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7 侯爵令嬢からの試験問題

 ゴールドシュタイン邸の執務室には重い空気が漂っていた。

 質の良い木製のデスクに両肘をつき、手を組んで頭を垂れているのは当主のレオポルドである。


 「お父様。明日の午後、侯爵家からエレオノーラ様が直々にお見えになるそうですね」


 静かに問いかけたのはベアトリスである。


 「ああ。ご無事であったとはいえ、侯爵家の方を危険な目に遭わせたのだ、ただではすむまい…」


 暗く沈む父親の声に、ベアトリスは静かに重ねた。


 「お父様、私は覚悟を決めました」


 俯いていたレオポルドがぴくりと肩を震わせた。


 「守りたいもののために…。今度こそお兄様たちには引いていただきます」


 顔を上げたレオポルドの先には、まっすぐに見返してくるベアトリスの瞳があった。

 揺るぎない意志を宿したその目に、レオポルドは何かを諦めたように、何とも言えない表情で小さく呟く。


 「…そうか」



 ---


 執務室を後にしたベアトリスは、侍従を連れて自室へと向かった。


 「私、甘えすぎてたのかもしれないわ」


 独り言のようにこぼれたその言葉に、青年は何も返さない。


 「もう少しだけ…。学生で、…子どもでいたかったのかも」


 自室の前で足を止め、扉に手をかける。

 そのまま振り返ったベアトリスは、今度ははっきりと青年に告げた。


 「あなたの情報、役に立ったわ」


 青年は微笑みながら「良かったです」と囁いた。


 「それと…。多分、私はあなたの正体を知っているわ」


 「でしょうね。あなたは情報に敏い方だ」


 「それでも私の、…この家の味方でいてくれる?」


 「もちろん」


 何一つはっきりとは言わない。

 それでもベアトリスはその曖昧なやり取りの中に確かな安心を見つけて、ふっと笑みをこぼした。


 「明日。…きっと大変ね」


 その夜は静かに更けていった。


 ――そして、朝は清々しい空気と共にやってきた。


 雲ひとつない晴天は、これから始まる不穏な話し合いなど意にも介さぬような美しさだった。


 エレオノーラを乗せた馬車が、ゴールドシュタイン邸へ到着する。

 ゆっくりと扉が開き、薄氷のような微笑みを浮かべた淑女が姿を現した。


 案内人に導かれ、応接室のソファへと腰を下ろす。


 背後には事件に巻き込まれた二人の侍女。更に扉の前には先日の青年二人が護衛のように控えていた。


 レオポルドがそちらへ視線を向けた瞬間、ひやりとしたものが背筋を這う。


 冷たい目がゆっくりと細められ、薄い唇が弧を描いた。


「また、お会いしましたね?」


 背筋を撫でるような、冷たい声だった。

 耐えきれず、レオポルドは視線を逸らす。


 「リン、やめなさい」


 短くエレオノーラに釘を刺されて、リンと呼ばれた青年はつまらなそうに「はい」と答え、すっと表情を消した。


 そのわずかなやり取りだけでも、冷や汗が止まらない。

 狂犬のような男を飼い慣らしているという事実を、まざまざと見せつけられた。


 「…さて。この度の船の事は本当に残念でしたわね?」


 ――始まった。


 レオポルドの喉が、かすかに上下する。


 「本当に、何とお詫びを…」


 「あら、良いのよ。二人はこうして無事でしたもの。まぁ、多少の怪我はあったようですけど…」


 二人の侍女の手首には痛ましい包帯が巻かれていた。

 荒縄で縛られた痕が残っているのだろう。


 「それよりも、王家への献上品の消失の方が問題ではなくて?」


 ひゅっと喉がなる。


 王家から依頼され、海外への贈り物として用意していた品だ。

 商人としての信用に関わる、致命的な失態である。


 「困りましたわね?私どもの侍女の話だけでしたら、構わないのだけど。そうも、いきませんわね」


 優雅に広げられた扇子の奥で、その目だけが冷たく光っていた。

 レオポルドの唇が何かを言いかけて、しかし何も形にならないまま閉じる。


 呼吸が浅くなり始めたレオポルドの隣で、ベアトリスが控えめに、しかしはっきりと声を上げる。


 「宜しいでしょうか。エレオノーラ様」


 静かだが、芯のある声だった。

 そのまっすぐな響きに、エレオノーラの視線がゆっくりと移る。


 「よろしくてよ?どうぞ…」


 その微笑みの意味を、ベアトリスは知っていた。


 ――お前は、ちゃんと説明できるのか。


 以前、リンとガイが向けてきたのと同じ圧が、その時以上の力で向けられている。


 息が詰まりそうになる。

 エレオノーラは抜き身の刃のような威圧感を纏っていた。


 それでもベアトリスは、スカートの内側で指先をきつく握りしめる。

 震えを押し殺し、唇の端だけを持ち上げた。


 そして一度だけ、従者を振り返る。

 軽く頷いたその合図を受けて、青年が恭しく一歩前へ出た。


 銀の盆が、エレオノーラの前に差し出される。


 「まずは、こちらを…」


 盆の上に載せられていたのは、ひとつの果実だった。


 光を受けて、半透明の果肉がゆるやかに輝いている。

 琥珀を削り出したような、美しい果実。


 それを見たエレオノーラが、ほんのわずかに目を見開く。


「……これは」


 その反応を見て、ベアトリスは静かに頷いた。


「『古代輝き《ヴェトス・ルミア》』という果物です」


「……知っているわ」


 エレオノーラの声音が、ほんの少しだけ変わる。


「先の伯爵家のお茶会で、リリアーヌ様が一度召し上がってみたいと仰っていた一品です」


「唯一の生産国が、決して外へは出さないと聞いていたけれど……」


 風向きが変わった。


 そのわずかな変化を、リンとガイは敏感に察したらしい。

 二人そろって、わずかに片眉を上げる。


 エレオノーラは、今度こそ興味深そうにベアトリスを見つめ直した。


「……続けなさい」


 かろうじて、首の皮一枚つながった。


 そう確信したベアトリスは、かすかな糸を手繰り寄せるように息を整える。

 そして静かに、生き残るための戦いへと踏み込んだ。


明日から更新は20:00になります。

よろしくお願いします。

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