8 ベアトリスの合否発表
まずは、エレオノーラの関心を引くことには成功した。
ベアトリスは静かに息を整え、頭の中でもう一度『商談』の道筋をなぞる。
――ここからだ。
ここで必要なのは謝罪ではない。
この家を、切り捨てるには惜しいと思わせること。
「おっしゃる通り、この果実は市場にまったく出回っておりませんわ」
値踏みするようなエレオノーラの視線が突き刺さる。
緊張で冷えた指先とは裏腹に、腹の底にはじわじわと熱が沸いていた。
その高揚に、ベアトリス自身が少し驚いている。
私、いま――楽しいのだわ。
「そうね。うちでも入手を試みたけれど、難しかったわ」
侯爵家の力でも困難だった。
その一言が、どうしても欲しかった。
「――ですが、兄のロベルトでしたら可能です」
エレオノーラの目が細められる。
命じ慣れた者の視線が、続きを促していた。
「かの国は、友人への贈り物は惜しみませんの」
「お兄様は、親しいのね?」
「他国の、見知らぬ方と親交を持つことにおいて、兄より優れた者はおりませんわ」
笑えているだろうか。
震えそうになる声を必死に抑え、ベアトリスは唇の端を持ち上げる。
「そう。素敵なことね?」
エレオノーラの目が、面白そうに細められた。
――来た。
逃してはいけない波が来ている。
そう、ベアトリスの直感が告げていた。
「それと、王家からのご依頼の件ですが、事前に納期延長の申し入れは済ませておりましたの。ですから、大事にはなりませんわ」
「初耳ね?」
「ええ。偶然にも、兄アルベルトの研究に進展がございましたので」
お互いに笑みは崩さない。
和やかで優雅で――どこまでも油断のならない穏やかさが、部屋を満たしていた。
レオポルドも、アルベルトも、ロベルトも、誰ひとり口を挟めない。
ただ、目の前で進んでいく会話を見守ることしかできなかった。
「発色不可能といわれた、神秘のコバルトブルーの精製に成功いたしましたの。そちらを、改めて納めさせていただこうかと」
「まあ。そちらのお兄様も優秀なのね」
「価値を見つけ、伸ばすことにおいて、兄より優れた者はいないでしょうね」
ベアトリスは静かに息を吐く。
兄たちを切り捨てるのではなく、使える札として並べる。
それが、この家を守るための最短だった。
エレオノーラは、静かに扇子を閉じた。
たったそれだけの仕草なのに、指先が震えるほど恐ろしい。
ほんのわずかな沈黙のあと、幾分やわらいだ目でベアトリスを見つめる。
「それが、あなたの守りたいものなのね?」
「はい」
ベアトリスは迷わず頷いた。
家族を愛していた。
兄たちのプライドを傷つけ、父の矜持に逆らうことになっても――この家の命運を、誰かの一言ひとつに委ねたくはなかった。
ふ、と。
エレオノーラが吐息のように笑った。
その瞬間、張り詰めていた空気がふっとほどける。
そして、そのまま本当に楽しそうに笑い出した。
レオポルドも、アルベルトもロベルトも、唖然としたまま動けない。
けれどベアトリスだけは、大きく息を吐いた。
張りつめていた全身から、一気に力が抜ける。
姿勢を保っているだけで、精一杯だった。
「良いでしょう。学生ということも考慮すれば、十分及第点ですわ」
満足そうに笑うエレオノーラの背後で、控えていたリンとガイがそろって嫌そうにため息をついた。
「タダ働き決定じゃん」
「最悪……」
状況を飲み込めないレオポルドが、おろおろと娘とエレオノーラを見比べる。
「ご息女は優秀ね?」
朗らかに笑うエレオノーラに、先ほどまでの凍るような圧はもうない。
「跡取りには、彼女を据えなさい。私が後ろ楯になりましょう」
「それは、一体どういう……」
閉じた扇子を顎先に当て、エレオノーラは小さく首をかしげた。
「ゴールドシュタイン卿。そういうところですわよ?」
「……は?」
「貴方もご子息方も、悪くはないのでしょうけれど。貴族を相手にするには、少々素直すぎますわ」
年端もいかぬはずの侯爵令嬢からの思いがけない指摘に、レオポルドは思わず黙り込んだ。
「お父様……エレオノーラ様は、私の言い訳に銅貨一枚分も興味をお持ちじゃないわ」
「あら、そのくらいには興味がありましてよ?」
ベアトリスは静かに首を振った。
「私たちの――ゴールドシュタイン商会の価値を、お測りにいらしたんですよね」
――利用価値を。
基準に満たなければ、不要と切り捨てられていたかもしれない。
少なくとも、今回の一件で心証が良いはずはなかった。
「本当に、将来が楽しみだこと」
はっきりとは告げない。
だが、その曖昧な言葉こそが、ベアトリスの読みが正しかったことを示していた。
「それでも、あなたは手持ちの一番強いカードは使わなかったのね?」
ベアトリスの肩が、ほんの僅かに揺れる。
貴族の言葉は、いつだって輪郭が曖昧だ。
肝心なところほど、はっきりとは言わない。
「私の手には余る、強すぎるカードでしたので……」
その答えに、エレオノーラは満足そうに頷いた。
「身のほどをわきまえた人は、好きよ」
珍しく上機嫌なエレオノーラの背後で、リンとガイはひたすら顔をしかめていた。
「はっきり喋れよ……。なに言ってんだ、アレ」
「貴族語、ムズすぎる……」
その声はしっかりと、レオポルドとアルベルト、ロベルト兄弟の耳にも届いていた。
そして、新興貴族の仲間入りを果たしているはずの彼らでさえ、思わず心の中で頷いてしまう。
「さて。諸々の清算もありますので、私どもはこれで失礼するわ」
手元の扇子を一打ち鳴らし、エレオノーラはすっと立ち上がった。
ソフィアとナディアがさっと付き従い、リンとガイが扉を開ける。
「久しぶりに良いものを見れたわ。またお会いしましょうね」
最後に振り返り、ベアトリスへそう声をかける。
その微笑みは、最初に向けられた薄氷のようなものではなく。
確かに、次を期待する者のそれだった。
そうしてエレオノーラは、ゴールドシュタイン邸を後にしたのだった。




