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殿下は無能なので、婚約破棄すらまともにできない――と思っていたら様子がおかしい。  作者: マンムート


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13/32

13 春。 おだやかに深まる日々 

 次の日。


 わたしはまた、朝早くから彼の元を訪れました。


 彼は小川のほとりで顔を洗っているところでした。


「……メープル侯爵令嬢……また来たんだ……ほんとうに来るとは」


「ええ。今日はおみやげがあります」


 わたしは彼に、ちいさな袋をつきつけました。


「これは?」


「ハーブです」


「見ても?」


「どうぞ」


 彼は袋を開いて中を見て、嗅いで


「いい香りだな」


「あなたが淹れてくれたのと同じハーブです」


「ええっ!?」


 わたしは宣言しました。


「今日はわたしが淹れます」


 と自信ありげに言い放ちましたが、淹れたことはありません。


 私は筆頭侯爵家の令嬢なので、言えば有能な侍女が淹れてくれるからです。


 ですが、出来るはずです。


 ちゃんとしたハーブを使って、ちゃんと時間をかけて蒸らせば、いい、はず。



 ですが、石を並べただけのかまどの前で途方に暮れてしまいました。


 とりあえず、周りに積んであった枯草や枯れ枝を淹れましたが、火はどうやってつけたらいいのでしょう……?


 この前と同じように、テーブルと椅子を出してくれた彼は、


「……どうかしたの?」


「あ、いえ、その」


 自信ありげに宣告してしまった手前、言い出しにくい――


 母の言葉を思い出しました。


『人間同士の話であるのに、何も知らないなんて滑稽ではありませんか』


 わたしはまた隠そうとしています。


「……実は、火のつけかたを知らないのです……」


 顔から火が出そうなほど恥ずかしいです。


「あー、そりゃそうか、筆頭侯爵家の御令嬢だものね」


 彼は、みすぼらしい服のふところから2つの石を取り出すと、かまどの前でしゃがみこみ、不器用な手つきで打ち合わせます。


 石の間から火花が飛び散ります。


「こうすれば、火がつく……こともある」


「こともある、ですか……?」


 それって、つかないこともあるってことですよね?


「忘れてるかもしれないけど、オレ、ついこの前まで王太子だったんだよね。いつも火がついてる灯りが、裏庭のすぐ側にあったんだよ」


「あ……」



 そういえばそうでした。


 この人が余りにも自然に農夫の恰好をしているので忘れそうです。



「あ、ついたついた」


 無邪気に喜ぶ声とともに、頼りない火が、燃え始めます。


 頼りないわりに、煙だけは凄い勢いで湧き出してきます。


「ご、ごほん。この枯草や枯れ枝、乾燥が足りないのでは……?」


「うーん。拾ってきただけだからなぁ」



 わたしは、安っぽい土瓶を頼りない火にかけます。


 本当にこれで、ちゃんと熱いお湯になるのでしょうか?



「この前も、ちゃんとお湯になったから」


「この前って……まさか、わたしが来た日ですか……?」


「ああ、うん、まぁ」


「もしかして……わたしが来なければ、火など使わなかったのでは……?」 


 彼は少しだけ考え込み、


「……そうかもしれないなぁ。服も体も小川で洗えばいいし、小川は便利だよ。食器は使わなければ汚れないし」



 少し、くらっとしました。


 この方は、ほんとうに王太子だったんですか?


 いえ、知ってますけど!



