1-3 彼女は「現代知識」はあるが「転移者」ではない
それから数週間が経過した。
ゴトゴトと馬車が揺れる中で、フィアルはフィアルは一人の侍女と笑いながら話をしていた。
「姫様、カルミア村に行かれるのは初めてですか?」
「ええ。あなたはどうなの、ミリア?」
「レジーナ様の領のお隣でしたから、何度か足を運んだことが。風光明媚で素敵な村ですよ?」
「そうなのね。ちょっと楽しみだな……」
ミリアは先日冤罪事件を起こした侍女だ。
あれから彼女はレジーナのもとを離れてフィアルの元で働くことになった。元々半ば脅されて狂言を行っていたことと、レジーナの言動に不満を持っていたためなのか、フィアルに対してもニコニコと接してくる。
フィアルも彼女の行った一件は水に流しており、今では友人のような立場になっている。彼女はニコニコと少し幼さの残る表情を見せながら紅茶を淹れ直す。
「それで、カルミア村にはどんな『現代知識』をお伝えするのですか?」
「ええ、石鹸の製法を教えるつもりよ。あれがあれば、あの村の感染症も防げるはずだもの」
「石鹸……ですか。それはどんなものなんでしょう?」
「簡単に言えば、手についてしまった病気の元になる瘴気を払う魔よけのようなお守りよ。いい匂いがするから、使ってて楽しいの。私もよく作ってたわ」
フィアルの住むミアス公国は土地も痩せていれば主要な産業も存在しない。
そんな彼女たちが大国であるルイン王国に嫁ぐことができたのは持参金として彼女が『現代知識』を持っていたからだ。
パラパラと懐から取り出した写本をゆっくりと復習するように読み返すフィアル。ミリアは少し不思議そうに尋ねた。
「その知識は、どこで手に入れたものですか? もしかしてフィアル様は『転生者』なのですか?」
「フフフ、違うわ。以前私たちの国に来た『転移者』が教えてくれたのよ。おかげで私たちの国は小国ながらなんとか飢饉に耐えて国力を維持できたってわけなの」
「なるほど……」
フィアル自身は「異世界転移者」ではない。
だが、この世界ではしばしば現れて様々な知識や技術を伝達する「異世界転移者」に師事ていた経験がある。
ただ、細菌やウイルスといった現代の概念については彼女たちは理解できなかったこともあり、一部の情報は『瘴気』など中世の用語に変えて伝わっている。
「もちろん、私たちの世界では使えない技術もあるけどね」
「どんな技術ですか?」
「たとえば蒸気機関とかね。えっと……水を燃やすと、水の精霊が活発に動き出すことによって、なんか物が動く仕組みなのよ。ただ、質の良い鉄が私たちの世界にはないから、水の精霊が逃げるのよね」
「なるほど……。けど、馬がいればそんなものは必要ないわね。ひょっとして、『異世界』には馬がいなかったのかもしれませんね」
「そうね。多分だけど、変な世界だったんだと思うわ。『異世界』は」
フィアルがミリアと楽しく談笑をしていると、馬車の天幕にリュシアン王子が入ってきた。
相変わらず寝癖はもちろん服のほつれ一つない隙のない佇まい。先日強い口調で脅された時の恐怖がよみがえったのか、思わずミリアは緊張するように背筋を伸ばした。
「ん……フィアル、異世界の話をしていたのか?」
「ええ。ミリアにも少し知っておいてほしかったの」
「そうだな。フィアルの現代知識には私たちは助けてもらってばかりだからな。以前教わった堆肥の製法なども、すでに実用化されているようだ」
「そうなんですね。リュシアン様のお役に立てて嬉しいです」
「……ああ」
フィアルに優しい目を見せながらも一瞬不安そうな表情を見せるリュシアン。それを見て、少し不思議そうに尋ねる。
「あれ、どうされました、リュシアン様?」
「あ、いや。なんでもない。それより、もうすぐカルミア村に到着するから準備をしてくれるか?」
「ええ。……けど、石鹸づくりについてちゃんと理解してくださるでしょうか……?」
この石鹸の作成は、これといった産業のないカルミア村の授産も兼ねている。
心配そうにそうつぶやくフィアルに、そっとリュシアンが語りかける。
「問題ない、私の方でも説得するつもりだ」
「え?」
「君の持つ『現代知識』は間違っているとは思えない。君が正しいと思うなら、私はそれを信じるまでだからな」
「王子……ありがとうございます。っと……」
立ち上がろうとしたフィアルだが、その刹那荷馬車の馬が動揺したのか馬車が軽く揺れた。
それによってフィアルは態勢を崩す。
「きゃあ!」
「大丈夫か、フィアル……!」
リュシアンはそんな彼女の体を抱きとめた。
「あ、ありがとうございます……」
思わずその体に抱かれたことでフィアルは顔を赤らめる。だが、リュシアンは急に息が荒くなり、心臓が早鐘を打つような音を立て始めた。
「……はあ、はあ……」
「お、王子……その……だ、大丈夫ですか?」
「い、いや……大丈夫だ……」
そして以前も見た小瓶を懐から取り出して、それを一気に口にする。
「……ふう……」
しばらくして落ち着いたのか、ほうっと一息つく。そしてもたれかかっていたフィアルをそっと抱き上げて、馬車の外に降り立つ。
「降りれるか、フィアル?」
「あ、ありがとうございます……」
一種の持病なのか? とフィアルは訝しんだ。
彼は自分が近づいたり直接体を触れたりすると、突然呼吸を荒げることが何度も見られた。最初は自身に欲情したのかと思ったが、そもそも彼は寝所に誘ってこない。
何か理由があるのかと思い尋ねても、それとなくはぐらかされていた。
(今度、お義父様に聴いてみようかな……)
フィアルはそう思いながらも王子の手をそっと離した後、先ほどまでもっていた現代知識の写本をミリアに預け、カルミア村に向かった。
「多分……ううん、絶対『現代知識』さえあれば、誰でもどんな問題も解決できるわよね……。フフ、楽しみにしないと」
初めて内政に携わることに対する不安が一瞬頭によぎった。
だが、それを払拭するように、村の問題が解決されて村長からもてはやされる場面を想像しながら、フィアルは村に歩いていった。




