1-2 婚約破棄フラグをへし折った王子と、その妄信
「何があった!」
「ふぃ、フィアル王女が、カーラ様を突然バルコニーから突き落としたんです、それで……」
しまった、はめられた。
いまにしておもえば、国家間の政略結婚についてよく思わない人がいるのは当然だ。
ましてカーラのように、鉱山の経営状況がが焦げ付きつつあるような令嬢が何かしらやってくることは冷静に考えれば想像できたのに。
「……リュシアン王子……」
思わず彼の方を見つめながらも、思わずかける言葉を失った。
彼のそばを片時も離れるべきではなかった。少なくとも、周囲の貴族の人間関係を十分に理解するまでは。
カーラの侍女と思しき女は大げさに泣き叫びながら、周囲の貴族たちに状況を説明する。
「ひどいんです、このフィアル王女! カーラお嬢様が婚約の挨拶に来たのですが……突然私たちの所領にある宝石鉱山の経営権をよこすように言ってきて……」
「な、それは本当ですか?」
「ええ! それで、勿論カーラ様は断ったんです! 『民のために、あなたにそこまで譲ることは出来ない』って。それで起こったフィアルさんが……カーラ様を!」
「違う、私はそんなことしていないわ!」
おそらく前から用意していたシナリオなのだろう、スラスラと言葉を発していく侍女に対してフィアルは凄まじい怒りを覚えた。
(こいつ……絶対に許さない……ぶっ殺す!)
もとより証拠のない状況で、このような証人がいたら「彼女が自分からバルコニーから飛び降りた」と言っても信じてくれるわけがない。しかもカーラはフィアルの記憶では先代からこの国に仕えていた家系であり、こちらは所詮外様の立場だ。
……絶対にこいつは叩き潰す。
目を潰し、足を砕いたうえで娼館に売り飛ばす位はしてやらないと気が済まない。
「まさか……フィアル様がそんなことをするのか……?」
「しかし、確かにあの宝石鉱山は、昔から有名でしたし……」
周囲も明らかにフィアル王女に対して眉をひそめるような表情でこちらを見ていた。
「……みんな、ちょっとどいてくれ……」
そんな中、リュシアン王子が歩み出てきた。きっと、あの女たちの冤罪を信じ込んだのだろう、そうフィアルはぐっと歯を食いしばる。
「フィアル……君は……」
そして彼は手を振り上げた。
(ぶたれる!)
そう思い思わず目を閉じたフィアル。
だが、次の瞬間彼女顔にそっと柔らかい布が触れる感触が走った。
(え……これは、ハンカチ……?)
そして、怯えたような表情フィアルにそっと語りかけるように尋ねてきた。
「フィアル……一応聞くが……君は、やっていないんだろ?」
「はい! やっていません! 彼女が自分から飛び降りました! 私の手を引っ張って、彼女が突き落としたように見せかけていたんです!」
そういっても、信じてくれるとは思わなかった。状況から考えて、それは考えにくい状況だったからだ。それでも万が一、彼が信じてくれると嬉しい。
その一縷の思いとともにそうフィアルは王子に訴えかけた。
「……分かった」
「王子?」
「みなのもの! これより彼女がカーラ嬢を突き落としたかどうか、改めて調査をさせてもらう! 根拠もなく、彼女を疑うのはやめてくれ!」
「え……ち、ちょっと待ってください!」
カーラの侍女は思わず反論をしようとするのを封じるようにリュシアンは続ける。
「それに何より、彼女を疑うことよりもカーラ嬢の手当が先だ! 医師はこの場にいるか!」
「は、はい……私が……!」
「幸い、彼女は植え込みに落ちているようだが、万が一頭を打っているかもしれない、急いで治療に向かってくれ!」
ケガなんか大したことないに決まっている。
この舞踏会上はそんなに大きな建物じゃない。それにわざわざ自分から飛び降りるくらいなのだから、安全な場所を選んでいたに決まっている。
だが、そのことはリュシアン王子は知らないはずだ。
「あ、あの……リュシアン王子……」
「ちょっと待ってくれ、フィアル」
ニッコリと完璧な笑顔を見せながらリュシアンは彼女の頭をそっと撫でた後、先ほど大騒ぎをしていた侍女のもとに移動した。
(……一度だけ、チャンスをやる)
その声は低く、先ほどまでフィアルに向けていたものとはまるで異なる、恐ろしく冷酷な口ぶりだった。どうやら周囲には声は聞こえていないようだがフィアルは聞き取れていた。
(な、なんでしょうか……)
(もし、お前のいうことにわずかでも虚偽があれば……。お前の首を刎ねる)
(え……あ、あの……)
(お前は、庭園に一人の目撃者もいなかったと思っているのか? 私はバルコニー周辺の警備もおろそかにするような愚か者だと、本気で思っているのか?)
