1-4 石鹸がなぜ病を防止するのか具体的に説明できるのか、現代人は
「わ、私が村長のベルツと申します……」
「初めまして、私はリュシアン、そしてこちらが私の婚約者のフィアルだ」
「お初にお目にかかります、どうぞ宜しくお願いいたします」
カルミア村の村長であるベルツは年齢は恐らく40代半ば。この世界の寿命を考えると順当な年齢だろう。
リュシアンとフィアルは彼に対して緊張を解こうと極力柔らかい口調で尋ねる。
「この村では、ここ数年続いている病が問題になっているようだな」
落ち着いたその様子で話すリュシアンを横目で見るフィアル。
貴族に見られるような平民に対する侮蔑のようなものは特に感じさせない。その態度にフィアルは少し意外に感じた。
「え、ええ……そうなんです……。そのせいで村の中でも『魔女がいるはずだ!』『誰かが病気を撒いている!』という意見も散見されており……正直魔女狩りが起きるのも時間の問題で……」
チラリと窓の外にある小さなあばら家を見つめるベルツ。恐らくだが、その村の住民が『魔女』ではないかと思われているのだろう。
それを察したリュシアンは探りを入れるような口ぶりで尋ねる。
「その『魔女』とは、あなたの知り合いなのか?」
「ええ。とはいえ、先日村に越してきた、私の遠縁のものなのですが……。戦争で夫を失ったため、私の村に来たのですが、どうも気の強い性格もある上、年のせいもあるのか頑固で周囲に馴染めずにいるので……」
ファンタジー漫画の世界などでは魔女は美しい存在として描かれることが多い。
だが、そもそも若い女のように『村にとって利用価値のあるもの』を村の男たちが好き好んで排斥などするわけがない。
仮に男たちがそうしようとしても、可愛い美人なら村の女たちが止めるのは自明だ。
そのため『魔女』として選ばれるのは老婆、それも後ろ盾がなく性格にも難があるようなタイプが選ばれやすいのだ。
……おそらく古典物語に出る魔女が老婆ばかりなのも、それに起因しているのだろう。
「なにか……流行り病を止める方法はあるのでしょうか……」
ベルツは村長の責務として、そのような魔女狩りを行うことを許せないのだろう、切迫感のある表情を見せながら
「ああ、私たちはそのために来たんだ。フィアル、すまないが説明を頼む」
「はい、まずはこちらをご覧ください」
そしてフィアルは、先日ミリアと一緒に作った石鹸の試作品をコトリと机の上に置いた。
それをベルツは訝しげに見つめる。
「これは?」
「『石鹸』というものです。これは『現代知識』によってもたらされた我々の国に伝わる技術です」
「おお……「現代知識」ですか……それを我々の村に教えてくださるということですかな?」
この世界では、時折異世界転移者が訪れて技術を伝えてくれることをベルツは知っていた。期待に溢れた目でその石鹸を見つめる。
「ええ。動物の油と灰を混ぜ合わせることで完成するのです。これを使って手を洗えば、感染症を防ぐことができるのです。ちょっとやってみますね」
「は、はあ……」
「病の原因は『現代知識』によると、目に見えない生物が体内に取り込まれることによるものだそうです。なので、こうやって洗い流せば、いいというわけなんですよ」
得意げに知識を披露しながら手を洗うフィアル。だが、その発言だけで説明を理解できなかったらしくベルツは狐につままれたような表情を見せ、フィアルがもこもこと泡を立てるのを見ながら尋ねる。
だが、ベルツは当然これを見て思いつく質問を述べた。
「あ、あの……どうして石鹸で手を洗うと、病の広がりを防げるのですか?」
「え?」
「そのお話ですと……ただ、手で洗うだけではだめなのでしょうか? なぜ石鹸を使わねばならないのしょう……」
「そ、それは……」
そこでフィアルは口ごもった。
案外「何故石鹸で洗えば病気が防げるのか」を理解してるものは現代人にも少ない。
正解は「石鹸の親油基の成分がウイルスの外殻を溶かし、親水基の成分によって洗い流されるから」だ。だがフィアルはそこまで深い『現代知識』を彼女は持ち合わせていない。
だがその様子を見て、リュシアン王子は隣から助け舟を出した。
「……その理由は、簡単だ。その泡には精霊の加護が詰められているからだ」
「加護?」
「そう。動物の生命力をこの油の力で固着させる。そして、これを水と反応させると精霊が寄り添い、そして病のもとを殺すのだ。その際に生まれるのが、その泡なんだ」
