5 閑話休題:野良犬と少女たち
『天球の灯』に新しいメンバーが増えたらしい。
そんな噂を、ソフィアとナディアが耳にしたのは、少し遅れてからのことだった。
『星屑の天球儀』で、几帳面に骨董品を磨く、鑑定士オスカーから教えられたのだ。
「路地裏の少年たち、ですか?」
「ええ。数ヶ月前にレオンが拾ってきましてね。エレオノーラ様が許可されて、いまは地下に住み着いてますよ」
オスカーは骨董品の手入れを止めることなく、まるで、野良犬を拾ったかのように話した。
「もっとも、行儀が全くなってないので、ショップに立たせることはありませんが」
ひどい言い草のわりに、オスカーの声色にはわずかに愉快そうな響きがあった。実力主義者のオスカーが、そこまで興味を持っているのも珍しい。
「随分な言い方だけど、気に入ってるように見えるわ」
だからナディアはそのままオスカーに告げた。隣でソフィアも頷いている。
「そう見えますか?」
オスカーは少しだけ目を丸くして、二人の令嬢をまじまじと見つめた。冷静な彼にしては、らしくない反応だった。
「そうですか。そう見えますか」
何度か繰り返すのが面白くてソフィアとナディアは思わず笑ってしまう。
「不本意なのかしら?」
「珍しい反応よ、オスカー」
一通り口の中で呟いた後、オスカーは優しく笑った。
「大分、大人しくなりましたから、興味がおありでしたら、地下へ行ってみてはどうですか?」
「まぁ、いいの?」
オスカーの提案に二人の少女は顔を綻ばせた。
地下のギルドは、なかなか入れてもらえないので、たまにこうした機会があると、ついはしゃいでしまう。
「ええ。いまは特に立て込んだ仕事もありませんし、レオンが二人に訓練をしているところですからね」
「あら!レオンが来ているのね?」
「あら!レオンの訓練なんて大丈夫なの?」
あまり顔を会わせることのないギルドのメンバー、レオンがいることにも喜びの声をあげる。ただし、加減を知らない拳士であることも、承知しているので、まだ見ぬ新人たちの身も案じてしまう。
「拾ってきたのですから、まあ。…死にはしないでしょう、多分」
ソフィアとナディアは、顔を見合わせて頷いた。
「軽食と救急箱を持っていきましょう!」
「そうね。では、行ってくるわね、オスカー」
二人が応接室の奥の扉を開くと、地下へ続く階段が現れる。二人は軽い足取りで、その階段を下っていった。
後に残されたオスカーは、再び骨董品の手入れに戻るのだった。
ソフィアとナディアが地下の訓練場に向かうと、ちょうどレオンが出てくるところだった。
たてがみのような金髪と逞しい体つきですぐに分かる。
二人の令嬢を目にしたレオンが片手をあげて挨拶をする。
「よう、久しぶりだな。お嬢さん方」
「久しぶりね、レオン。もうお帰りなの?」
「お菓子をお持ちしたけど、お時間はもう無いかしら?」
平民出身のレオンは、二人に対して貴族式の礼儀作法を取ることはない。
それでも、人好きのする笑顔で気さくに話しかけてくれるので、少しも怖くない。
「悪いな、緊急の呼び出しが入っちまってな。残念だが、また今度な?」
困ったように笑うその顔すら、妙に絵になる。
二人の令嬢は、胸の内のときめきを淑女の微笑みの下にそっと隠した。
「残念だわ、またいらしてね」
「お気をつけて」
憧れの人を前にした女学生特有の浮かれた空気を察しながら、レオンは大人の男性の余裕で受け流す。
「あ、そうそう。例の野良犬どもを見に来たんなら、今がチャンスだぞ」
からからと笑う。
「指一本、動かせないだろうからな」
ソフィアとナディアは目を瞬いて顔を見合わせた。
「大変だわ!」
「またね、レオン」
「あとは、よろしくなー」
慌てて訓練場の中に飛び込んだソフィアとナディアに、レオンは上機嫌で手を振りながら去っていった。
「まぁ!!」
訓練場には、二人の少年が文字通り転がっていた。
「指一本くらい、動くっつーの」
「指一本が、限界だけどねぇ」
しっかり悪態をつくくらいの元気はあるようだったが。
ソフィアとナディアは二人に近づき体を起こす。二人の少年は少しだけ目を見開いて、少女たちを見た。
「あんたたち、誰?」
黒髪の少年の目に警戒の色が強く浮かぶ。
「確かに、野良犬っぽいわ!」
ナディアが思わず声をあげた。
腕の中の少年のこめかみに青筋が立つ。
「あぁ???」
ソフィアの方は、もう一人をゆっくりと見つめていた。
「でも、子犬っぽくないかしら?」
「なにそれ!!」
ズタボロになりながら、ソフィアに食って掛かる。
そんな少年たちなどお構い無しにソフィアとナディアは救急箱から薬を取り出した。
わめき散らす二人など意に介さず、手当てを始める。
「触んなよ!誰だ、お前ら!」
「ここは『天球の灯』よ?ここのメンバーに決まってるじゃない」
「嘘つけ!貴族の女じゃねぇか!」
噛みつくリンに、ナディアがえい、と消毒液を押し付けた。
「…っぐ!!!」
「そうよ、貴族よ。淑女よ?口の聞き方に気を付けなさい。私はナディアよ、あなたは?」
にこにこと消毒液を構えて、圧をかけてくるナディアにリンが怯んだ。そして、なぜか逆らえずに渋々呟いた。
「……リン」
隣のガイも似たようなものだ。
ソフィアに詰め寄られて渋々と名乗っているのが目に入る。
せっせと手当てをしたあと、あれを食べなさい、これを食べなさいといちいち口を出す。
――うるさい。鬱陶しい。
けれど、二人から向けられる視線には、悪意も蔑みも欠片もなかった。
ここに来てから、そういう目を向けられたことが全く無かったわけではない。
だがその多くは、同時に値踏みするような、試すような色を帯びていた。
ソフィアとナディアには、それすらない。
ただ当たり前のように差し出される純粋な好意に、リンとガイはこの時、初めて触れたのだ。
居心地の悪さは、その事に由来するのだが、この時の二人はまだ、それに気が付いていなかった。
それ以降、ソフィアとナディアは何かにつけて世話を焼きに来るようになった。そしてリンとガイは、少しずつ、しかし確実に頭が上がらなくなっていく。
ヴァランシエール侯爵家では、これを躾と呼ぶ。
――後に二人のトップブリーダーとなる少女たちとの、最初の出会いであった。