「殿下、火をつかいましょう! 小川でなんでも済ませるのは、問題があると思います」


「いや、ここに来てからそれで生きてたから、多分、大丈夫じゃないかな?」


「だいじょうぶじゃありません!」



 どうでもいい話をしているうちに、土瓶から湯気が噴き出してきました。


 ちゃんとお湯になっているようです。


 ……でも、確か、侍女は沸騰させていたような……もう少し待ちましょう。



「あれ、これくらい熱そうならいいんじゃないの?」


「沸騰するまで待ちましょう……それでいいはずです……多分」


「多分かぁ……オレとかわらないなぁ」


「……そうですね」


「ああ、ごめんね。オレとちがっていろいろ知ってるよね」



 わたしはちいさく首を振った。


 いろいろ知ってると思ってたんですが……知らないことだらけなんですね。



 ようやく沸騰したようです。


 持って来たハーブをポットに入れて……そこにお湯をゆっくり注ぎます。


 侍女がそうしてましたから、それでいいはずです。


 これで、それなりの時間、ふたをして蒸らすはず……。


「あー、結構長い時間蒸すんだ」


「……多分」



 彼が笑いました。



 苦労して淹れてみたハーブティでしたが……。


「うわ。おいしい」


「……」 


 確かに、泥水ではありません。


 飲めなくはありません。


 ですが、侍女が淹れてくれたものに比べれば、ぜんぜんです。


 苦すぎです。



「そうかー。ああやればおいしく淹れられるのか」


「……これでおいしく感じるとか……どんなものを飲んでいたんですか……?」


「小川の水。苦くもなくておいしいよ」


「……それはそうでしょうね」



 彼が痩せるわけです。



「次に来たら、あなたの分を、わたしが淹れます」


「え、また来るの?」


「そして、わたしの分は、あなたが淹れてください」


 彼は首をかしげて、


「……いつのまに、そんな話になってるの?」



 いけない、と思いました。


 会話がちゃんと弾んでいたので、調子にのってしまいました。


 わたしは、勝手に押しかけているのです。


 確かに、彼の命はわたしが握っているようなものです。


 ですが、無理強いしたらきっと……婚約していた時と同じになってしまいます。



「すいません……あなたは気にしなくていいです……わたしが勝手にするだけなので」


「いや、キミが謝ることじゃないけど……また来るの……?」



 その声には、なんで? という疑問だけがあって、嫌がってる感じがなかったので、ホッとしました。



「王都と違ってここでは、暇なんです」


「暇つぶしかぁ……」


「いやなら、ほんとうにいいんです」



 彼は、わたしを見ました。


 初めて目の前にいる人を見た、とでも言うふうに。


 ぽつり、と呟きました。



「……キミが来るなら、その、オレが来るな、とは言えないな……」


「いいんですか?」


「ああ、まぁ、うん」


 彼は、自分の言葉に自分で戸惑っているようでした。




 それからわたしは、週に最低でも1度、多い時は3度、彼のところへ通いました。


 行くたびに、彼の畑は少しずつ広がり。


 植えられた植物たちは、すくすくと茎をのばし葉を広げていきます。


 わたしも何度か、最近では行くたびに、畑の雑草取りの手伝いをさせてもらいます。


 昼から夕方まで、しゃがんだ不自然な姿勢で雑草を刈ったり抜いたりすると、その日の夜は体のあちこちが痛くなったものです。


 でも、そのあとで飲むハーブティはとてもおいしいのです。



 あばらやだった家も、徐々に整えられて行きます。


 彼は、わたしが4度目に訪問した時にさしいれた斧で、近くの森の木を切って補修に使うようになり。


 屋根や壁の穴がふさがり。


 かまどは石積みが増えて、前よりよく燃えるものになり。


 未婚の乙女に対する彼なりの気遣いなのか、家の中にはいれてもらえませんが、ベッドなども使えるようになったそうです。



 生活が整うのにつれて、


 わたしたちがお互いのために淹れるハーブティもまろやかになり。


 彼との会話も少しずつ増えていきました。



 畑一面に咲いている白い可憐な花を見ながら、


「今、一面に咲いているあの花、なんという植物の花なのですか? 見たことがない花ですけど……」


「花壇じゃないよ。あれは畑だよ。芋の花なんだ。名前は知らないけど」


「あんなにきれいな花をつけるんですね……」


 あの可憐な花の根元に、泥だらけの芋が実っているなんて不思議です。


 彼の話によれば、寒さにも強く、痩せた土でも実るそうです。


「ただ、水に浸かるとダメになってしまうみたいだ。前に一度、長い雨の時、畑が水に浸ってしまってね。7割くらい腐ってしまったよ」


