1-5 「私自身が王子の浮気相手」になるために
「流石ですね、フィアル様」
それから一ヶ月ほど経過した。
侍女のミリアがにこやかな笑顔を見せながら、中庭で読書をしていたフィアルのもとに笑顔でやってきた。
「先日逗留されたカルミア村ですが、姫様の作った石鹸のおかげで劇的に感染症が減ったとのことです」
「そう? それなら良かったわ」
「リュシアン様も自慢気に話されていましたよ。フィアルは私の自慢の妻だ。彼女の言うとおりにしていれば間違いないって」
「フフ、そういわれると照れるわね」
正直、あの小さな欠片で手を洗うことでどんな効果があるのか、具体的な理論はフィアルにはわからなかった。だが、それほど目に見えて感染症が減ったというのであれば、『現代知識』の面目躍如といったところだろう。
大きく伸びをしながらフィアルは本を閉じ、周囲を見回す。
「ところでリュシアンはどこですか? 朝から姿が見えませんが」
「ああ、王子であれば朝から村の視察に行っていますよ」
「そうですか……」
リュシアン王子は石鹸作りのときにもろくに眠ることなく、村人たちを励ましながら調合を行ってくれた。
その際にも一切自身には「本当にこんな塊で病の広がりは防げるのか」「何か根拠はあるのか」「休ませてくれ」とは言わず、フィアルの指示をすべて肯定したうえで、だ。
そして、その手柄は一切城の者には伝えず、フィアルが全てやったことにしてくれた。
(なんか、申し訳ないな……)
リュシアン王子が暴君だという噂とは裏腹に、ここに来てから助けられてもらってばかりだった。それなのに彼は、自分に何も求めてこないし、不平も不満を一切口にしない。
「ミリア、もうこの本は読み終わったから片づけておいてくれる?」
「ええ、それでは私はこれで」
だが、あまりに何も自身に何も求めてこない言動と、彼がいつも服用している大量の薬品、そしてどこかこちらに対して見せる恐怖のような表情は、フィアルに取って違和感を感じさせるものであった。
(ひょっとして私は、リュシアンに嫌われているのかな……)
そう思いながら頭の中にある記憶を総動員させてみたが、一切心当たりはない。
側室や寵童の存在も疑ったがその影はない。それどころかメリージーンのような女が近づいたときにも全て遠ざけているとのことだ。
「どうした、浮かぬ顔だな、姫君」
「あ、お義父さま」
いつの間にか、結構な時間がすぎていたようだった。
曇天の空から視点を戻すと、ちょうど朝の鍛錬が終わったのであろう、国王であるバルターが隣に立っていた。
年齢を感じさせない筋肉質な体と、長くウェーブのかかったその髪型、そして古風な礼服を着こなすセンス。剣の腕は一流な反面、どこか華奢な印象を与えるリュシアンとはまた異なる形で端正な佇まいを感じさせた。
「何か心配事があるなら、余に話してはくれまいか?」
「いいんですか?」
「ああ。大切な嫁殿の言うことならばな」
彼もまた、気さくな性格で昔から国民から慕われていたと話を聴いている。
そのためフィアルも、その威厳ある姿に最初こそどこか気後れしていたものの、現在では気軽に相談できる関係になっていた。
「あの、実はリュシアン王子のことで……」
「む? ……奴がなにか、そなたに良からぬことをしたのか?」
そういうと、急にバルターの眉間に皺がよった。
その迫力に思わずフィアルはドキリと心臓が高鳴る。
(……こ、怖……)
だが、それも全て王子の妻である自分を大切に思っているという証なのだろう。そう思ったフィアルはすぐに気を落ち着けて、打ち明けた。
「そんなことはないんです。リュシアン様は本当に素敵な方です。毎日遅くまで民のためにも公務にいそしんでますし……」
「それは余も知っておる。だが、そなたを寂しくさせていないのか?」
そんなわけはないとブンブンと首をふるフィアル。