(……う、嘘、ですよね……)
侍女の顔色が見る見るうちに青くなった。
仮にこれがハッタリだとしても、それを裏付ける証拠はない。この冤罪がバレた時点で自分がどうなるのかを察したのだろう。まるで子犬のようにガタガタと震えだした侍女に対して少し警戒を解くような、柔らかい口調でリュシアン王子は続ける。
(だが、安心しろ。お前を今ここで裁くつもりはない)
(え……?)
(ことの発端を全て、30分後に2階にある北の部屋で聞く。もしその発言に虚偽がなければ、お前を私の屋敷で雇いなおしてやる。給与は今の職場の倍額出そう)
(ほ、本当ですか?)
(お前を殺すメリットが私にはない。この約束を違える理由がないことくらいわかっているだろう)
(…………)
(万一、今お前のいったことが真実だったとしても、この条件は変わらない。だが北の部屋で一言でも虚偽を吐こうものなら……連座することも覚悟しておけ)
(ひ……わ、分かりました!)
所詮侍女は一つの屋敷に雇われているだけの立場だ。
このような飴と鞭を使い分けられたら、彼女もその冷酷なリュシアンの発言を聴いて、首を縦に振るしかなかった。
(凄い……)
これを見たフィアルは、先ほどまでの侍女への凄まじい殺意も忘れて、思わずリュシアンの顔をぽーっと眺めていた。
彼女にとってうれしかったのは、そのリュシアンの機転以上に、彼が自分のいうことを無条件に信用してくれたことだった。
(……リュシアン王子……底抜けの冷血漢って言われてたけど……本当はいい人なのかな……)
この人となら、一緒に幸せな家庭を築けるかもしれない。
そう思っていると、リュシアンは戻ってきた。
「すまなかった、少し手間を取らせたな」
「いえ……」
その屈託のない笑顔は、先ほどまでの殺意に満ち溢れたものとはまるで異なる、優し気な表情だった。それを見てフィアルは少し安堵したように彼にもたれかかる。
「……王子……信じてくれてありがとうございます……」
よくある戯曲などでは、ここでリュシアン王子が自分に不信感を持ち、最悪の場合は『婚約破棄』を言い出すような場面だった。
そもそもカーラは前からリュシアンに対して好意を持っていたことも知っているし、彼女の美貌はリュシアンを惑わすに足るだけの魔力があるのも、フィアルは感じ取っていた。
それでも彼は自分を信用してくれたことを思い、ギュっと彼の胸元を握りしめる。
そんなフィアルをリュシアンはそっと抱きしめながら、ぽつりとつぶやく。
「気にしないでくれ、夫として妻を信用するのは当然のことだからな。それに……」
「それに?」
「フィアル、君の言うことは常に正しい。君が間違っているはずがないのだから」
それはどこか恨みのような自嘲のような、そんな気持ちが込められているような複雑な発言だった。
「え?」
「……あ、いや……なんでもない」
少しフィアルは違和感を感じたが、明らかにリュシアンが言及を避けて欲しいような表情を見せたので、これ以上は問い詰めることをやめた。
(うん……。そうだよね、私を守ってくれたんだもの、あまりしつこく聞くのは不公平よね……)
「ところでフィアル……すまないが、一つだけお願いしてほしいことがある」
「なんですか?」
「……もし冤罪が晴れたとしても……カーラとあの侍女を許す……のは無理にしても、これ以上の報復はしないでくれないか?」
「え? ……はあ……」
先ほどまでの自分の内面に渦巻いていた凄まじい怒りと、彼女たちに対して行おうと思っていた報復の凄惨さを思い出しながら、フィアルは頷いた。
(私……キレると何するか分からないからな……)
フィアルは、自分がそういう性格であることを自覚していた。数年前嫌がらせをしてきた使用人に重傷を負わせた過去もある。
もしも彼が『氷の王子』であれば、私は『炎の姫君』だろう。
……そんな私の苛烈さをリュシアンは知っているのだろうか。フィアルはそう疑問に感じたが、
(……そうね、それくらいの下調べはしている方が普通よね)
そう思いなおした。
また、すぐに誤解が解けそうなこと、そして何より彼女たちの助命のため、深々と頭を下げるリュシアン王子を見ていると、カーラや侍女たちへの恨みも和らいだ。
「ええ、分かりました。……彼女たちのやったことは、今夜を限りに忘れますわね」
「そ、そうか……すまない」
「リュシアン、あなたが謝ることではありません。……あなたが私を守ってくれたから、私もあなたを傷つけたくないだけです。……これからも、宜しくお願いします」
「ああ。任せてほしい」
それから一時間ほどののち、案の定侍女はカーラの差し金であったことをリュシアン王子に洗いざらい白状した。