「そういう時は、どうするんですか?」


「掘り出して、水が浸からないところに避難させるしかないだろうね」


「……なら、北の寒い地方で、雨が余り降らなくて、収穫できる作物がない地方に広めれば救荒作物としてなら……」


 ここよりもっと北にある侯爵領の飛び地で、もっと大規模に試験栽培してみたらどうでしょう。


「キミはこんな時でも、政治のことを考えてしまうんだな。ボクはついぞそういう心境にはなれなかったけど、キミはいつなんどきでも侯爵令嬢なんだな」


 賞賛に聞こえました。いえ、以前ならそうとしか聞こえなかったでしょう。


 でも、わたしにはそれだけには聞こえなかったのです。


「救荒作物じゃなくて主食にだってなるかもしれないよ。出来がいいのは結構おいしい。焼いても煮てもいいんだ」


「食べたんですか!? あ、毒見係が先に」


「出自の定かでない芋なんて、人に食べさせられないよ。自分で焼いてみてだよ」


「王宮で、ですよね」


「ああ、こっそりね。輪切りにして、剣にぶすっと刺して、火であぶって焼いたよ」


 殿下……いえ、もう殿下ではありませんけど……剣で何をしていらしたんですか!


 しかも王族だったのに、毒見係の目を盗んでなんて!


「侯爵令嬢の口に合うかどうかは判らないけどね」


 そう遠くない日に、わたしはその芋をごちそうされるのだろうな、とその時は思っていました。



     ※     ※     ※     ※



 わたしたちがおだやかな時間を過ごしている一方、王国は揺れていました。


 正確に言えば、揺れているのは王家の権威だけでしたが。



 あの婚約破棄事件の処理が粛々と進み。


 侯爵家におもねるように、第一王子と第二王子の側近達にも、厳重な処分が下されました。


 全員廃嫡、平民落ち。


 罪人を出した実家は、競い合うように過酷な処置を下しました。


 過半数は追放先につかないうちに死に。


 みな病死や事故死ということになっていましたが、これを素直に信じる人は少数でした。


 また我がメープル侯爵家の派閥に属していながら、元男爵令嬢と関係を持っていた子息や。


 自らの意志で元男爵令嬢に稚拙ないやがらせを仕掛けていたのに、それをわたしに指示されてだと虚言を吐いていた子女は。


 各実家から、きびしい処分を受けました。


 後継者だったものは、その地位から下ろされ、そうでなかったものも退学、自領での謹慎、程度の軽いものは、留学や休学に処せられました。


 ただし、第一王子の側近達に、暴力で発言を強制された者に関しては、罪はない、とされたのです。



 第二王子と元男爵令嬢は。


 結婚の二日後、第二王子は身体の回復を待たずに、新婚の花嫁と共に辺境の鉱山に送られました。


 ふたりの真実の愛に満ちた生活が始まるはずでしたが。


 男を誘惑し股を開く以外、なんの才能もない元男爵令嬢と、地位も権力も喪った種なしの元王子がうまくいくわけもありませんでした。


 真実の愛など最初からなかったのですからなおさらです。


 生きていくために、元男爵令嬢は他の男たちに体を売り。


 元第二王子もまた、働くには線が細すぎて役に立たず、男たちに体を売るしかなく。


 彼らの狭く貧しい新居には、昼夜を問わず、性欲を発散する男たちが出入りするようになりました。


 互いの前で、男に使われる姿を、いやでも見せ合う羽目になったのです。


 ふたりの心はすさみきり、いさかいが絶えませんでした。


 ですが、侯爵家の監視下に置かれている上に、真実の愛である以上、離婚も浮気も認められません。


 元第二王子は酒におぼれ、憂さをはらすために、元男爵令嬢を殴りつけるようになりました。


 元男爵令嬢は他の男をひっかけて逃げることを何度も企みましたが、筆頭侯爵家に目をつけられている女、しかも、もともとあった美貌を喪っていくだけの女になど、引っかかる男はいませんでした。


 それどころか逃走用にこっそり貯めた金を、男達に騙されて、奪われさえもしましたようです。


     ※     ※     ※     ※


 それらのことを、わたしは手紙で知りました。


 ですが、不思議なくらい心は動きませんでした。


 わたしにとって、今、なによりも大事なのは、彼とのことだったからです。



たくさんある作品の中から、拾って読んでくださってありがとうございました。


誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂けたこと幸いでございます。


完結までよろしくお願い致します。

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