11 春、わたしは農夫に会いに行く
我が侯爵領の春は、鮮やかな緑色に燃え盛っています。
空は青く。どこまでも広がっています。
その光景の中を、馬で走るのは好きです。
実は、わたし、乗馬が好きなのです。
灰色の王都では、令嬢、特に高位貴族の令嬢は、馬車に乗るのが普通で、歩くことすら少なく。
馬での移動などもってのほかでした。
王都ではまちがいなく、女の癖にだの、お転婆などと言われてしまうでしょう。
しかも、ドレスで横座りに乗ってすらです。
ちゃんとした乗馬用の服装は、コルセットもなく、脚にぴったりフィットしたキュロットなので、ドレスより体の線が出てしまいます。
その服装で、馬にまたがって乗っている姿を見られたら。
はしたないとか、男を誘っているとか、淫らな刺激を楽しんでいるとか言われかねません。
わたしは、王太子の婚約者だったので、そういう風聞が広まるのは避けねばならなかったのです。
ですが、ここなら。
メープル侯爵領の中でも、侯爵家の御料地の中でなら、いくらでも乗れます。
それに今のわたしは、王太子の婚約者ではありません。
馬に乗って走るわたしは、公式の存在ではなくて、ただのマリア・メープルです。
、
残念なことに、わたしの愛馬は……王都に出ている間に、かなり年老いてしまって、今では全力で走らせることができません。
彼女の負担にならない範囲で、ゆっくりと走らせます。
それでも、ひさしぶりの乗馬は爽快です。
乗馬服は、ドレスとは比べ物にならないくらい解放感があります。
懐かしい光景。
山道を突っ切り。峠を抜け。
目の前に草原が開けます。
遥か右手に広がる森と、その奥のまだ頂が白い山並みを見ながら。
かつては森があったらしい倒木だらけの草原を、小川沿いにしばらく走ると。
小川のかたわらにある小さな丘の頂上に、あばら家が見えてきました。
あばら家から小川にかけて広がる土地は、雑草が綺麗に刈られています。
家の壁にもたれるように腰かけた男が、丘を登って近づくわたしに気づいて顔をあげました。
「え!? どうしてメープル侯爵令嬢がここに?」
目の前で馬から降りたわたしを見て、大層驚いたようでした。
あの夜、わたしばかりを、さんざん驚かせた彼を、目論見どおり驚かせてやったことに、少しだけ満足を覚えます。
あの夜から一ヶ月ぶりに会った殿下……いや彼の様子は変わりませんでした。
王太子の礼服よりも、粗末な農夫の服と、手に持った鋤の方が似合っているくらいでした。
最後に見た時より、かなり痩せていましたが、かえって健康的でした。
三日に一度、最低限の食料を届けさせているだけなので、やつれているかも、と思っていたのですが……。
変っていない、というのは、姿よりも態度でした。
わたしは、あばら家の脇に立っている杭に、馬を繋ぎます。
老いた馬はのんびりと、周囲の草をはみ始めます。
「用意した家は気に入っていただけましたか?」
「気に入るも何も、ここに住むしかないからね。ありがたく使わせてもらってるよ」
いきなりここへ放り出されたはずなのに、落ち着いたものです。
「ここがどこか気になりませんか?」
彼は肩をすくめた。
「オレにとっては、どこだって同じだからね」
「王宮とここがですか?」
「どこでも同じだよ」
そこには虚勢はありませんでした。
ただ事実を言っているようにしか聞こえません。
「……ここは、我が侯爵家の領地です」
山ひとつを隔てて、人里から隔離された場所です。
以前は、夏に馬の放牧に使っておりました。
彼は、周りを見回して、
「……どういうこと?」
「殿下、いえ、あなたの身柄は、王家から我が家に引き渡されました」
「そうか……お金足りなかったか」
大して意外でもなさそうな口調です。
「一般的な方法で慰謝料が算出されたなら、足りたと思います」
「おお! 何日も掛けて計算した甲斐があった!」
「ですが、王家は我が家の怒りを恐れて、あなたと第二王子殿下を我が家へ引き渡しました」
「あー。ありそうな話だね」
そう言うと、彼は、へらっと笑った。
「ということは……オレがどうなるかは、メープル侯爵令嬢の思うがままってことか?」
その言葉からは恐れを感じません。
「そうなりますね」
「毒なら、あまり苦しまないのがいいな」
「毒を盛られる心当たりでも?」
「キミ、いや、メープル侯爵令嬢に対して、婚約破棄をしたから、で十分でしょ」
「……まぁ、そうですね。でも毒ではありません」
「わかった! 送る鉱山が決まったんだ!」
「いいえ。ちなみに娼館へ送るとか、そういうのでもありません」
彼は辺りを見回して、
「こわい護衛は?」
「おりません。ついてきている者もおりません。馬とわたしだけです」
彼は、もう一度辺りを見回しましたが、広々とした草原には隠れるところなんてありません。
「侯爵令嬢が罪人のところへ来るのに?」
「ええ」
「結婚前の侯爵令嬢が、男のところにひとりで?」
「ええ」
「遠眼鏡か何かで監視してるんでしょう?」
「いいえ。それにそうだとしても、ここへ駆けつけてくるには間に合いません」
彼は、しばらく考えていましたが、首を振って。
「侯爵家の奉公人達は怠慢なの?」
「いいえ。ちゃんと苦言を呈されました」
「それを押し切ってひとりで?」
「ええ」
彼はわたしを見ました。
その目には戸惑いが見えました。
こういうお顔もなさるんですね。
「……わっかんないな」
彼は、考えていたことを、あっさりと放り出した様子でした。
「以前、あなたは、わたしにハーブティを送ってくれました。婚約者からの贈り物なのに、わたしはひとくちも飲みませんでした。失礼だったと思います」
「前にも言ったけど、あんな怪しげなものを飲もうとしないのは当然でしょ」
「あなたからの謝罪の手紙も、読みすらしなかった」
「腐ったハーブティを送り付けてくる相手に対する当然の反応でしょ」
彼は、どうでもいいことのように扱おうとしている。
ですが、そうはさせません。
たくさんある作品の中から、拾って読んでくださってありがとうございました。
誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂けたこと幸いでございます。
完結までよろしくお願い致します。