まったく彼にとってリュシアンはよっぽど『バカ息子』に見えているのだろうと思いながらもフィアルは慌てた口ぶりで答える。
「い、いえ! それどころか、暇な時間を見つけては一緒に本を読んで楽しんだり、昼食の時間を共にしたり……私にはもったいないくらいの方です!」
そのフィアルの言葉に嘘はなかった。
少なくともリュシアンの元に嫁いでから、彼に寂しいと思わされるような自体は一瞬たりとも起きなかった。
「それに、この間の石鹸の件も一番頑張ってくれていたのはリュシアン様です! ……なのに、全部その手柄を私に譲ってくれますし……不満なんてものはありませんよ!」
「ふむ、そうか? ……では、何が気になるのだ?」
「はい……。いつも私を助けてばかりなのですが……もっと私は、リュシアンと心を開いて話をしたいのです。私ばかり支えられている今の関係は健全ではありません」
「ふむ……」
バルターは顎に手を当てながら、少し考える素振りを見せた。
そしてしばらくした後、うむ、と頷いた。
「確かに、数年前からあれは、急に印象が変わったのは確かだ」
「そう、ですか?」
「うむ。恐らくそなたの耳にも届いてただろう。激しやすく冷酷なバカ息子だったからな。……だが、ある日を境に急に大人びた性格に変わってしまったのだ」
その立派な髭を撫でつけながら、バルターは不思議そうに呟く。
そんな彼に「あと」と付け加えたあとにフィアルは尋ねる。
「それとリュシアンは……いつも私に怯えてるような、それでいて全てに諦めてるようなそんな顔をたまにするんです……。ひょっとしたら、何か私が酷いことをしたのかもしれませんけど、本人に聴いても何も答えてくれなくて……」
フィアルの傍ではリュシアンは常に笑顔ではあったが、それはあくまでも『民を安心させるための笑顔』と同じ、即ち『自分を喜ばすための笑顔』でしかなかったと感じられたことだ。
「ですが、もしリュシアンを傷つけるようなことを私が無意識にしていたとしたら……彼には謝りたいです。そして、少しでも彼にも幸せになってもらいたいです……私だけ幸せでも、それは夫婦とは言えませんから」
そうフィアルはぐっとドレスの裾を握りながら尋ねると、バルター王はふむ、と少し考えたのちに笑顔を見せた。
「やはり、そなたに嫁に来てもらえてよかったな」
「え?」
「正直に言うと、余の目的は地政学的なメリットと、そなたの持つ『現代知識』だけだった。妻としての役割は期待しておらなんだ」
「ええ……」
それ自体は最初から分かっていたことだ。財産目当てでない結婚などこの時代には存在しないのだから。
「だが、そなたは妻として、あれのことを心から案じ、思いやってくれているのだ。あの出来の悪いあれをな」
「リュシアンは……あなたの息子は出来が悪くなんかありません! 私にはもったいないくらいの方ですから!」
これはフィアルの紛れもない本音だ。
初めから「人質兼出荷物」としての扱いしか受けないと思っていたフィアルを一人の妻として愛してくれたリュシアン。
彼のことを妻として、仮にそこまでではないにしても、少なくとも彼の力にはなりたい。そう思うようになっていた。
すると、バルターは少し考えたのち、口を開いた。
「ふむ……。それであれば、余には一つ考えがある」
「え?」
「ただし……これは、かなり危険であり、また難しいことでもある。下手をすればそなたの命を危ぶむほどの可能性はある程にな……。いや、あれがそこまでするとは思えないが……」
「どんなことですか?」
「……簡単な話だ。そなたが身分を偽り、あれの『浮気相手』となるのだ」
「は?」
一瞬何を言っているのかわからなかった。
だが、バルターが部下に命じて用意した道化の服を見て、自身が何をするべきなのかをフィアルは理解した。




