14 夏。彼を罠にはめていただけ?
夏の襲来で、いっきに暑くなりました。
このところ、わたしの方で、社交やらいろいろあって、彼のところへ行くのは半月ぶりです。
何かを切り替えるにはちょうどいい間です。
今日からわたしは、乗馬服の上に着ていた上着を着るのをやめました。
下のキュロットも、思い切って薄い生地に変えることにしました。
愛馬は歳をとり、全力で走らせるないので、内ももから膝が革でなくても問題ないでしょう。
薄着になって馬を走らせると、一気に涼しくなって、解放感が心地いいです。
初夏、肌に風を感じながら、老いた馬をのんびりと歩ませるのは好きです。
長い髪をアップにして、首筋に感じる風も好きです。
王都ではこんなことはできません。
乗馬服の上に上着を羽織っていてさえも、侯爵令嬢にあるまじき、はしたない姿だと言われるでしょう。
ですが、ここではちがいます。
ズボンを履くのも、髪をアップにするのも、薄着になるのも自由です。
いつもの道を走って、彼のところへ向かいます。
半月ぶりに見た彼の畑には、背が高くなったさまざまな植物が整然と並んでいます。
特に彼が多く植えている芋類は、紫色の可憐な花を一斉に開いて、美しい絨毯のようで目に鮮やかです。
廃屋同然だった彼の家も、今では補修が進んで、ずいぶんと人の住んでいる家らしくなりました。
わたしが修理を手伝った煙突からは、煙があがっております。
食事やお茶の準備をしているのでしょう。
軒下にぶらさげられたハーブも、小さな束にして、乾燥させやすくする工夫がされています。
彼のハーブティは、かなりおいしくなりました。
ドライハーブティは、店や家で出るものに比べればまだまだですが、それでも飲めるようにはなりました。
フレッシュハーブディは、本当に摘み立てなので、かなりおいしいです。
馬のいななきで、わたしの来訪に気づいたのでしょう、彼が出てきました。
いつもより勢いよく扉がひらき――
「え……」
わたしの姿に、ひどく驚いたようでした。
しばらく、ぼけっと、見つめられました。
なぜ、そんな風に、といぶかしみ、気づきました。
恥ずかしさで頬が熱くなります。
今のわたしは、王宮の女性たちに慣れた人から見ると、裸も同然なのです。
今朝、出発する時、あの侍女が、意味深に笑って「お嬢さま、気合がお入りですね」と言ってのはこのためだったのですね……。
王都にいた時、わたしは常に体形をごまかすドレスを着ていました。
ごまかす、といってもそれは、慎ましくする、という意味ではありません。
拷問具のようなコルセットは腰の括れを強調し、ただでさえ大きな胸が更に目立つようにさせられておりました。
舞踏会や夜会では、胸の谷間を強調するドレスを着るのが義務のようなものでした。
第二王子だけでなく、多くの男達からねばついた視線が注がれたものです。
ですが、それは「そういうものなのだ」という麻痺で、恥ずかしさをあまり感じずに済んでいました。
今は乗馬服です。
しかも上着を羽織っていません。
そのうえ下は薄い生地のキュロットです。
体の線も、胸の大きさも、腕や脚の太さもほとんどあらわです。
さっきも言いましたが、宮廷の基準でいえば、ほぼ裸なのです。
あの第二王子にこんなところを見られていたら、誘っていると思われたでしょう。
彼のところに来るのが、すっかり日常の一部になっていて、そんなことすら忘れていたのです。
それに、彼だって以前と同じではありません。
お顔のパーツの凡庸さは変わっていません。小さくて、しかも寄り目で垂れ目のままです。
ですが、たるみがなくなったので、今なら個性的な容姿に見えます。
それに、太り気味だった体は、連日の農作業と粗食のせいで、すっかり引き締まり。
腕も以前より筋肉がつき逞しくなっています。
服装だって、農夫の姿の今のほうが似合っているくらいです。
この姿を、そんな彼に見つめられるのは、家族や昔からの奉公人に見られるのと全然違いました。
こんなに恥ずかしいなんて!
