3 ゴールドシュタイン家の後継者問題
それは、住居というより、美術館のような造りだった。
芸術通りに門を構えるゴールドシュタイン家のエントランスホールは、客人を迎えるためのギャラリーになっている。
飾られた絵画の華やかさと、絵の具の微かな匂いが二人を迎えた。
ソフィアとナディアは感嘆の溜め息を漏らす。
「噂には聞いていましたが…」
「ええ、本当に素晴らしいですわね…」
すると、思わずこぼれた二人の言葉を拾うように、背後から柔らかな声がかかった。
「ふふ。侯爵家の方にお褒めいただくなんて、光栄ですわ」
振り返ると、侍従を連れた少女がドレスの裾をつまみ一礼している。
シンプルだが上等な生地で作られたドレスに身を包み、赤みかかったブラウンの髪は品よくまとめ上げられている。
「ようこそ、お越しくださいました。ベアトリス・ゴールドシュタインと申します。本日、お二人の案内を務めさせていただきます」
ベアトリスの侍従の顔に見覚えがあることに気づき、ソフィアは、おや、と首をかしげる。
青年は人差し指を口許に当てると、優雅に微笑んだ。口を開くな、と言うことだろう。
ソフィアはごく自然にベアトリスへ視線を戻し、おっとりと挨拶を返した。
「あら、ご丁寧に恐れ入りますわ。こちらのご息女でいらっしゃいましたわね?」
ナディアは記憶を辿りながら、優しく語りかけた。
確か、ゴールドシュタイン家の末の娘だ。
「わざわざ、ベアトリス様が案内をして下さるなんて嬉しいわ」
この家の三兄妹が、三代目の椅子をめぐって争っていることは社交界でも有名だ。
もっとも、噂というものはたいてい尾ひれがつく。
だからこそ、今日ここで見極める価値がある。
この商会が新興貴族としてヴァランシエール侯爵家に有益になり得るか否かの探りも入れたいところだ。
「随分と、才覚がおありだと伺っておりましたのよ。今日は楽しみだわ」
「恐れ多いことでございます。お気に召す品を、必ずご提案させていただきますわ」
侯爵令嬢の使いと聞いても動じることなく、案内を申し出た少女の目は知的な輝きに満ちている。
これから紹介する品がどれほど素晴らしいか説明しながら、奥の応接室へ誘導しようとしたその時、正面からスッと一人の青年が現れた。
「これは美しいお嬢様方、ようこそ我がゴールドシュタインへ」
堂々とした姿勢に、ベアトリスと同じ赤みがかった髪の色。顔立ちもよく似ていた。
さわやかな笑顔を浮かべながら、ソフィアとナディアの前に立ちふさがる。
一見優雅な物腰のように見えるが、進路をふさぐこと自体がすでに失礼だ。ナディアが眉をひそめ、ソフィアがベアトリスを見つめた。
「アルベルトお兄様…。今日のお客様のご案内は私にと、お父様から指示があったはずよ?」
「ふん。おまえでは力不足だと言っているんだ。良いから黙って俺に従え」
小さな声で苦言を呈するベアトリスを兄のアルベルトは鼻で笑って追い払おうとする。
そして、二人の令嬢に慇懃に挨拶をした。
「失礼、お嬢様方。私はこの家の長男のアルベルトと申します。妹では頼りないので、私がご案内いたしましょう」
ナディアははっきりと眉を寄せたが、ソフィアは手元の扇子を広げて口許に当てると、のんびりと声をかけた。
「私たちとしては、どちらでも構いませんわよ?」
合わせて扇子を少し広げたナディアが、少し咎めるような声で囁きかける。
「ソフィア…」
「妹の方はごく普通の優秀なお嬢さんのようですし、兄の方が探りがいのある未熟さだわ?」
「それは、そうだけど…」
三代目特有の、自信と自惚れに満ちたアルベルトに探るべき要素があるのかどうか。
僅かに思案の末、結局アルベルトに頼むことに同意した。
「こちらのギャラリーも自慢の品々ですが、侯爵家でお買い求めになるなら、是非『太陽の島』の名画をご覧いただきたい!」
「『太陽の島』の、名画?」
「お兄様、あの場所はまだ…!」
「おまえは黙って下がってろ」
アルベルトの言葉にベアトリスが顔色を変えて袖をひくが、鬱陶しそうに振り払われ、その指が宙に浮く。
「どうぞ、お嬢様方。我が商会の誇る豪華船で海の散歩でもいかがですか?『太陽の島』は美しい場所ですよ」
ソフィアとナディアは顔を見合わせる。
「三人とも優秀で、甲乙つけがたいと伺っておりましたけれど」
「ええ。そういう噂でしたが…」
何故だろう、アルベルトから想定していた以上に愚か者の匂いがした。これが若さゆえの未熟さなのか、他に特筆するような才能があるのか。
いずれにしても、侯爵家の名を背負った客人に、表立って無体を働くほど愚かではない――少なくとも、この時の二人はそう判断した。
そして、ソフィアとナディアはアルベルトの誘いに乗り、その案内で船へと向かったのだった。
「――あの時。きちんと私が止めていれば…」
ベアトリスが俯きながらそう呟いた。黙って話を聞き終えたリンが短く尋ねる。
「二人は、『自ら』ついていったんだな?」
唇から漏れる言葉には恐ろしいほど温度がない。
首筋に氷のナイフを当てられたような、寒気を圧し殺し、ベアトリスは頷いた。
「…リン」
ガイの短い呼び掛けに、リンがソファから腰を上げた。
貴族のような立ち振る舞いのなかに、乱暴で粗野な気配が滲み出る。
それがそのまま怒りだと、この場にいる全員が理解していた。
「リン」
ガイが再び静かに呼びかける。
「…分かってる。一度報告に戻るぞ」
今、任されているのは情報収集で、現場判断は許可されていない。
深く息を吸い、熱を追い払うように吐き出した。
「我々はこれで失礼させて頂きます。…また、お会いしましょう」
訪れた時と同様、二人の使者は形だけは丁寧に、ゴールドシュタイン家を後にした。




