17 完璧な反撃
「メープル侯爵令嬢。こんな時間にどうしたの?」
わたしは彼を改めて見ました。
以前よりはやせて、お顔も少しだけ細くなりましたが。
それでも美男からは程遠い、凡庸なお顔です。
目は小さく、ちょっと寄り目気味で、そのうえ垂れ目。
鼻は低く丸く。唇は分厚い。
男としては背が低く、わたしとほぼ変わらず。
金髪も赤みがかった中途半端さ。
以前の王太子殿下の時よりも、農夫の恰好の方がお似合いではあります。
彼はいつもと変わりありませんでした。
何も何一つ。
ですが、ようやくわかりました。
これは仮面。彼とほぼ一体化した仮面なのです。
「話があります。聞いていただけますか?」
「うん。時間も遅いから手短にしたほうがいいと思うけどね。侯爵家の令嬢なんだから」
今ならわかります。
彼がわたしを侯爵家の令嬢と言うのは、『キミは立場が上なんだよ』という意味。
例えば、ここで、中で話しましょう、といえば、そうさせてもらえるでしょう。
ですが、それは、立場の上のわたしが強要したから、ということにしかならないのです。
今まで、わたしたちの間にあったものが全部、それで片付けられてしまうのです。
それでも、わたしは、進むしかありません。
「あなたはわたしを、『高く売りつけないと』と言いましたよね」
「そんなこと……言ったかな?」
言いました、と言えば、『キミがそういうのなら、そうなんだろうね』と返ってくるでしょう。
だから、わたしは無視して、
「ならば、一番わたしを高く買い取る相手は誰ですか?」
「今なら王弟殿下でしょ。キミが手に入れば玉座の座り心地がよくなるんだから」
「売買には売り手がいます。売り手は損になる相手には売りません」
「そうだね……キミは、王太子になるんだから、今さら売る必要はないものね。一番、役に立つものを買う側だ」
その言葉を聞いた瞬間。わたしは、思わず彼を見ました。
なにかいつもと違うものを感じたからです。
「この場合、一番、侯爵家にとってお買い得なのは、オレでしょ?」
「!」
わたしは息を呑みました。
「カタチの上では前王家の血筋が手に入る上に、断種されているから他の優秀な血を入れ放題だものねー。しかもオレは逆らえない」
確かにわたしは、その理屈で、父と弟を納得させました。
あの血筋をひとり確保しておくことは、あとあと役に立つと。
父と弟は、わたしが感情に理屈を添わせたことが判っていたと思います。
これを聞いた時、父は苦笑いを浮かべ、弟はにやにやしてましたから。
それでもふたりは認めてくれました。
母が言ってくれた通りでした。
『表面だけは政治的に整えればいいのです。そうすれば男たちも納得するでしょう』
まだ未婚のわたしが、彼の元へ足しげく通うのを認めてもらっているのも、表面上はこのためなのです。
「ほんと、そいつは王配として最高だよねー」
でも、それはわたしの感情に理屈を合わせただけ!
なのに、ここでこんな風に、持ち出されてしまうなんて!
「ほうっておいても問題起こさないし。婚約破棄なんていうバカなことをしたお陰で無能ぶりは知れ渡ってて、担ごうとするヤツも少ないし。『実は断種してませんでしたー』とか国中に宣言しとけば、別の奴と子供ができてもそいつの子供だって言えるしね」
ただでさえ堅固な城塞はすでに完全武装していたのです。
これから、わたしが何を言っても、それは全て、彼を傀儡の王配にするための仕込みだった、という形で、はねのけられてしまうのです。
「キミがそうしろと言うなら、そうするよ。自分で死ぬ勇気もないオレは、逆らえないんだからさ」
彼は、いつもの顔でした。
パッとしない、凡庸な。
それは完璧な仮面。
難攻不落の城塞です。
「わたしは、わたしはっ! 暇つぶしであんなまずいハーブティを飲み続けたりしません!」
「うん。わかるよ。侯爵令嬢で未来の王太子も大変だな、と思うよ。あんなものを飲み続けなきゃいけなんだから。でも、しなくてもいい苦労だったね」
わたしの悲鳴にも似た声と、彼のおだやかな声。
哀しいくらいの温度差。
「この前、思わずおいしいと言ったのは、ほんとうです! あなたがわたしのことを考えて淹れてくれたハーブティは、ほんとうにおいしかったんです!」
「あれだけの回数入れればうまくなるよ。キミの苦労も少しは報われたってことだね」
ああ、わかっていました。
こうなってしまうことは、わかっていました。
あなたはわたしが何を言おうと、全て
『王配にした時に備えて、事前に人柄を把握して、操縦しやすくするためだった』と解釈するでしょう。
「キミは、心配することないよ。オレは全部わかっていて、その役を演じるだけだからさ」
なんだって、理屈などつけられるのです。だって、納得させる必要がある人に納得させればいいのですから。
それは、わたしもそうでした。
父と弟を納得させるために、わたしだって同じことをしたのです。
「用事は終ったよね?」
彼はそんなことを思っているわけではないでしょうけど、それは勝利宣言でした。