「な、なるほど……」
この世界ではまだ迷信が、ある種の「科学的な根拠を代替する架け橋」となっている。
村長も迷信深いわけではない現実主義者ではあるため、この発言で納得したわけではない。だが「リュシアン王子の発言」に逆らうことは避けたのだろう。
そのためベルツは納得したような様子で、頷いた。
「わ、わかりました……では早速村の若いものを集めてやってみようと思います……」
そうベルツは頷き、石鹸づくりは開始した。
ーーー
そして数日後。
村の外れにある小さなかまどの前で、ぐつぐつとに立った鍋の前でリュシアン王子は汗を流しながら中の液体をかき混ぜていた。
時刻はすでに深夜1時を過ぎている。
「あの、リュシアン……」
「なんだ?」
「もう夜も遅いですし……。もう少し、お休みになられては……」
「心配には及ばない。もう少しで石鹸が完成するから、ここで手を抜くわけにはいかないしな。……フィアルは先に寝ていてくれ」
リュシアンは、フィアルから教わったマニュアルを理解した後、村の暇をしている若者たちを動員して、石鹸づくりを行っていた。
当然だが、農民たちは今までやったこともないような作業を行うことに抵抗を持っていた。だが、それをリュシアンは必死に説得しながら作業を勧めていた。
また実際に作業を行う中でも彼は昼夜を徹して鍋の前に張り付いているのを見て、はじめは有難いと思っていたフィアルも、次第に心配になっていった。
「そんな! リュシアンが起きているのに、私だけ寝るなんて……!」
「君の頑張りは誰もが認めていることだ。それに私は体力に自信はある。倒れて迷惑を書けるような真似はしないから安心してくれ」
別に、王子が迷惑をかけることを心配しているわけじゃない。純粋に自分はいつも過労気味のリュシアンを心配しているのだ。
フィアルはそう思いながら首を振る。
「いえ、ですが……。リュシアンは何日もろくに寝ていないじゃないですか?」
だが、リュシアンはいつものどこか諦めたような笑みを浮かべた。
「いいんだ。……恥ずかしい話だが、私は……眠るのが余り好きではないんだ。だから、気にしないでくれ」
「リュシアン……」
リュシアンとは結婚してから一度もベッドを共にしたことはなかった。
だが少なくとも、フィアルが起きている時間にリュシアンが寝ている状況は一度も遭遇しなかった。
いつ、どんなときにもリュシアンは公務にいそしんでいるのをフィアルは知っていた。
「それより見てくれ、フィアル。今度の石鹸は今までよりもずっと質が良くないか?」
「え? ……あ、本当ですね……」
ランプの明かりが端正な顔だちのリュシアンを照らすのを見ながら、フィアルは見惚れた様子でそう答える。
「……きっとこれを使えば村人たちの病の広がりも止まるだろう。これも君のおかげだ」
「いえ……私は何もしていませんから」
「そんなことはない。きっと、村人たちも喜んでくれるはずだ。フィアル、君が来てくれてよかった」
リュシアンはニッコリと笑いながらそう話す姿にフィアルは少し顔を赤らめた。
(……私はなにも……)
だが、そんな風に話していると突然ドアが開いて村人がやってきた。
「あ……すいやせん、リュシアンさん。お楽しみでしたか?」
ここ数日で、リュシアンはすっかり村人たちに馴染んでいる。そんな不躾な発言にも彼は微笑んで答える。
「気にするな。ところで何の用だ?」
「あ、へい……。王子に言われた通り、こちらでも石鹸づくりをやってるんですが……この廃液はどこに捨てればいいんすか?」
そういって村人が見せた灰色の液体は、恐らく石鹸づくりの時に出来たものだろう。
「ああ……。すまない、フィアル。どうすればいいか教えてくれるか?」
「はい……えっと……」
フィアルが教わった『現代知識』には廃液の処分の方法までは書いていなかった。
石鹸をどう作るのかだけは詳しくメモをしていたのだが。
(けど、自然のものは自然に返すのが一番よね。それに山に埋めるのは農民が嫌がるし……)
そう結論付けたフィアルは、近くの川を指さした。
「その辺の川に流してしまっていいわ」
「へい、分かりやした」
そういうと男は、灰にまみれた水を持ってよたよたと川に向けて歩き出した。
(……これでよかったのかしら……)
フィアルは現代知識自体は伝聞で聞いているが、その細かい部分までは知らない。
少し心配しながらも、その男の後姿を見送った。




