかないでしょう。……ですが……」
ビショップを盤の中央に移動させたリュシアンを見て、じっと顔を見つめながらフィアルは押し黙る。
「なんだ、ライア?」
「…………」
「だから何だと言ってるんだ!」
「…………」
「おい!」
そしてしばらく立った後に、ふー……と紅茶を飲み干した後に一言。
「チェックメイト」
「な……!」
ルークをポンと置かれた瞬間、リュシアンは怒りに手が震えだした。
「いやあ、いいっすねえ。散々溜めてからの『チェックメイト』は。いい顔ですよ、リュシアン様」
「くそ……嫌な奴だな、お前は……」
フィアルは、チェスであれば元居た故郷でも最高の腕前だった。
一方のリュシアンは地頭こそいいが、剣と学問しかやってこなかった典型的な『君主』だ。
ちょっとしたハメ手を使えば面白い位に引っかかってくれた。
「それじゃ、王子。私の言うこと聞いてもらいますよ?」
「ああ、なんだ?」
「それはですね……」
そういって、顔をずいっと近づけながら上目遣いをするフィアル。
リュシアンは少しだが顔を紅潮させているのが間近で見て分かった。
(フフ、可愛いな……)
そう思いながらも、フィアルは明るく答えた。。
「明日、一緒にデートについてきてください。カルミア村に」




