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2 上品な野良犬の挨拶と商人

 侯爵家の使いとしてリンとガイが通されたのは、ゴールドシュタイン家の邸内でも最も奥まった一室であった。


 そこは重厚な静寂に包まれていた。


 派手な金細工は一切ない。

 あるのは年月を経て深みを増した木材の艶と、微かに漂う最高級の蜜蝋の香りだけ。


「――どうぞ、こちらへ」


 ゴールドシュタイン家の当主レオポルドは、相手が座るまで決して自分から腰を下ろさない。

 細心の注意を払って磨き上げられた硝子細工の器で出された茶は、侯爵家でも滅多に口にできない希少な「異国の紅茶」だ。


 部屋の隅々まで行き届いた、控えめだが恐ろしいほど金のかかったもてなしが、ここが単なる商人の家ではないことを物語っていた。


 案内されたリンとガイは無言で勧められたソファーに腰を下ろした。


 普段、野良犬扱いされている雑な身なりの青年ではない。

 整えられた衣服で慇懃にふるまうその姿は、まるでどこかの貴公子のような立ち居振る舞いであった。


 ――必要だからだ。


 こちらの立場が上であること、不愉快であること。

 すべてを理解させた上で、知っている情報を洗いざらい吐かせるためなら、貴族の真似事でもしてみせる。


 二人の魔導士が、らしくなく酷薄に笑った。


「先日、ヴァランシエール侯爵家から使いで伺った侍女の行方が分からなくなっておりましてね…」


 リンの落ち着いた透明感のある声が、静かに響く。手元にある硝子の器の氷がカラリと静かに鳴った。


「王都でも噂になっている、貴家の商船の海賊による被害…。痛ましいですよね」


 ガイの甘い声が沈痛な色を含んで響いた。しかしレオポルドはその目が全く笑っていないことに気が付いていた。


 若い二人が訪ねてきたときには、何とか誤魔化せると思っていた。

 今、商人としていくつもの危機を潜り抜けた直感が告げる。

 この場の対応を誤ってはいけない、と。


「この度の、我々の不手際につきましては申し開きもございません。ご心配をおかけして大変申し訳ない」


「へぇ…?」


 リンの目が細められ、薄い唇がゆるく弧を描く。


「知ってることを、話せ。…全部、だ」


 レオポルドの背筋に嫌な汗が伝った。空気が、ひどく重たくなる。


「そんなに圧を掛けられたら、話せるものも話せないよねぇ?」


 甘い声は助け船などでは決してない。


「せ、先日…、ソフィア様とナディア様が我が家にお見えになりました」


「…それは、分かってる」


 リンは声を荒げない。静かに、確実に追い詰める。

 立場を分からせるように。


「我が家の、長男アルベルトが対応させていただきました。エレオノーラ様に相応しい一品をお見せしたいと、海の向こうの『太陽の島』でしか描けない光の絵画の案内を申し出たのです」


「アルベルト兄さんは功績を焦ったんだよ」


 震える当主の声に、かぶせるように若い男の声が響いた。

 ガイがちらりと視線を移すと、厳重に閉じられていたはずの扉の向こうから二人の若者が現れた。


「ロベルト、ベアトリス!!お客様と大切な話をしているのだ、さがりなさい」


 切り付けるような鋭い声でレオポルドが制するが、すでに遅い。

 ガイが人好きのする笑顔で二人に近づく。


「へぇ?…どういうことかな?」


 にこやかなガイに、ロベルトはフンと鼻を鳴らす。その横で対照的にベアトリスは少し身を引いた。


「侯爵令嬢の侍女に取り入って、自分が跡取りになるのに有利になるように動いたんだよ」


「ロベルト兄さま…」


 客人相手に尊大な態度を隠さないロベルトに、ベアトリスが眉を寄せてその服の裾を引いた。しかしロベルトは気にすることなく続ける。


「父さんも萎縮しすぎだろう。その侍女さんたちの救出だって、俺が手伝ってやるって言って――」


 次の瞬間、ガイの手がロベルトの頬すれすれを掠め、背後の壁に叩きつけられた。

 壁際に追いつめられるような形になり、「何を」とガイを見たロベルトが固まる。


「手伝って”やる”?…そちらの不手際なのに?」


 間近に迫る笑顔に、言い知れぬ恐怖を感じロベルトは口ごもる。「いや」とも「ああ」ともつかない音がふらふらと唇から零れ落ちる。


 リンが肩をすくめてレオポルドを射貫いた。


「ご子息の教育、万全ではないようですね?」


 二人もいて、どちらも間抜けか――

 そんな声が、聞こえた気がした。


 蒼白になるレオポルドから視線を外し、リンは興味を失ったようにガイに声をかける。


「『そんなに圧を掛けられたら、話せるものも話せない』だろ、ガイ」


 背中からの声に、ガイが両手を上げた。

 ひらひらと手を振り、何事もなかったようにまた笑った。


「それもそうだね、ごめんね?」


 父親同様、蒼白になったロベルトが何度も縦に首を振った。

 その時、少し下がった少女が控えめに声をかけた。


「この度の当家の不始末につきましては、大変申し訳ございませんでした…」


 小さい声だった。

 だが、この場で最も意志の強い声でもあった。


「へえ…?」


 リンとガイが目を向ける。


 お前はちゃんと説明できるのか――

 そう試すように、ふたりは揃って目を細めて嗤った。


 ベアトリスはゴクリと喉を鳴らした。ここで失敗するわけにはいかないと本能で分かっているのだろう。


 ゆっくりと、ソフィアとナディアが訪ねて来たときのことを語り始めた。

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