思わず胸元をおさえそうになってしまいます。
乗馬をすれば、どうせ汗で崩れてしまうので、余り化粧もしていません。
ソバカスが急に気になってしまいます。
ああ、でも、恥ずかしいですが、不快ではありません。
少なくとも、今の彼は、以前と違ってわたしを見ています。
わたしはなんとか平静を装って
「おひさしぶりです」
と、言って馬から降りました。
「あ、ああ、もう……もう来ないかと思っていたよ」
と、彼は、夢からさめたような口調で言いました。
「どうして、ですか?」
「キミが、そろそろ飽きたかなーと」
それは、いつもの口調でした。
「そういう風に見えましたか?」
「随分と来なかったから。こちらから訪ねようにも、判らないし」
彼が、わたしの消息を知りたがっていた。
その事実は、なぜか胸の奥をふるわせました。
かつては、わたしを侯爵令嬢としか見なしていなかった彼が、今ではわたしに、関心を持っている。
なにも気にせず、どこへ行っても、どこにいても同じだと思っていた彼が。
ここから屋敷までは一本道だと教えてしまおうかとも思ったのですが、教えたところで絶対に来ないでしょう。
「こう見えても、わたしはそれなりに忙しいので」
王都で両親や、弟が工作しているのと同じように。
わたしも、侯爵領の周辺勢力をこちらに引き込む活動をしているのです。
「侯爵令嬢で、婚約者がいないなら……それは武器になるね」
「なりません」
思わず強く答えてしまいました。
「なぜ」
咄嗟に、
「わたしの身など使わずとも、彼らは我が家の味方になりますから」
そう答えたら、彼は一瞬だけ間をおいて、
「……使うかぁ。そりゃそうだ。侯爵令嬢だもんなぁ高く売りつけないと」
なんでもない言葉でした。
高位貴族の令嬢ならば、当然の身の処し方であり、一族にとっての使い方です。
以前のわたしなら、何の引っかかりもなく、そう思っていました。
ですが、
今、彼に言われると、なんだか心外な気がしてしまったのです。
外のテーブルで、ハーブティをいただきます。
前回来た時、わたしも少しだけ作業を手伝ったひさしが、陽をさえぎってくれるので快適です。
白鳥の首のような注ぎ口のティポットと、お揃いの白くつややかな磁器のカップ。
こういうことになるなら、わたしが自分で選んで贈ればよかった……と今では思います。
でも、ふたりで飲むときは必ず出て来るので、なんとなく愛着がわいてきています。
彼がハーブティを淹れる手つきも、すっかり慣れて、無駄がありません。
わたしの方も、屋敷でも練習して侍女たちにふるまっているので、ずいぶんと上手になりました。
かぐわしい香りがあたりを満たしていきます。
味はさわやか。かすかな苦みさえもがそれを引き立てます。
「……おいしいですね」
「初めてだ」
彼はうれしそうに笑いました。
ドキッとしました。
こんな顔を見せてくれたのは初めてでした。
「なにがですか?」
「ハーブティの味を褒めてくれたのは」
「……だって、おいしいんですから」
きっと、屋敷で侍女が淹れてくれるものの方が完璧です。
ハーブは上質で、腕もいい。
なのに、なぜ、こんなにおいしいんでしょうか。
「そうか、よかった……じゃあ、もう来なくていいんじゃないか?」
突然でした。
「……どうしてそうなるんですか?」
すうっと、彼が遠ざかった気がしました。
「常識的に考えてさ。ここには余り来ないほうがいいと思うんだよね」
「なぜ、急に、今」
「いくら御領地の中とはいえ、種なしといっても男は男だよ。そこへ足しげく通うなんて、どこかで漏れたら困るでしょ」
「ですから、なぜ、急に、今」
「おいしいってキミが言ったからだよ。もともとオレが淹れるハーブがまずかったから始まったことだ。そうでしょ」
「……」
「だったらキミが褒めたら終わりでしょ。だから、まぁ潮時かなぁってさ」
「潮時って……」
わたしは言葉が、出てきませんでした。
さっきまで、いつもと同じように。
いえ、久しぶりに会った瞬間こそ、少しぎこちなくはありましたけど。
それは久しぶりで、少し距離感がおかしくなっていたから。
なぜ急に。
「わかっていてやってるんだろうけど、オレはキミに逆らえない」
そんな言い方はひどいです。
と言いたかったですが、見方によっては、事実です。
客観的に見れば、わたしは彼に無礼極まりない婚約破棄をされた被害者であり。
彼の身柄を引き取り、生殺与奪の権を握った、支配者なのです。
「断ってもいいというけれど、それができないってことは判っているでしょ?」
ここに彼を拉致した時。
わたしは彼を罠にはめたも同じでした。
わたしからの接触を拒むことができないところに、彼をおいておくための方策。
彼にわたしを知ってもらいたかった。
そして彼のことを、知りたかった。
それだけ。
でも、それは、彼と婚約していた時と同じだったのです。
婚約は、王家によるお膳立てで行われたもので、彼の意志はそこにはなかった。
もちろん、わたしの意志もなかったわけですが……。
今回の見かけだけは穏やかな時間も、わたしが彼に無言の強制をして作ったものにすぎなかったのです。
彼の意志はそこにはなかった。
「前はさ。会わないってことで。逃げられたんだけどねー。今回はそういうわけにもいかなかったしさー。だからキミとつきあうしかなかったんだよね」
へらっと笑った顔。
あの、婚約破棄の時に見せていた軽い表情と同じ。
「でも、もういいでしょ? キミもさ、そろそろヒマじゃあなくなるだろうし」
たくさんある作品の中から、拾って読んでくださってありがとうございました。
誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂けたこと幸いでございます。
完結までよろしくお願い致します。




